2021年01月31日

2021/1/31主日礼拝

1月31日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2021年1月31日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2021年1月31日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2021年1月31日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。




------------------------------------------------------------
前奏
賛美「暗闇に光」
招詞
礼拝祈祷
お知らせと報告など
賛美「みもとにひれ伏し」
  「主の手にわが手を重ね」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マタイによる福音書9章18〜26節
メッセージ「永遠の命・この世のいやし」
祈り・応答
賛美「ありがとう」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------



司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:岡本牧師
 Cho:Miyuki
 Key:Miyuki
 Dr:Ai
 PA:DJshuntaro
posted by DJshuntaro at 14:00 | Comment(0) | NGC SundayCelebration配信放送

2021/1/31早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書8:23-34です。

本文とメッセージはこちら

イエス様が神であるということは、全万物の造り主であるということです。
その御心のままに「風や湖までが言うことをきく」のは当たり前です。
私たちはもっと単順にイエス様の全能に信頼して良いのかもしれません。
恐がっているときに、「主よ助けてください」と呼び求めつつ、主に信頼しましょう。

またイエス様が神であるということは、見えない霊的な領域の権能者であるということでもあります。
悪霊の影響は今でもありますが、主イエスにより頼むことが大切です。

飼っていた者たちは、自分たちに損害があったからということで、イエス様に「立ち去ってください」と頼みましたが、悪霊から解放されて人生を取り戻した人のことは頭になかったようです。
自分の利害を、人の幸いやイエス様の栄光よりも優先する者にはなりたくありません。
自分自身を省みてみましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月30日

2021/1/30早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書8:14-22です。

本文とメッセージはこちら

イエス様が癒しのわざを行われたのは、ご自身がイザヤ書など旧約聖書に預言された救い主であることを証明するためでした。
実際、多くのユダヤ人が旧約聖書を調べて、イエス様が救い主であると信じたのです。
その中でもペテロのしゅうとめの癒しは、働き人の癒しという意図もあったでしょう。

このように神様のみわざは、神様ご自身の目的があり、それに沿って行われます。
もちろん人を愛して救うためのものですが、私たちが自分の都合や願望を最優先にして、自分のために奇跡を求めるのとは違います。

ただ信じる思いが強ければ願いがかなうというのではありません。
または祈りの賜物がある人に祈ってもらえばかなうというのでもありません。
神様のみこころによるのです。
イエス様は「求めなさい」と言われましたが、これは文法的には求め続けるという意味です。
ですから、もしも願い通りでない場合は、神様に祈ってよく聞いて、その御心を教えていただきましょう。
多くの場合その過程を通して、主はみわざを行ってくださるものです。

イエス様の弟子になるということは、「枕する所もない」というほどに大変ですから、覚悟が必要です。
しかしまた、それでも弟子になりたいという人がいたように、イエス様のために生きることは、すばらしいやりがいと希望と幸福に満ちた人生です。

「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」というのは、永遠のいのちを持たない人々の価値観は、神の国から遠いということを意味しています。
永遠のいのちを知らない人どうしで、納得いくように生きているわけですから、その価値観にクリスチャンが合わせる必要もないのです。
もしも合わせるとしたら、救いのためになされるものです。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月29日

2021/1/29早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書8:1-13です。

本文とメッセージはこちら

イエス様が癒しをなさった中心的な目的は、人を助けるためということではありません。
それならばもっと多くの人々を癒したはずです。
また神としての力を示すためでもありません。
それならば、その力を宣伝してもっと多くの名声を集めたでしょう。

イエス様が癒しをなさったのは、ご自分が聖書に預言された救い主であることを明らかにするためでした。
それで、まだ「だれにも話さないように」と言われたのです。
つまり宣伝のためではないということです。

百人隊長は異邦人でしたが、イエス様の神としての権威を知っていましたし、自分自身は本当にへりくだりつつ、みわざを求めました。
それでイエス様は、「御国の子らは」と、ユダヤ人の不信仰をとがめたのです。

神様に信頼しつつも、その主権の前に謙りひれ伏して、主の目的に従いましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月28日

2021/1/28早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書7:13-29です。

本文とメッセージはこちら

信仰の道は「狭い門」のように感じますが、だくさんの人が行く道が正しいとは限りません。
クリスチャンが多い時代や国もありますから、それは統計的な数字を言っているのではないでしょう。
安易な道よりも、主の道を選ぼうということです。

現代でも「にせ預言者」のように、神様の真理からはずれたことを主張する人はいます。
その判断基準は「実」です。
博学であったり、霊的に鋭く感じたり、祈りの力があるように見えたりしても、その人の人間関係や生活や牧会の結果がどうであるかということは、有力な判断材料になります。
主がいつも共におられるかということでしょう。

同じようにクリスチャンはみな、「実」によって判断されます。
それは「行う者」か「行わない者」かということです。
ディボーションをして、神の「ことばを聞いてそれを」行いましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月27日

2021/1/27早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書7:1-12です。

本文とメッセージはこちら

「さばく」とは決めつけるというような意味のことばです。
私たちは裁判官ではありませんから、さばくことはないと思いがちです。
しかし誰かを、悪く決めつけてしまうことはあるのではないでしょうか。
良い面も見てあげなければいけません。

親切や対処のために、人を客観的に判断することもあります。
その判断は当たっているでしょう。
しかしイエス様は、「まず自分の目から梁を取りのけなさい。」、すなわち自分自身に改善すべき点があることに気づきなさいと言っておられます。
どうでしょうか。
人のことは良く見えますし、変えたくなります。
しかし、人の問題を指摘して、その人が変わるほど簡単ではないのです。

神の国に生きる者は、まず自分から変わるのです。
そうして初めて、相手の本当の問題点が分かります。
相手を変えようとしている間は、自分の見方が中心で、神様の視点に立ってはいないのです。

犬や豚というのは大切なものの価値が分かりません。
聖なるものや高価なものを与えても無駄になることは見えています。
同じように、まだ心が神様の救いや真理に対して開かれていない人に、みことばや福音を教えても、無駄になるということです。
しかし神様に導かれている人は、いつまでも霊的無感覚ではないでしょう。
その人を愛しつつ、たましいの状態が変わって、主を求めるのを期待しましょう。

「求めなさい」「捜しなさい」「たたきなさい」と、イエス様は期待しながら主に求めることを勧めておられます。
天の父は、この世のどんな父よりも愛と恵に富んだお方です。

さばかないこと、主に信頼することによって、人を愛することができます。
そのようにして、「自分にしてもらいたいこと」を、身近な人に実行しましょう。
それは誰でしょうか。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月26日

2021/1/26早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書6:25-34です。

本文とメッセージはこちら

飲むもの食べるものや着るものなど、生活に必要なものを求めるなとは言っておられません。
優先順位のことを、イエス様は言っておられます。
私たちは、必要だから、心配だからと神の国を後回しにしていることがいかに多いことでしょうか。

鳥や花などは、自分で生活していないように見えます。
すなわち何も計画できませんし、そこにある環境にただ順応するだけです。
イエス様は人もそのようで、自分自身では何も決められないのだという意味で、それらの鳥や花と一緒であると語られます。

つまり、神様に養ってもらえなければ生きられないのが人間なのです。
その神様は鳥や花よりも、私たちを大切にしてくださるのです。
主をもっと信頼し、主に依り頼みましょう。

神の国とは神の支配です。
神様の主権を第一にしましょう。
そのご命令を。ご計画を。
また神の義とは、裁く義ではなく、悔い改める者を赦してきよめてくださる義です。
そのような救いそのものである義を、私たちの生き方の優先にしましょう。

生活が心配になってしまうのは、そのような神の国を第一にしていないからではないでしょうか。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月25日

2021/1/25早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書6:16-24です。

本文とメッセージはこちら

断食というのは大変な祈りで、そのような信仰は賞賛に値します。
それだけにそれを知られるなら尊敬されるでしょう。
知られたからといって、嘘をついているわけではありません。
それでもイエス様は「人には見られないで」と言われます。

見られることは罪ではありませんが、天の父に報いがもらえなくなるという、もったいない態度なのです。
人からの報いよりも、神様からの報いの方がはるかに良いことを、イエス様が保証しておられることが分かります。

自分の宝、富についてもイエス様は、神の国の価値観を教えてくださいます。
重要なことは、「神に仕える」ということです。
しかし、地上に宝を蓄えていると、天を見られなくなって目が曇ってしまい、神に仕えるということが分らなくなってしまいます。
神様のことや、そのみわざが見られなくなってしまうのです。

宝を天に蓄えましょう。
地上の宝をふやすよりも、天の宝をふやしましょう。
主はその宝を、必要なときに何倍にも増して与えてくださいます。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月24日

2021/1/24主日礼拝

1月24日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2021年1月24日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2021年1月24日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2021年1月24日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。



賛美「あなたの前に行きます」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「イエスに高き誉れを」
お知らせと報告など
賛美「主のなさることは」
  「ゆるぎない土台」
  「わたしを守る方」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マタイによる福音書7章1〜5節
メッセージ「自分自身がわかる人」
祈り・応答
賛美「とこしえの道」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------



司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Miyuki
 Cho:DJshuntaro
 Key:DJshuntaro
 PA:Nobu
posted by DJshuntaro at 12:48 | Comment(0) | NGC SundayCelebration配信放送

2021/1/24早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書6:1-15です。

本文とメッセージはこちら

救われた者の国籍は天にあります。
また新しく造られたもので、神様の永遠の価値観で生きる者です。
その生き方をする者は、良い報いを神様に期待します。
人に求めても期待はずれになります。
それで関係が悪くなることさえあります。

施し(与えること、してあげること、献金や援助など)も、祈り(信仰的な行動)も、主は知っていてくださいますので、それで十分です。
主がちゃんと報いてくださるのです。
人に求めて、がっかりしたり恨んだりすることは止めましょう。

また祈りは、回数やことば数のように、熱心さを表すパフォーマンスにならないようにしましょう。
祈りに大切なのは主への期待と、忠実さです。
またその心から来るところの内容です。

祈りが偏らないように、この主の祈りを模範としつつ、主との生きた交わりによって祈りましょう。
また人の罪を赦しましょう。
赦せないことがあるでしょうか。
それは明らかな罪だから赦せないのでしょうが、しかし罪だからこそ赦しになるのです。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月23日

2021/1/23早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書5:38-48です。

本文とメッセージはこちら

山上の垂訓と言われている、この箇所でのイエス様の説教は、非常に高い倫理基準です。
そこである人々は、これはあくまでも実現不可能な理想であって、それに向けて努力していけば良いのだと言います。
またある人は、どんなに高い基準でも神様の命令であるなら、絶対であって、それに反するなら本当のクリスチャンではないと言います。

そのどちらも極端であり、またこの世の論理に沿った考えであり、肉の力による発想であると言えるでしょう。
ここにあるのは神の国の論理であり、聖霊の力による生き方です。

人は神様の十字架によって罪赦されて救われて天国の希望が与えられると、その感謝から神様に喜ばれたいという気持ちが湧いてきます。
また神様の役に立ちたいと思うようになるものです。
そこで神様に、どのように生きたら良いのですかと、聞きたくなります。
そのような人々に語られたのがこの説教、すなわち山上の垂訓であると言えるでしょう。

このようなクリスチャンは、「左の頬も向けなさい」、「上着もやりなさい」、「敵を愛し」と言われると、やってみたいと思うものです。
そして単なる理想であって、実行しなくても良いのだと軽く考えることはないでしょう。
絶対の命令であるから、違反したら恐いという思いもないでしょう。

私たちは、自分の心のうちに、このようなきよい思いがあって、主の心と近くありたいと願うものなのです。
その思いを自分自身の内に発見しましょう。
私たちの国籍は天にあるのですから、その天の価値観があることを発見しましょう。
実際にやってみましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月22日

2021/1/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書5:27-37です。

本文とメッセージはこちら

「情欲をいだいて女を見る…」ということで、性的な本能まで否定するような、禁欲的な解釈もあったようです。
しかし本来原語では、特定の女性を見続けるということですから、自分の性的欲求を満たすために女性をターゲットにしているというような状況と言えるでしょう。

何より大切なのは、自分は行動に移していないから罪はないというのではなく、心に思っていることでも、罪は罪であるということです。
誰でも心にあることを実行します。
チャンスがあったら、ばれなかったらしてしまうということも多いのです。
ストレスで…怒りから…悪いと知りつつやってしまったという人も多いのです。
心の内はとても重要です。

ですからイエス様はつまづきになるようなもの、すなわち心に悪影響をおよぼすようなものを捨てなさいと命じておられます。
これは愛による勧めと思ってよいでしょう。

「離婚」のことも、当時の規定に沿っていれば自由だと考える風潮に、イエス様は問題を投げかけます。
規定や社会通念よりも、神様の前にどうであるかが重要です。

「誓い」に関しては、当時の人々は神をさして誓うなら絶対だが、それ以外の誓いは大目に見てもらえると、都合の良いことを考えました。
言い逃れをして自分を守れば、それで済むのではありません。
主の前にどうであるかです。
全能の主は見ておられ、知っておられます。
自分の考えを明確にしたなら、あとは主におまかせして、その責任のがれのようなことをするのは止めましょう。
正直であり、そして主を信頼しましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月21日

2021/1/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書5:17-26です。

本文とメッセージはこちら

救いは信仰によって与えられるもので、律法主義のように行いを強調するのは、むしろ不信仰であると考えるのは、勘違いです。
信仰によって救われたなら、良い行いをするように心がけるべきです。

神様は律法を「廃棄」なさったのではなく、「成就」されたのです。
つまり、イエス様の生涯において律法を正しく守り罪のない人として生きられました。
また人の罪を負って、律法の要求するさばきを完全に実現なさいました。
そして、その救いを信じて受け取る者にとって、さばきという律法の要求が満たされたこととなりました。
さらには、そのような救われた者は、聖霊によって正しく良い行いができるようになり、その結果律法の要求するところを満たす生き方ができるようになるのです。

このように、イエス様は何重もの意味で、完全に律法を「成就」されたのです。
私たちもその確かな信仰を持って、聖霊によって内側から、すなわち動機から変えられる者であるという、正しい自己像を持ちましょう。
それが「パリサイ人にまさる義」です。

兄弟姉妹を「能なし」「ばか者」というような、下に見る思いを捨てましょう。
関係が悪いなら、自分の信仰は正しいという観点で自己正当化するのではなく、「祭壇の前」すなわち信仰のルーティンをその「ままにして」でも謙り、「仲直り」しましょう。
訴えられても自分に分があると思わないで、「仲直り」しましょう。
どちらに非があるかではなく、平和はつくり出すものだからです。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月20日

2021/1/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書5:1-16です。

本文とメッセージはこちら

「心の貧しい者」とは、自分の心の内を謙遜に見つめて、主がいなければ自分はやっていけないのだと、主に依り頼む人です。
そのような人は「天の御国」すなわち、神の支配によってすばらしいみわざを見ることができます。

「悲しむ者」とは、それが自分のことであれば、主への信仰によって益と変えていただくことができ、また他の人のことであれば、その愛のゆえに主の恵みを見て、慰めれられることができるということです。
ただ良いことがありますというのではなく、心も慰めに満たされるのです。

「柔和な者」とは色々な解釈が可能ですが、その原語のニュアンスは、バランス感覚ということができます。
主の聖霊によって生きる人は、自分の感情や経験や主張などに支配されないで、穏やかな判断ができるのです。
柔和とそのような人格を表しています。
そのような人は「地を相続する…」すなわち地上の世でも、人の上に立つようになってゆくのです。

「義に飢え渇いている人」とは、主の義を求める人です。
勧善懲悪的なヒロイズムの正義感とは違います。
主の義は愛が伴います。
主の義は必ず勝利しますから、満ちたりるのです。

「心のきよい者」の「きよい」は、聖霊に使われることばハギオスとは違うカサロスです。
これは純粋という意味があります。
心や興味関心に不順なものがなく、常に大切なものを求めているような心の状態です。
そのような人は一心に神を求めますから、神を経験し神のことばを聞き神を見ることができるのです。

「平和をつくる者」とは、平和が欲しいと求めるだけの者ではありません。
平和のないところ平安のない状態に、平和をもたらすのです。
それは愛と犠牲と高い理想と希望があってできることです。
それは主からいただくのです。

「義のために迫害されている者」は、単に迫害されているというのではなく「義のために」ということです。
「喜び…踊る」ほどの喜びが与えられるのは、主のために行動してそれゆえに苦労しても、負けない人です。

以上の真理、すなわち神の国の価値観に生きて、地の塩・世の光となりましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月19日

2021/1/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書4:12-25です。

本文とメッセージはこちら

カペナウムなどがあるガリラヤ地方で、イエス様は働きを始められました。
そこはエルサレムから遠く、異邦人との接触も多い辺境の地で、イスラエルの中ではさげすまれていたような所です。
しかしそこで「民は偉大な光を見、…光が上がった。」のです。

神様はこの世の偏見や差別を打ち砕くことをもなさいます。
神様のみわざがこの世の自己中心的な価値観ではなく、神様の愛の価値観を表すからです。
それが主にふさわしいのです。
私たちも主の愛の価値観にふさわしい言動、決断、人間関係、生き方をしましょう。

そのようなガリラヤで漁師をしているということは、決して社会の上流層ではありませんでしたが、そのようなペテロたちに主は声をかけてくださいました。
彼らは「すぐに」イエス様に従う、用意のある人々だったのです。
主のみこころなら「すぐに」従いましょう。

ペテロなどは、この後も漁師をしていますが、最終的には、おびただしい魚が獲れるというイエス様の奇跡によって、献身しました。
それまでは仕事をしながらイエス様と交わり、学んでいたと思われます。
自分はどのように導かれるかは、明確でなくても、今あるままで主に従いましょう。
時が来れば、主は従う者にすばらしい希望を示して、声をかけてくださいます。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月18日

2021/1/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書4:1-11です。

本文とメッセージはこちら

イエス様が地上に来られた目的を生きるために、与えられた試練、すなわちテストです。
石をパンに変えるということは、神としての力で自分の必要を満たすということですが、イエス様はご自分の必要のためには生きられませんでした。

神殿から下に身を投げるとは、当時信じられていたセンセーショナルな登場の仕方をするということで、名声を意味します。
イエス様はご自分の名声を全く求めませんでした。
世の全ての富は文字どおりで、神の力を持ってすればイエス様は地上で全ての富を手に入れることなどたやすいのですが、それをされませんでし
た。

私たちは以上のものを手に入れたいと願うのですが、イエス様のように自分が生きる目的は何なのかを先ず考える必要があります。
また永遠に生きるために必要なものは何なのかも考えましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月17日

2021/1/17主日礼拝

1月17日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2021年1月17日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2021年1月17日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2021年1月17日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。



賛美「イエスに高き誉れを」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「歌いつつ歩まん」新聖歌325番
お知らせと報告など
賛美「主の導きの中を」
  「栄光・誉れ・栄えあれ」
  「明日をまもられるイエス様」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 使徒行伝4章23〜31節
メッセージ「生きた共同体であるために」
祈り・応答
賛美「驚き仰ぎ見る」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------



司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Miyuki
 Cho:DJshuntaro
 Key:DJshuntaro
 Dr:Ai
 PA:Nobu
posted by DJshuntaro at 13:00 | Comment(0) | NGC SundayCelebration配信放送

2021/1/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書3:11-17です。

本文とメッセージはこちら

「聖霊と火」とは、聖霊による信仰の救いと、火のように汚れを焼き尽くすきよめを意味すると思われます。
すなわち新生と聖化であり、救いを行いとも解釈できます。
救いは信仰によります。
すなわち行いによらないのですが、その後のクリスチャンの行き方には行いはとても重要です。

主への感謝と愛に動機付けられ、また聖霊の力によって良い行いができるのです。
良い行いをしたいと思わない人にとっては、「殻を消えない火で焼きつかされます。」ということばが有効になるでしょう。

イエス様は罪のないお方なのに、悔い改めまでも「正しいこと」として、模範を示されました。
それはイエス様が人類の罪を背負うためです。
罪の悔い改めは恥ずかしいことではなく、「正しいこと」です。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月16日

2021/1/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書3:1-10です。

本文とメッセージはこちら

バプテスマのヨハネが授ける洗礼は、いわゆる水の洗いであって、主イエスとともに死にともに生きるという意味ではありません。
まだ十字架以前であったからです。
それでも多くの人が洗礼にあずかったのは、神様の前で御心にかなった歩みをしたいと願ったからです。

私たちは十字架によって救われましたが、それにふさわしく神様の御心にかなった歩みをしているでしょうか。
もしも救われているということに安住して、御心にかなう歩みへの意欲がなかったら、本当に悔い改めるべきです。
また「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」ことを本気で考えるべきです。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2021年01月15日

2021/1/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書2:13-23です。

本文とメッセージはこちら

神様が行おうとすることには、どんな権力もそれを妨げることはできません。
イエス様は守られましたが、権力者であったヘロデは死んで滅んでゆきました。
私たちは主のご計画が成ることを確信して、従って行きましょう。

それにしてもイエス様が守られましたが、多くの子どもたちは殺されました。
これはどのように考えたらよいのでしょうか。

この「ラマで声が…子らのために泣いている。…」という預言は、エレミヤ書にあります。
エレミヤ書にはイスラルの反逆とその結果としてのさばきが記されてあり、この預言もその流れの中にあります。
しかしその後には希望も記されているのです。
「ラマで声がする…」というような、愛する者とくに子どもを失うという悲しみは、イスラエル全体のものであり、さらには人類全体の悲しみでもあるということです。

そしてその原因は何であるかというと、単にヘロデという圧制者だけでななく、人類が共通して持つ罪の問題なのです。
全ての人の内にある罪が、自然を呪われたものとして、災害を引き起こします。
罪が非人道的な圧制者を生み出し、それに従う者を起こすのです。
そして人類は罪ゆえに神なき永遠の苦しみへと向かってゆくのです。
悲しむ者は当時子を失った母親だけではありません。

これら人類の罪を自ら負って、十字架で身代わりの死を遂げてくださったのが、このときは命救われたイエス様であり、愛する子を失った悲しみにくれたのは、父なる神ご自身であったのです。
まさに神様が、このラケルの悲しみを含めて、人類の全ての悲しみを背負ってくださった…というべきでしょう。

主に感謝しつつ、そのような愛を実現された神様の全能を恐れて、信頼しましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ