2022年02月28日

2022/2/28早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書17:11-21です。

本文とメッセージはこちら

10人が癒されましたが、感謝しに来たのはひとりだけでした。
残りの9人にとっては、神様などはどうでもよいのです。
ただ自分の願いがかなえばよかっただけでした。

私たちもそのような心でいないか考えてみる必要があります。
祈りますが、それが聞かれると祈ったことさえ忘れてしまう…。
そんなことはないでしょうか。

神様が祈りに応えてくださるのは、私たちとの愛の交わりのためです。
主が生きておられ、私たちのような罪人の祈りに聞いてくださる主の愛を感じたなら、その主に心からの感謝をささげましょう。
時にはささげものや奉仕によって感謝を表しましょう。

また神の国についてイエス様は、その思い違いを正されます。
当時の人々は神の国とは、ローマ帝国に対抗できる国家と思っていました。
また現代のクリスチャンなら、やがて来る天国と思う人もあるでしょう。

しかし神の国の本質は神の支配です。
心が聖霊に満たされるならそれは神の国です。
交わりが主の愛によるならそれも神の国です。
その結果国家が祝されれば、旧約のイスラエルが繁栄した時期のようになります。
また神の支配の永遠・究極のものが来るべき天の国です。

神の国を求めましょう。
まずは自分自身の心が神様に支配されることを望みましょう。

祝福を祈ります。
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2022年02月27日

2022/2/27主日礼拝

2月27日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年2月27日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2022年2月27日NGC SundayCelebration (WMP)

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2022年2月27日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。



賛美「野に咲く花」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「鹿のように」
お知らせと報告など
賛美「野に咲く花」
   「誰も見たことのないことが」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ルカによる福音書19章1〜10節
メッセージ「そこから降りてイエスのもとへ」
祈り・応答
賛美「主のもとへと走り出そう」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------



司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Miyuki
 Cho:Setsuko
 Key:Setsuko
 Dr:Nobu
 PA:Ai
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2022/2/27早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書17:1-10です。

本文とメッセージはこちら

「小さい者」すなわち年数の浅いクリスチャンや求道者などが、その信仰を萎えさせるようなことのないように、気をつけましょう。
もしも何か心配なことがあったら、できるだけのケアをしましょう。

また悔い改める人は赦しましょう。
そのためには「信仰を増し加えてください」(5)と祈りたくもなるでしょうが、信仰は多いか少ないかではなく、あるかないかです。
小さな「からし種ほどの信仰」(6)でも、種のように生きた信仰なら主の大いなるみわざを見ることができるのです。
生きた信仰とは成長するということです。
成長への願いがあるでしょうか。
もしもそれが薄いなら何か信仰の不健全さをかかえていると思われます。
そのままにしないで、祈り、告白して、主のみわざによって解決していただきましょう。

また信仰が生きているかどうかを見るには、主のために役に立ちたいかどうかでも分かります。
そのような願いのある人とは、いくらでも主のためにしたいですから、まだまだ「役に立たない」とも思うでしょう。
一方、その願いの薄い人は、これだけやっているのから十分だ…または、やっているのに何も良いことがない…などと思ってしまいます。

あなたはどちらでしょうか。
その信仰は種のように生きていて、可能性に満ちているでしょうか。

祝福を祈ります。
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2022年02月26日

2022/2/26早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書16:14-31です。

本文とメッセージはこちら

お金や、結婚などの家庭生活で自分の思い通りにできたとしても、神様の前にどのように生きたかが最終的には問われます。
そしてそれが永遠を決定付けるのです。

またこのラザロのように不遇に見えても、神様の前にどのようであるかが、永遠の幸いを決定付けるのです。

「モーセと預言者」(29)すなわち聖書の価値観でしっかりと人生を考えて、生きましょう。

祝福を祈ります。
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2022年02月25日

2022/2/25早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書16:1-13です。

本文とメッセージはこちら

この世のどんなビジネスも、不道徳と関わらないものはありません。
客や取引先などに問題のある場合もあるでしょうし、労働条件や社会倫理に問題のある企業も多いでしょう。
ではクリスチャンはこの世のどんな仕事とも関わってはならないのかというとそうではありません。

イエス様は「不正の富で、自分のために友をつくりなさい」(9)と言われます。
この世のビジネスでも、別の目的のために有用であるということです。
特に「友」ですが、これは永遠の友ということでしょう。
すなわちこの世のわざは罪と関連せざるを得ないが、それでもそれらを神様の永遠の価値のために用いることができるということです。

自分の職場、家庭、学校が問題だらけだと嘆くよりも、その状況を利用して、永遠の友をいかに作ることができるか…、それを考えて見ましょう。

祝福を祈ります。
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2022年02月24日

2022/2/24早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書15:11-32です。

本文とメッセージはこちら

父を死んだもののようにして、その恵みだけをもらおうとするのは、まさに神を無視する人間の姿です。
結局神無しでは破綻するのです。
しかし完全な愛をもって息子の帰還を受け入れた、その神様の愛に感謝しましょう。

兄のような裁く心がないかも探ってみましょう。

祝福を祈ります。
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2022年02月23日

2022/2/23早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書15:1-10です。

本文とメッセージはこちら

パリサイ人や律法学者にとって、罪人とは外面的なものであって、人々の心の内面や事情などは考えていませんでした。
むしろ自分たちの立場が守られることで、自分は義人だと自負していたようです。

しかしイエス様は人の内面を知る方であり、立場ではなく1人1人と人格的に関わってくださる方です。
神にとっては全ての人が罪人であり、また同時にいつくしむべき存在であり、救いの対象なのです。

一匹の羊のたとえは存在の危機をテーマにしており、滅びからの救いです。
私たちはこの迷い出た羊でしたが、今は主の「家に戻って」、「喜んで」いただける存在です。

一枚の銀貨のたとえは目的の危機をテーマにしており、機能不全からの回復です。
人間は神様のもとにあってこそ目的と使命が果たせるのに、それができなくなって人生に価値がなくってしまったものですが、主が見出してくださったのです。
私たちは主の手にあるので、「喜びがあ」る存在となることができました。

主に見出され、滅びから救いに、無目的から使命へと、自分自身を変えていただいたことに感謝しましょう。
そのような自己像を新たにしましょう。
そのような者としての生き方を選び取りましょう。

祝福を祈ります。
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2022年02月22日

2022/2/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書14:25-35です。

本文とメッセージはこちら

からし種のたとえように、信仰というのは”あるか”または”ないか”です。
救いと滅びに中間がないように、神とサタンにその中間がないように…です。
ですから信じた者の生き方も、神に従うか従わないか…そのどちからかなのです。

生きている者には成長があるので、その過程を見ると中間があるように思えるかもしれませんが、それは違います。
神とサタン、または信仰と不信仰、救いと滅びの中間にいるということはないのです。
私たちは、神に信仰にそして救いにいるのです。

ですから救われた者は、主の弟子になって主のために生きるか、それとも主に従わないで主の邪魔をして生きるか、そのどちからかなのです。
実際使徒の働きでは、ほとんどがクリスチャンとは書かれずに「弟子」と書かれています。

「弟子」としての歩みをするなら訓練や成長が必要です。
それはこの世を生きるための力ですから、良いことなのです。
生き抜く力なしに、”自分は楽がいいから”と「計算」も「考え」もなしにいるなら、その人の人生は弱く危うく苦しみの多いものになるでしょう。

一方イエス様の「弟子」になるなら、主の使命と計画を成し遂げる力にあふれ、そのために必要と恵みが与えられ、主の愛に中に満たされて生きることができるのです。

どちらが良いでしょうか。
地上の限りある生涯において、自分はどちらを選ぶのか、それを決断するときが必要です。
「塩け」のある者になりましょう。

祝福を祈ります。
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2022年02月21日

2022/2/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書14:15-24です。

本文とメッセージはこちら

「神の国で食事をする」(15)というのは、救いが前提となっています。
イエス様のこのたとえは、第一にはイスラエルの民を指しています。
神様は救いのために彼らを招いたのに、彼らはそれを拒絶しました。
その結果救いは異邦人に及んだのです。
もちろんそれも含めて神様の全世界を救われる御計画でしたが、イスラエルは救いの招きを拒んだのです。

そしてイエス様がたとえの中で、非常に日常的な断りのことばを使っています。
ということは現代もいるであろう人々、すなわち自分の生活を言い訳にして神の招きに応じない人々についても言っておられるようです。

私たちは感謝なことに、これらのような拒む人ではなく、招きに応じる人となれました。
であるなら今も、主の招きには応じる者でありましょう。
神の子どもとなったと安心して、自分の生活にかこつけて拒むことのないようにしましょう。

生活を守ってくださるのは主です。
また主の招きは盛大な宴会のように、楽しくめでたく喜びに満ちたものだからです。

祝福を祈ります。
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2022年02月20日

2022/2/20主日礼拝

2月20日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年2月20日NGC SundayCelebration (YouTube)

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2022年2月20日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2022年2月20日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。



賛美「力ある主」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「栄光ある主の御名」
お知らせと報告など
賛美「きぼう」
   「主は良いお方」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ルカによる福音書16章1〜13節
メッセージ「不正の世で神に仕える」
祈り・応答
賛美「世にある限り」聖歌298番(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------



司会:牛嶋吉隆兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:岡本節子副牧師
 Cho:Miyuki
 Key:Miyuki
 Dr:Yoshika
 PA:DJshuntaro
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2022/2/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書14:1-14です。

本文とメッセージはこちら

安息日にイエス様がいやしを行うなら、批判の口実になると、彼らは待ち構えていました。
自分の義を主張する人々にとっては、水腫をわずらう人は都合のよい罠としか思えなかったのでしょう。
しかしイエス様は彼を「抱いて癒やし」(4)ました。
何という愛でしょうか。
単に体をいやすだけではなく、愛で包み込んで心までもいやされたのです。

私たちに対するイエス様の愛もこれと同じです。
また主の安息日はこのようなものです。
形式を守るのではなく、また主から離れて自分の都合を第一にするのではなく、イエス様の愛のわざを現実にいただけるのです。

そのような価値観は神の国のものです。
自分の都合や正当化を考えないで、ただ主のみこころのみを求めるということです。
もしかしたらそのような生き方、また日曜日は不安でしょうか。
イエス様は自分で自分を満たそうとするのではなく、主によって満たしていただきなさいと言われます。
すなわち、上席などの権威やお返しなどの利得を求めるのではなく、主からそれらをいただきなさいということです。

その神の国の価値観の原点が安息日(日曜日)の礼拝にあるのです。
そのような命ある礼拝をささげましょう。
また安息日に表されるイエス様の愛に抱かれつつ、安心と希望で生きましょう。

祝福を祈ります。
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2022年02月19日

2022/2/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書13:22-35です。

本文とメッセージはこちら

選民と自負していたユダヤ人たち、特に指導者であったパリサイ人や律法学者などは、自分たちが「大通りで」(26)教えてもらったりまた教えたりししながら、ただ宗教的であることによって「救われる人」(23)と信じていました。
しかしながらイエス様は「門から入るように」(24)と言われます。
すなわち救われるには、定められた入り口(原文では単数)があるということです。

その入り口である「門」は「狭い」とイエス様は言われますが、現在世界で20億以上のクリスチャンがいることを考えると狭い感じはしないかもしれません。
しかし個人的に考えれば、その入り口は決して楽なものではなく、覚悟の要る「狭い」ものと考えてよいでしょう。

イエス様もその救いのためにエルサレムで死ぬお覚悟で進まれました。
覚悟を持って信仰の道を歩みましょう。

祝福を祈ります。
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2022年02月18日

2022/2/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書13:10-21です。

本文とメッセージはこちら

律法は神様の義を表すもので、それ自体は良いものです。
しかし律法を守り通すことはできないので、律法によって救われる人は1人もなく、誰であっても律法の前には不完全な自分を嘆くことになるはずです。

しかし当時の宗教の専門家、すなわち律法学者やパリサイ人、そしてこの会堂管理者もそれでは立場が守られないので、外面的や形式的に律法を守り、権威を保っていました。
「安息日にはいけない。」(14)というのもその表れです。

ところでイエス様が悪霊追い出しや癒しのわざをなさった目的は、旧約に預言されたわざを行うことによって御自身が救い主であることを明らかにするためでした。
つまり救いのわざであり、解放のわざです。

ここに律法による救いと、恵みによる救いの違いがあります。
前者は不可能であり形式だけになります。
後者は唯一の救いの道であり、形式ではなく愛によるわざです。
「反対していた者たちはみな恥じ入り、群衆はみな、…喜んだ。」(17)とあるのは、この愛のわざのすばらしさに気づいたからでしょう。

私たちも律法主義、すなわち形式的、外面的な保身に陥っていないか省みる必要があります。
恵みに感じて、また応答して神様と交わって歩んでいるか、心を探ってみる必要があります。
それには立派なまたは偉大な信仰者になる必要は必ずしもありません。
神の国、すなわち神の支配は私たちにいのちを与えますから、そのいのちが生きている以上、成長するのです。
からし種のように小さくても、聖霊のいのちをいただいていれば必ず大きくなるのです。
成長するものでありましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2022年02月17日

2022/2/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書13:1-9です。

本文とメッセージはこちら

神殿で殺された人々、また事故で死んだ人々に関しては、律法主義のユダヤでは罪のゆえにさばかれて死んだとの考えがありました。
日本でも因果応報の考えがあって、そのような目で見られて苦しむ人々がいます。

イエス様はそのような人々のことを、「罪の負債があったと思いますか。そんなことはありません。」(4-5)と、因果応報を否定なさいます。
それはこの世の苦しみよりもはるかに、死後の「滅び」のほうが恐ろしいものだからです。
この世で自分には苦しみが少ないから悪い因果はないんだと安心していても、後に来るさばきと滅びを憂いて悔い改める必要があるのだとも言えます。

真理は私たちを悪しき因果から解放しますが、それと同時に全ての人に平等に臨む神のさばきを認め、そして全ての人に平等に与えられた救いの招きに応答する必要があるのです。

招きに応答するとは、これまでの不信仰を悔い改めて、神へと方向転換することです。
それには悔い改めの「実」を結ぶ必要があります。
主が「実を探しに来ているが、見つからない。」(7)ということのないように、そして「切り倒」されることのないように、信仰の実を結びましょう。
今はあわれみの時なのですから。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2022年02月16日

2022/2/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書12:49-59です。

本文とメッセージはこちら

この世は創造の神を無視するような価値観がまかり通っています。
ですからそのままの状態で平穏であったとしても、それは全体が滅びに向かっているに過ぎません。
しかも平穏に見えるのも一時であって、神を無視する価値観は人間中心ですから死への解決がなく、また人間はあくまでも自己中心ですから平穏は争いに変わってしまうのです。

つまり見かけの平穏は脆いものなのであって、イエス様はそのような平穏のために来られたのではありません。
すなわち「平和をもたらすために来た」(51)のではないのです。
むしろ神を無視する価値観の中では、神を信じて従う者がうとましい存在でしょうし、死の解決をいただいた者は理解不可能に見えるかもしれませんし、自己中心でない者は煙たがられるかもしれません。
ですからイエス様は「むしろ分裂です。」(51)と言われたのです。

私たちはそのことを恐れて、日和見的であっては、本当に価値のある生き方を失ってしまうでしょう。
今は福音が伝えられている恵みのときですから「時代を見分け」(56)るときであり、また主が働いておられるときですから、「和解」(58)のときです。

今は大丈夫…と脆い平穏に身を隠すのではなく、本当の価値、永遠の平和のためにリスクを恐れないでいきましょう。
全能の主権者であられる神は、そのような者のそばにいて助けてくださいます。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2022年02月15日

2022/2/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書12:35-48です。

本文とメッセージはこちら

このたとえは主イエス様がやがてさばき主として地上に来られるときのことを意味しています。
それは思いがけないときに来るので、常にその用意をしている必要があるということです。

主イエスの十字架を受け入れて救われたクリスチャンは、みなが平等で一律に報いを受けると早合点する人もあるかもしれませんが、実は違います。
赦しと救いを全く同じように受けるとともに、報いの点では違うのです。
天に宝を積むことやこの世での行いが違います。
それとともに、「忠実で賢い管理人」(42)であることも報いの違いを生み出すのです。

とは言え、神なる主は全知のお方ですから、その日まで私たちの行いが分からないということはありません。
ですから主イエスがまだ来られなくても、私たちの今の備えは無駄ということはありません。
”もしも今日主イエスが来られたら”という感覚を忘れずに生活する習慣を身に着けましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2022年02月14日

2022/2/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書12:22-34です。

本文とメッセージはこちら

「だから…言います。」(22)というのは、財産よりもいのちがが大切であり、神の前に富む者となることが重要であるから…という前の内容を受けたものです。
ここで「いのちのことで…心配するのはやめなさい。」(22)というのは、肉体のいのちのことです。
永遠のいのちがあるからこそ、「おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。」(20)ということがあっても安心であり、また永遠の神の前に富む者になることもできるのです。

そして、”永遠のいのちとは神との永遠の愛の関係である”ということを考えれば、鳥やゆりよりも愛されている私たちが、地上にあっても安心なのだと分かります。
主に全くゆだねてだいじょうぶなのです。

主の働きのためには自分は豊かになりたいのだ…という人がいたとしても、主は「恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださる」(32)と言っておられます。
自分が富むことが主の働きの条件ではありません。
むしろ、神を知っている者は天に「宝を積み」上げます。
そこから主の助けが与えられるからです。

自分の人生も、教会も、教会の小グループも、天に宝を積み上げましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ

2022年02月13日

2022/2/13主日礼拝

2月13日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年2月13日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2022年2月13日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2022年2月13日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。



賛美「あなたの前に行きます」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「驚き仰ぎ見る」
お知らせと報告など
賛美「神の国が心に」
   「主は今生きておられる」
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ルカによる福音書12章49〜53節
メッセージ「まことの平和のために」
祈り・応答
賛美「平和はじめて知った」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------



司会:牛嶋吉隆兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Yama
 Cho:Setsuko
 Key:Setsuko
 Dr:Nobu
 PA:DJshuntaro
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2022/2/13早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書12:13-21です。

本文とメッセージはこちら

相続争いなど家庭の悩みで教会を訪ねる人は多いですが、イエス様はそのことに解決を与えることはなさいませんでした。
むしろそれよりも大切なことがあると、財産よりも命の大切さを語られたのでした。

この世の多くの悩みは、命よりも財産を過大に求めるところから生じるようです。
この喩え話は、私たちにとって一生覚えておくべきものでしょう。

私たちは神の前に富む者でありたいと思います。
それは永遠の財産であり、天国にも蓄えられているものであり、地上でも必要とあれば主が天の窓を開いて惜しみなく与えてくださるものだからです。

祝福を祈ります。
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2022年02月12日

2022/2/12早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書12:1-12です。

本文とメッセージはこちら

パリサイ人はユダヤ宗教の教師で、その特権ゆえに自分は義人であるということを見せられる人々でした。
しかしその偽善は明らかで、イエス様は「おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません。」(2)と言われましたが、それは時代を越えて、私たちへの戒めでもあります。

そもそも、「おおわれている」から丈夫だという考えがあるのは、神を恐れていないからです。
永遠のさばきの権威を持っておられる方を恐れるべきであるのは言うまでもありません。

逆説的ですが、神様の義と権威を恐れる人はそのみこころに沿っていこうとしますから、神様のさばきを恐れる必要がなくなります。
もちろん十字架による赦しがあってのことですが、すでに救われている私たちも、安心しきってしまい神を恐れることを忘れていないか、自己吟味が必要です。

人よりも神を恐れる者は、人が見ていなくても正しい方向を選ぶことができます。
また誰に対してもビクビクしません。
そしてそのような価値観は、証しのときに表れます。
イエス様を知らないとは言わないでしょう。
そして聖霊によって語ることができるのです。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ