2022年02月22日

2022/2/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書14:25-35です。

本文とメッセージはこちら

からし種のたとえように、信仰というのは”あるか”または”ないか”です。
救いと滅びに中間がないように、神とサタンにその中間がないように…です。
ですから信じた者の生き方も、神に従うか従わないか…そのどちからかなのです。

生きている者には成長があるので、その過程を見ると中間があるように思えるかもしれませんが、それは違います。
神とサタン、または信仰と不信仰、救いと滅びの中間にいるということはないのです。
私たちは、神に信仰にそして救いにいるのです。

ですから救われた者は、主の弟子になって主のために生きるか、それとも主に従わないで主の邪魔をして生きるか、そのどちからかなのです。
実際使徒の働きでは、ほとんどがクリスチャンとは書かれずに「弟子」と書かれています。

「弟子」としての歩みをするなら訓練や成長が必要です。
それはこの世を生きるための力ですから、良いことなのです。
生き抜く力なしに、”自分は楽がいいから”と「計算」も「考え」もなしにいるなら、その人の人生は弱く危うく苦しみの多いものになるでしょう。

一方イエス様の「弟子」になるなら、主の使命と計画を成し遂げる力にあふれ、そのために必要と恵みが与えられ、主の愛に中に満たされて生きることができるのです。

どちらが良いでしょうか。
地上の限りある生涯において、自分はどちらを選ぶのか、それを決断するときが必要です。
「塩け」のある者になりましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ