2021年01月24日

2021/1/24早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書6:1-15です。

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救われた者の国籍は天にあります。
また新しく造られたもので、神様の永遠の価値観で生きる者です。
その生き方をする者は、良い報いを神様に期待します。
人に求めても期待はずれになります。
それで関係が悪くなることさえあります。

施し(与えること、してあげること、献金や援助など)も、祈り(信仰的な行動)も、主は知っていてくださいますので、それで十分です。
主がちゃんと報いてくださるのです。
人に求めて、がっかりしたり恨んだりすることは止めましょう。

また祈りは、回数やことば数のように、熱心さを表すパフォーマンスにならないようにしましょう。
祈りに大切なのは主への期待と、忠実さです。
またその心から来るところの内容です。

祈りが偏らないように、この主の祈りを模範としつつ、主との生きた交わりによって祈りましょう。
また人の罪を赦しましょう。
赦せないことがあるでしょうか。
それは明らかな罪だから赦せないのでしょうが、しかし罪だからこそ赦しになるのです。

祝福を祈ります。
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2021年01月23日

2021/1/23早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書5:38-48です。

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山上の垂訓と言われている、この箇所でのイエス様の説教は、非常に高い倫理基準です。
そこである人々は、これはあくまでも実現不可能な理想であって、それに向けて努力していけば良いのだと言います。
またある人は、どんなに高い基準でも神様の命令であるなら、絶対であって、それに反するなら本当のクリスチャンではないと言います。

そのどちらも極端であり、またこの世の論理に沿った考えであり、肉の力による発想であると言えるでしょう。
ここにあるのは神の国の論理であり、聖霊の力による生き方です。

人は神様の十字架によって罪赦されて救われて天国の希望が与えられると、その感謝から神様に喜ばれたいという気持ちが湧いてきます。
また神様の役に立ちたいと思うようになるものです。
そこで神様に、どのように生きたら良いのですかと、聞きたくなります。
そのような人々に語られたのがこの説教、すなわち山上の垂訓であると言えるでしょう。

このようなクリスチャンは、「左の頬も向けなさい」、「上着もやりなさい」、「敵を愛し」と言われると、やってみたいと思うものです。
そして単なる理想であって、実行しなくても良いのだと軽く考えることはないでしょう。
絶対の命令であるから、違反したら恐いという思いもないでしょう。

私たちは、自分の心のうちに、このようなきよい思いがあって、主の心と近くありたいと願うものなのです。
その思いを自分自身の内に発見しましょう。
私たちの国籍は天にあるのですから、その天の価値観があることを発見しましょう。
実際にやってみましょう。

祝福を祈ります。
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2021年01月22日

2021/1/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書5:27-37です。

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「情欲をいだいて女を見る…」ということで、性的な本能まで否定するような、禁欲的な解釈もあったようです。
しかし本来原語では、特定の女性を見続けるということですから、自分の性的欲求を満たすために女性をターゲットにしているというような状況と言えるでしょう。

何より大切なのは、自分は行動に移していないから罪はないというのではなく、心に思っていることでも、罪は罪であるということです。
誰でも心にあることを実行します。
チャンスがあったら、ばれなかったらしてしまうということも多いのです。
ストレスで…怒りから…悪いと知りつつやってしまったという人も多いのです。
心の内はとても重要です。

ですからイエス様はつまづきになるようなもの、すなわち心に悪影響をおよぼすようなものを捨てなさいと命じておられます。
これは愛による勧めと思ってよいでしょう。

「離婚」のことも、当時の規定に沿っていれば自由だと考える風潮に、イエス様は問題を投げかけます。
規定や社会通念よりも、神様の前にどうであるかが重要です。

「誓い」に関しては、当時の人々は神をさして誓うなら絶対だが、それ以外の誓いは大目に見てもらえると、都合の良いことを考えました。
言い逃れをして自分を守れば、それで済むのではありません。
主の前にどうであるかです。
全能の主は見ておられ、知っておられます。
自分の考えを明確にしたなら、あとは主におまかせして、その責任のがれのようなことをするのは止めましょう。
正直であり、そして主を信頼しましょう。

祝福を祈ります。
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2021年01月21日

2021/1/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書5:17-26です。

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救いは信仰によって与えられるもので、律法主義のように行いを強調するのは、むしろ不信仰であると考えるのは、勘違いです。
信仰によって救われたなら、良い行いをするように心がけるべきです。

神様は律法を「廃棄」なさったのではなく、「成就」されたのです。
つまり、イエス様の生涯において律法を正しく守り罪のない人として生きられました。
また人の罪を負って、律法の要求するさばきを完全に実現なさいました。
そして、その救いを信じて受け取る者にとって、さばきという律法の要求が満たされたこととなりました。
さらには、そのような救われた者は、聖霊によって正しく良い行いができるようになり、その結果律法の要求するところを満たす生き方ができるようになるのです。

このように、イエス様は何重もの意味で、完全に律法を「成就」されたのです。
私たちもその確かな信仰を持って、聖霊によって内側から、すなわち動機から変えられる者であるという、正しい自己像を持ちましょう。
それが「パリサイ人にまさる義」です。

兄弟姉妹を「能なし」「ばか者」というような、下に見る思いを捨てましょう。
関係が悪いなら、自分の信仰は正しいという観点で自己正当化するのではなく、「祭壇の前」すなわち信仰のルーティンをその「ままにして」でも謙り、「仲直り」しましょう。
訴えられても自分に分があると思わないで、「仲直り」しましょう。
どちらに非があるかではなく、平和はつくり出すものだからです。

祝福を祈ります。
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2021年01月20日

2021/1/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書5:1-16です。

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「心の貧しい者」とは、自分の心の内を謙遜に見つめて、主がいなければ自分はやっていけないのだと、主に依り頼む人です。
そのような人は「天の御国」すなわち、神の支配によってすばらしいみわざを見ることができます。

「悲しむ者」とは、それが自分のことであれば、主への信仰によって益と変えていただくことができ、また他の人のことであれば、その愛のゆえに主の恵みを見て、慰めれられることができるということです。
ただ良いことがありますというのではなく、心も慰めに満たされるのです。

「柔和な者」とは色々な解釈が可能ですが、その原語のニュアンスは、バランス感覚ということができます。
主の聖霊によって生きる人は、自分の感情や経験や主張などに支配されないで、穏やかな判断ができるのです。
柔和とそのような人格を表しています。
そのような人は「地を相続する…」すなわち地上の世でも、人の上に立つようになってゆくのです。

「義に飢え渇いている人」とは、主の義を求める人です。
勧善懲悪的なヒロイズムの正義感とは違います。
主の義は愛が伴います。
主の義は必ず勝利しますから、満ちたりるのです。

「心のきよい者」の「きよい」は、聖霊に使われることばハギオスとは違うカサロスです。
これは純粋という意味があります。
心や興味関心に不順なものがなく、常に大切なものを求めているような心の状態です。
そのような人は一心に神を求めますから、神を経験し神のことばを聞き神を見ることができるのです。

「平和をつくる者」とは、平和が欲しいと求めるだけの者ではありません。
平和のないところ平安のない状態に、平和をもたらすのです。
それは愛と犠牲と高い理想と希望があってできることです。
それは主からいただくのです。

「義のために迫害されている者」は、単に迫害されているというのではなく「義のために」ということです。
「喜び…踊る」ほどの喜びが与えられるのは、主のために行動してそれゆえに苦労しても、負けない人です。

以上の真理、すなわち神の国の価値観に生きて、地の塩・世の光となりましょう。

祝福を祈ります。
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2021年01月19日

2021/1/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書4:12-25です。

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カペナウムなどがあるガリラヤ地方で、イエス様は働きを始められました。
そこはエルサレムから遠く、異邦人との接触も多い辺境の地で、イスラエルの中ではさげすまれていたような所です。
しかしそこで「民は偉大な光を見、…光が上がった。」のです。

神様はこの世の偏見や差別を打ち砕くことをもなさいます。
神様のみわざがこの世の自己中心的な価値観ではなく、神様の愛の価値観を表すからです。
それが主にふさわしいのです。
私たちも主の愛の価値観にふさわしい言動、決断、人間関係、生き方をしましょう。

そのようなガリラヤで漁師をしているということは、決して社会の上流層ではありませんでしたが、そのようなペテロたちに主は声をかけてくださいました。
彼らは「すぐに」イエス様に従う、用意のある人々だったのです。
主のみこころなら「すぐに」従いましょう。

ペテロなどは、この後も漁師をしていますが、最終的には、おびただしい魚が獲れるというイエス様の奇跡によって、献身しました。
それまでは仕事をしながらイエス様と交わり、学んでいたと思われます。
自分はどのように導かれるかは、明確でなくても、今あるままで主に従いましょう。
時が来れば、主は従う者にすばらしい希望を示して、声をかけてくださいます。

祝福を祈ります。
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2021年01月18日

2021/1/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書4:1-11です。

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イエス様が地上に来られた目的を生きるために、与えられた試練、すなわちテストです。
石をパンに変えるということは、神としての力で自分の必要を満たすということですが、イエス様はご自分の必要のためには生きられませんでした。

神殿から下に身を投げるとは、当時信じられていたセンセーショナルな登場の仕方をするということで、名声を意味します。
イエス様はご自分の名声を全く求めませんでした。
世の全ての富は文字どおりで、神の力を持ってすればイエス様は地上で全ての富を手に入れることなどたやすいのですが、それをされませんでし
た。

私たちは以上のものを手に入れたいと願うのですが、イエス様のように自分が生きる目的は何なのかを先ず考える必要があります。
また永遠に生きるために必要なものは何なのかも考えましょう。

祝福を祈ります。
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2021年01月17日

2021/1/17主日礼拝

1月17日の放送です。

下記をクリックすると、iTunesに登録されます。
2021年1月17日NGC SundayCelebration (iTunes)

また、下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2021年1月17日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2021年1月17日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2021年1月17日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。



賛美「イエスに高き誉れを」
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前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「歌いつつ歩まん」新聖歌325番
お知らせと報告など
賛美「主の導きの中を」
   「栄光・誉れ・栄えあれ」
   「明日をまもられるイエス様」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 使徒行伝4章23〜31節
メッセージ「生きた共同体であるために」
祈り・応答
賛美「驚き仰ぎ見る」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Miyuki
 Cho:DJshuntaro
 Key:DJshuntaro
 Dr:Ai
 PA:Nobu
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2021/1/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書3:11-17です。

本文とメッセージはこちら

「聖霊と火」とは、聖霊による信仰の救いと、火のように汚れを焼き尽くすきよめを意味すると思われます。
すなわち新生と聖化であり、救いを行いとも解釈できます。
救いは信仰によります。
すなわち行いによらないのですが、その後のクリスチャンの行き方には行いはとても重要です。

主への感謝と愛に動機付けられ、また聖霊の力によって良い行いができるのです。
良い行いをしたいと思わない人にとっては、「殻を消えない火で焼きつかされます。」ということばが有効になるでしょう。

イエス様は罪のないお方なのに、悔い改めまでも「正しいこと」として、模範を示されました。
それはイエス様が人類の罪を背負うためです。
罪の悔い改めは恥ずかしいことではなく、「正しいこと」です。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月16日

2021/1/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書3:1-10です。

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バプテスマのヨハネが授ける洗礼は、いわゆる水の洗いであって、主イエスとともに死にともに生きるという意味ではありません。
まだ十字架以前であったからです。
それでも多くの人が洗礼にあずかったのは、神様の前で御心にかなった歩みをしたいと願ったからです。

私たちは十字架によって救われましたが、それにふさわしく神様の御心にかなった歩みをしているでしょうか。
もしも救われているということに安住して、御心にかなう歩みへの意欲がなかったら、本当に悔い改めるべきです。
また「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」ことを本気で考えるべきです。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ