2025年03月18日

2025/3/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、民数記1:47-54です。

本文とメッセージはこちら

レビ人も戦に出ることができるなら、もっと戦力は強められたでしょう。
しかし、主はその信仰を何よりも大切になさいます。
主を礼拝することをおろそかにするなら、動悸がずれてしまい、一致がなくなります。
どんなに人数が多くても弱体化してしまうのです。
それよりも戦う意味そのものがなくなってしまいます。

主との交わりがなく、みこころに従うこともなく努力する人生も、これと同じです。

主がレビ人とその礼拝の働きを不可侵としたように、私たちの礼拝とデボーションも不可侵としましょう。
「主が」「命じたとおりに」(54)行いましょう。

祝福を祈ります。
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2025年03月17日

2025/3/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、民数記1:20-46です。

本文とメッセージはこちら

全てのクリスチャンは主に愛されていますし、等しく高価で尊い存在です。
しかし一方で、「戦に出ることができる」(20)人は全員ではありません。
その思いがあるか、覚悟があるか、主によって訓練をされているかが問われます。
現代においても戦に出ることができるように、つまり主に役に立つ者となりましょう。

祝福を祈ります。
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2025年03月16日

2025/3/16主日礼拝

3月16日の放送です。

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2025年3月16日NGC SundayCelebration (iTunes)

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2025年3月16日NGC SundayCelebration (YouTube)

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2025年3月16日NGC SundayCelebration (WMP)

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2025年3月16日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。




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前奏
賛美「あなたをたたえ」
招詞
賛美「雨を注いで」
礼拝祈祷
賛美「イエスに高き誉れを」
お知らせと報告など
賛美「イエスは愛で満たす」新聖歌208番
  「神の国が心に」
  「足跡追って」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 民数記3章1〜13節
メッセージ「荒野に負けない生き方」
祈り・応答
賛美「主こそわが神」(献金)
  「歩こうイエスの道を」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Yama
 Cho:Yoshika & Miyuki
 Key:Miyuki
 Dr:Masaki
 PA:DJshuntaro
 YouTube&Camera:Yokoi
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2025/3/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、民数記1:1-19です。

本文とメッセージはこちら

民数記とは民の数、特に戦士の数を数えるということで、それは戦いのための備えです。
私たちもこの世というサタンの力が残る場所に生きていますから、敵対する力があるのです。
主の愛を全うするのは、厳しいのです。
その覚悟と備えも必要であることを覚えましょう。

またこの書のヘブル語の題名は、べ・ミドバールすなわち荒野にてという意味です。
その意味するところは、この世は荒野であって、約束の地に行くまでには信仰の戦いが必要であるということなのです。

私たちの人生は何事も、そしていつまでも安泰ということはありません。
優先順位をしっかりさせて、現実を直視し、決断して、主の恵みによって努力しましょう。

祝福を祈ります。
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2025年03月15日

2025/3/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書21:15-25です。

本文とメッセージはこちら

主イエスは、かつて期待に応えられなかったペテロを、もう一度立ち上がらせてあげたいと、愛を持って取り扱われました。
主イエスが十字架にかかる前に3回も裏切ったことに対して、3回の質問をもって彼の愛を回復させ、それを認めてあげようとなさったのです。

しかも「わたしの子羊を飼いなさい」(15)と、最も重要な働きを託されたのです。
人を育てることは厳かな使命であることを知りましょう。

主は今後に起こるペテロの殉教を知っておられ、彼にその心構えを与えられました。
ペテロは他の人ことが気になったようですが、主は自分の十字架を負うことを求めておられます。
人との比較ではないのです。
働きは主からの使命そして、主の愛をもらいつつ、自分自身に固有に与えられた尊い働きとして行っていきましょう。

祝福を祈ります。
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2025年03月14日

2025/3/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書21:1-14です。

本文とメッセージはこちら

イエス様の復活を経験した弟子たちでしたが、それだけでは何を目標に生きていったら良いのかわからなかったようです。
彼らは元の生活に戻るしかなく、ペテロが無気力に漁を始めようとすると、他の者たちもただそれに追随しました。
しかし何も獲れずに空しい結果でしかありませんでした。
そのときに主が訪れます。
主は必要を与え、働きに成功を与えてくださいます。
そしてその恵みが神である主ご自身から来ることを悟らせてくださるのです。
それは私たちにとっても同じです。
主の復活を受け入れるだけでなく、その主の思いと使命に生きることです。

さらに主は、ここにあるパンと魚のように、生きるための恵みをも用意してくださいます。
それは次節から記されているような、尊い使命へと召し出してくださるためです。 

恵みを受けつつ、使命へと導かれましょう。

祝福を祈ります。
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2025年03月13日

2025/3/13早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書20:24-31です。

本文とメッセージはこちら

トマスは信仰の仲間と一緒に行動していませんでした。
また「主を見た」(25)という仲間の証言を聞いたにもかかわらず、それを信じませんでしたし、本当かどうか調べることもなかったのです。
ただ、自分は信じないと初めから決めていたようです。

もちろん何でもかんでも人の言うことを信じていたら、だまされることもありますし、周囲に流されるだけで、結果的には意見をころころ変えることになるでしょう。
信じるとは、主のみことばを信じるということです。
聖書のみことばによれば、主はよみがえるのであり、また主イエスご自身がよみかえりについて語っておられたのです。

また信じるとは信仰の証言を受け入れるということです。
クリスチャンは共に交わり、分かち合い祈りあうというすばらしい特権があります。
それには相手を尊重して受け入れるところから始まるのです。
しかしトマスは兄弟姉妹の証しを受け入れませんでした。

トマスは復活には懐疑的ではありましたが、反面的に簡単に信じ込んでいることがありました。
それは神でも死には勝てないということでした。
なので彼にとっては、復活を調べる必要もなかったのです。
彼は信じやすい性格だったのです。
そしてだまされ易い性格だったのです。
それはサタンにです。

自分はだまされないぞと、懐疑的であることが論理的であるかのように錯覚しがちですが、それは不信仰を信じ込んでいるだけなのです。
クリスチャンも同様で、神様のことばをもっと本気で信じるべきです。

この福音書も含めて「書かれたのは」(31)、「信じていのちを…得るため」(31)だからです。
聖書を本気で信じましょう。
適当に聞き流すことのないようにしましょう。

祝福を祈ります。
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2025年03月12日

2025/3/12早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書20:11-23です。

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マリアは泣いていました。
神である主イエスであっても死のままでは、それは悲しみ以外の何ものでもありません。
死の絶望の力はそれほどに大きいのです。

マリアにとっては、希望もなく、どうしたらいいか全くわからない状況でした。
心も弱くなって泣くしかなかったのです。
解決などありませんでした。
しかし、彼女はこのような状態の中でも、死んでしまった後でさえ、イエス様から離れなかったのです。
いや遺体がなかったのですから、離れまいとしたのです。
だからここで復活のイエス様にお会いすることができました。

彼女には何をも悟れるような状態ではありませんでしたが、イエスご自身が彼女に分かるように現れてくださいました。

何があってもイエス様から離れないようにしましょう。
たとえイエス様がもういないように感じるような絶望の中でも、イエス様を求めましょう。

祝福を祈ります。
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2025年03月11日

2025/3/11早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書20:1-10です。

本文とメッセージはこちら

主イエスの復活の第一証言は、墓に行った人によるものです。
彼らはそのような重要な使命をいただいたのですが、実はまだ「イエスが死人の中からよみがえらなければならない」(9)ということを知らなかったとあります。
実際、聖書に書いてあるその預言と必然性を人類は誰もまだ理解していなかったのです。
それでも彼らが目撃者となり得たのは、彼らの信仰の在り方によります。

それは、まずイエスを愛して墓に行ったのです。
期待も希望も砕かれて意気消沈している中で、イエス様に従った過去の意味もなくなってしまいました。
それでも彼女たちはイエス様への愛を表したのです。
私たちも、目的や期待に増して、相手のことを純粋に愛しているかどうかが問われます。
また兄弟姉妹と行動を共にしたのです。
ペテロともうひとりの弟子(ヨハネ自身と考えれられます)は、マリアたちの話を聞いて遺体がないことを知って、墓へ急いだのです。
一緒に行動することはクリスチャンの力です。
共に体験し、共に感じ、共に働くことができるからです。

祝福を祈ります。
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2025年03月10日

2025/3/10早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書19:31-42です。

本文とメッセージはこちら

安息日にはユダヤ教の規定があって、それに則って処刑が執行されました。
安息日には仕事をしてはならないので、十字架刑を続けるわけにはいかず、通常ですとまだ生きている受刑者の足を折って、肩と肺に負担をかけて呼吸困難で即死させました。
しかしイエス様の苦しみは通常よりも大きく、すでに死亡していたのです。

イエス様が墓から出たことは否定できないと判断した歴史家の中には、イエスは仮死状態だったのだとする者もありましたが、以上からイエス様は完全に死亡したのだとわかります。
イエス様は気を失った後に意識が戻ったのではなく、実際に死に、そしてその状態からよみがえったのです。

血と水は、医学的にはあり得ることで、相当の苦痛による心臓破裂ではないかと言われています。
ヨハネはそこに霊的な意味を見たのでしょう。
血は死の代価としてのあがないを意味し、水はきよめを表すのだとしたら、そのメッセージは、十字架から贖いときよめの恵みが流れ出るということです。
クリスチャンにとって恵みは十字架からなのです。
何かがあるごとに常に十字架を仰ぎましょう。

アリマタヤのヨセフは、イエス様を死罪に定めた議会においては、その一議員でもありました。
彼は「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していた」(38)のです。
議会は敵のようですが、その敵の一員と思われるような人々の中からも救いは起きるのです。
大きな励ましです。
また救われてまもなくは、彼のようにまだ周囲を恐れるような人もいるでしょうが、それでも主は用いてくださいます。
それは大きな希望であり、慰めです。

祝福を祈ります。
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