本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書27:57-66からです。
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イエス様の遺体を、弟子たちは丁寧にうやうやしく扱いました。
生前の尊敬からして当然でしょう。
私たちもクリスチャンの遺体に対して、たましいはここにはないからと、軽く見ることはありません。
この世に生きた人格への尊敬と感謝を表すことは主の御心です。
しかしまた、遺体を神のように扱うことはしません。
神は死に打ち勝った方、お一人だからです。
もしも遺体が神であったなら、そのような死には希望はありません。
この箇所では大切なことが確認できます。
ひとつはイエス様が実際に死なれたということです。
遺体として布にぐるぐる巻きにされて、没薬で固められて墓に入れられたのです。
完全に死んでいました。
もうひとつは、もしもその後に表れることでもあるなら、ユダヤの支配者にもローマ帝国にも不都合であったということです。
弟子たちのような民間人には決して盗まれないうように、兵力でこれを阻止しようとしました。
イエス様が仮死状態から息を吹き返して、ローマ兵を打ち破ることは不可能です。
また弟子たちが遺体を持って行くことも不可能です。
しかし、墓が空になっていたのです。
そこには、弟子たちが命をかけて”イエスはよみがえった”と証する事実があったことは間違いありません。
そしてその事実は、万物と命を創造した神がなさった事実なのです。
祝福を祈ります。
2020年04月11日
2020/4/11早天メッセージ
posted by DJshuntaro at 05:00
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