本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、テサロニケ人への第1の手紙5:1-11です。
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「主の日」とは、旧約においてはエドムの滅亡のように民族的なさばきを表しますが、新約においては聖日を、または終末的なさばきと救いの日をも表します。
いずれも共通の概念は、主の完全なる主権が実現するということです。
前節では「眠った人」すなわち肉体において死んだ人のことが書かれ、また生きたまま終末の再臨を迎える人のことも書かれています。
どちらも再臨のイエス様にお会いするという点では一緒で、その希望が宣言されています。
私たちの多くは肉体の死を迎えた後に主イエスと会うでしょう。
またはもしかしたら生きたままで再臨の主にお会いするかも知れません。
いずれにしても永遠の救い主である主イエスにお会いすることができるのです。
その日を希望として待ち遠しく思うのがクリスチャンです。
ただその日は「盗人のように」、知らない間に突然来るとあります。
私たちはその心の備え、信仰の備えが必要です。
備えとは「今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合」うということです。
なぜなら、終わりの日には主に人生を報告する必要があり、その点でほめられ(または叱責され)、そのときまでに地上の使命を全うする必要があるからです。
その使命とは、救いと成長です。
私たちにとっては、伝道と聖化です。
主の日がいつ来ても良いように、日々の使命において備えをも意識しつつ、歩んでいきましょう。
イエス様にお会いすることを希望として持ち続けましょう。
祝福を祈ります。
2020年11月07日
2020/11/7早天メッセージ
posted by DJshuntaro at 05:00
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