本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書24:44-53です。
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イエス様の復活は歴史的資料から見ても、事実として扱われます。
また弟子たちの心理から見ても、ローマ帝国の対応から見ても否定できないものです。
そしてそれは単に死人が生き返ったという以上の意味があるのです。
それは「モーセの律法と預言者たちの書と詩篇」(44)が成就したということです。
また「罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(47)ために不可欠なことだったのです。
私たちの信仰の希望がイエス様の復活にあることを、もう一度心に深く留めましょう。
弟子たちにとっても死に対する勝利は非常な喜びでした。
しかし復活は単に喜びだけではなく、「証人」となるべく与えられた希望でもあるのです。
私たちも復活の証人でありましょう。
死に打ち勝った信仰のすばらしさを伝えましょう。
サタンに打ち勝った主の恵みによって、自分にも与えられた勝利を誰かに伝えましょう。
祝福を祈ります。
2022年03月31日
2022/3/31早天メッセージ
posted by DJshuntaro at 05:00
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2022年03月30日
2022/3/30早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書24:28-43です。
本文とメッセージはこちら
なぜ彼らがイエス様を見ながら分らなかったのかは不明です。
しかしパンを取って祝福する行為はイエス様の様子を思い出させたと思われますから、最後の晩餐のような霊的な行為に聖霊様が働かれたのでしょう。
人に善き気づきを与えるのは聖霊ですが、聖霊に働いていただけるような行為をするのは人間です。
どんなことも聖霊によらなければ力も恵みもありませんから、聖霊を求めるためにできるだけのことをしましょう。
イエス様がよみがえったことは、弟子たちでさえ信じられなかったほどの驚きでした。
ですから彼らの信仰は心の内に始まった主観や想像によるのではなく、事実によっているのです。
祈りに答えてくださった事実や、聖徒の証しの事実を受け取りましょう。
何よりも自分を救いによって変えてくださった事実を感謝して受け止めましょう。
そして復活の信仰を堅く持ち、死に勝利した主の力によって、どんな時にも希望を持ち続けましょう。
祝福を祈ります。
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なぜ彼らがイエス様を見ながら分らなかったのかは不明です。
しかしパンを取って祝福する行為はイエス様の様子を思い出させたと思われますから、最後の晩餐のような霊的な行為に聖霊様が働かれたのでしょう。
人に善き気づきを与えるのは聖霊ですが、聖霊に働いていただけるような行為をするのは人間です。
どんなことも聖霊によらなければ力も恵みもありませんから、聖霊を求めるためにできるだけのことをしましょう。
イエス様がよみがえったことは、弟子たちでさえ信じられなかったほどの驚きでした。
ですから彼らの信仰は心の内に始まった主観や想像によるのではなく、事実によっているのです。
祈りに答えてくださった事実や、聖徒の証しの事実を受け取りましょう。
何よりも自分を救いによって変えてくださった事実を感謝して受け止めましょう。
そして復活の信仰を堅く持ち、死に勝利した主の力によって、どんな時にも希望を持ち続けましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月29日
2022/3/29早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書24:13-27です。
本文とメッセージはこちら
イエス様がおられたのに彼らはそれに気づきませんでした。
イエス様の出来事を聖書を通して見ていなかったからです。
私たち自身にも様々な出来事がありますが、それらを聖書によって見なければ、本質を見誤ってしまいますから、注意しましょう。
デボーションの中で、すなわち祈りと御言葉によって、主から教えていただくことです。
特に大切なのはイエス様との関係です。
「イエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。」(27)とあるように、聖書はイエス様のことが書かれているのです。
イエス様との生きた交わりを喜びつつ、聖書から、自分自身の出来事について、御心を教えていただきましょう。
祝福を祈ります。
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イエス様がおられたのに彼らはそれに気づきませんでした。
イエス様の出来事を聖書を通して見ていなかったからです。
私たち自身にも様々な出来事がありますが、それらを聖書によって見なければ、本質を見誤ってしまいますから、注意しましょう。
デボーションの中で、すなわち祈りと御言葉によって、主から教えていただくことです。
特に大切なのはイエス様との関係です。
「イエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。」(27)とあるように、聖書はイエス様のことが書かれているのです。
イエス様との生きた交わりを喜びつつ、聖書から、自分自身の出来事について、御心を教えていただきましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月28日
2022/3/28早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書24:1-12です。
本文とメッセージはこちら
弟子たちでさえ復活を信じることができませんでした。
人は死の前には希望を持つこともできないほど無力なのです。
しかし主イエスは人類の初穂としてよみがえりました。
復活は事実であるから力があります。
弟子たちの内面の希望という程度であるなら、誰もその希望を持つことがきないからです。
信じることができなくても、事実を見ることはできます。
それは歴史的に記録が残されている事実です。
それが復活の信仰なのです。
そしてその事実の上に、私たちの希望は成り立っています。
私たちの身代わりに死んでよみがえったということは、私たちが同じようになるということだからです。
永遠のいのちの希望を持ち続けましょう。
それが人に伝わるような生き方をしましょう。
祝福を祈ります。
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弟子たちでさえ復活を信じることができませんでした。
人は死の前には希望を持つこともできないほど無力なのです。
しかし主イエスは人類の初穂としてよみがえりました。
復活は事実であるから力があります。
弟子たちの内面の希望という程度であるなら、誰もその希望を持つことがきないからです。
信じることができなくても、事実を見ることはできます。
それは歴史的に記録が残されている事実です。
それが復活の信仰なのです。
そしてその事実の上に、私たちの希望は成り立っています。
私たちの身代わりに死んでよみがえったということは、私たちが同じようになるということだからです。
永遠のいのちの希望を持ち続けましょう。
それが人に伝わるような生き方をしましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月27日
2022/3/27主日礼拝
3月27日の放送です。
下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年3月27日NGC SundayCelebration (YouTube)
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2022年3月27日NGC SundayCelebration (WMP)
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2022年3月27日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
賛美「暗闇に光」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「小羊イエスよ」
お知らせと報告など
賛美「聞け我らの賛美」
「光のある間に」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ルカによる福音書24章28〜35節
メッセージ「心を燃やして生きる」
祈り・応答
賛美「心燃やしてさあ輝け」(献金)
音楽「イザヤ書41章10節」
派遣のあいさつ
祈祷
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
音楽:兼田周姉
Praise & Worship
WL:Miyuki
Cho:Setsuko
Key:Setsuko
Dr:Nobu
PA:DJshuntaro
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招詞
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「光のある間に」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ルカによる福音書24章28〜35節
メッセージ「心を燃やして生きる」
祈り・応答
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音楽「イザヤ書41章10節」
派遣のあいさつ
祈祷
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
音楽:兼田周姉
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| NGC Service配信放送
2022/3/27早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書23:44-56です。
本文とメッセージはこちら
神殿の幕は神様の聖と人間の罪とを隔てるものでしたが、その断絶がなくなったことを意味します。
もちろんイエス様の十字架によって、人の罪が赦され、神に受け入れられるものとなれるからです。
もはや私たちと神様とを隔てるものはないのです。
大胆に恵みの御座に近づきましょう。
イエス様を十字架につけた者がいた反面、イエス様の死を悲しみ悼んだ人もいました。
信仰はその人の内面によるのです。
私たちは世の中がイエス様を否定しても、あくまでも信仰を持ち続けましょう。
祝福を祈ります。
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神殿の幕は神様の聖と人間の罪とを隔てるものでしたが、その断絶がなくなったことを意味します。
もちろんイエス様の十字架によって、人の罪が赦され、神に受け入れられるものとなれるからです。
もはや私たちと神様とを隔てるものはないのです。
大胆に恵みの御座に近づきましょう。
イエス様を十字架につけた者がいた反面、イエス様の死を悲しみ悼んだ人もいました。
信仰はその人の内面によるのです。
私たちは世の中がイエス様を否定しても、あくまでも信仰を持ち続けましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月26日
2022/3/26早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書23:33-43です。
本文とメッセージはこちら
イエス様は十字架に釘打たれました。
犯罪人と一緒ということは、ご自身が罪あるものとみなされたということです。
私たちは自分の罪を負ってくださった主イエス様に感謝しましょう。
自分が犯している、または犯してしまった罪のために、このように苦しまれたのだということを覚えましょう。
犯罪人の2人は全く違った結末になりました。
1人はパラダイスに迎えられ、1人は永遠の滅びに行ったのです。
家族も友人もみな永遠の行き先は2つに1つであることを忘れてはなりません。
真剣に救いを求めましょう。
伝道のために何からできるか考えましょう。
また実行しましょう。
祝福を祈ります。
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イエス様は十字架に釘打たれました。
犯罪人と一緒ということは、ご自身が罪あるものとみなされたということです。
私たちは自分の罪を負ってくださった主イエス様に感謝しましょう。
自分が犯している、または犯してしまった罪のために、このように苦しまれたのだということを覚えましょう。
犯罪人の2人は全く違った結末になりました。
1人はパラダイスに迎えられ、1人は永遠の滅びに行ったのです。
家族も友人もみな永遠の行き先は2つに1つであることを忘れてはなりません。
真剣に救いを求めましょう。
伝道のために何からできるか考えましょう。
また実行しましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月25日
2022/3/25早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書23:26-32です。
本文とメッセージはこちら
シモンは無理やりに十字架を背負わされましたが。このようなイエス様の様子を見て、十字架を負っていることが誇りに思えたでしょう。
彼は後にイエス様を信じたようです。
私たちも無理やりに負わされた十字架のような責任もあるかも知れません。
そのときはイエス様のために負いましょう。
イエス様は、御自分が苦しみつつ死に向かっているにもかかわらず、エルサレムの人々のことを思っていました。
神はさばき主でもありますが、愛の思いを持ったさばき主であるのです。
どんなときにも変わらない神様の愛に信頼しましょう。
またその愛に応えていきましょう。
神様の愛が悲しまないように、正しい歩みをしましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
シモンは無理やりに十字架を背負わされましたが。このようなイエス様の様子を見て、十字架を負っていることが誇りに思えたでしょう。
彼は後にイエス様を信じたようです。
私たちも無理やりに負わされた十字架のような責任もあるかも知れません。
そのときはイエス様のために負いましょう。
イエス様は、御自分が苦しみつつ死に向かっているにもかかわらず、エルサレムの人々のことを思っていました。
神はさばき主でもありますが、愛の思いを持ったさばき主であるのです。
どんなときにも変わらない神様の愛に信頼しましょう。
またその愛に応えていきましょう。
神様の愛が悲しまないように、正しい歩みをしましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月24日
2022/3/24早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書23:13-25です。
本文とメッセージはこちら
正義と真実によって判断されるなら、イエス様は無罪で釈放されるべきでしたが、ピラトは暴動を恐れてイエス様を死刑にさせました。
暴動が起こるということは自分の統治能力がないと査定されるからです。
自分の出世のために神の子を犠牲にしたのです。
群衆は革命を起こさないイエス様に失望していました。
失望は怒りに変わり、それが集団心理によって暴徒化するところまでいってしまったのです。
彼らはかつてはイエス様のいやしや奇跡を求めて従っていた、または好意的に思っていた人々でした。
それでも自分の勝手な救い主像や期待に合わないと、反対者になってしまったのです。
私たちもまだ完全に神様の御計画が分からないときには、失望したり悪態をつきたくなる思いにとらわれるかもしれません。
そのときはあくまでも全能にして愛の神様に祈って聞くことです。
それをしないでいると、神様との関係が健全でなくなってしまいます。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
正義と真実によって判断されるなら、イエス様は無罪で釈放されるべきでしたが、ピラトは暴動を恐れてイエス様を死刑にさせました。
暴動が起こるということは自分の統治能力がないと査定されるからです。
自分の出世のために神の子を犠牲にしたのです。
群衆は革命を起こさないイエス様に失望していました。
失望は怒りに変わり、それが集団心理によって暴徒化するところまでいってしまったのです。
彼らはかつてはイエス様のいやしや奇跡を求めて従っていた、または好意的に思っていた人々でした。
それでも自分の勝手な救い主像や期待に合わないと、反対者になってしまったのです。
私たちもまだ完全に神様の御計画が分からないときには、失望したり悪態をつきたくなる思いにとらわれるかもしれません。
そのときはあくまでも全能にして愛の神様に祈って聞くことです。
それをしないでいると、神様との関係が健全でなくなってしまいます。
祝福を祈ります。
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2022年03月23日
2022/3/23早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書23:1-12です。
本文とメッセージはこちら
ピラトは皇帝から任命されたユダヤの総督で、自分の仕事で面倒なことを被りたくないと思っていました。
それを知っているユダヤ人たちは「カエサルに税金を納めることを禁じ」(2)と、彼が問題にしそうな部分を突いてきたのです。
それでもピラトは自分の責任としたくなかったので、ヘロデのもとへイエス様を送りました。
多くの不信者がこのように自分の保身のために神を受け入れないでいます。
ある意味、守るものがなくなってしまった人は、救いを受け入れやすいといえるでしょう。
そのような人は幸いなのです。
私たちも、自分を守るために神の真理から離れるということのないようにしましょう。
ヘロデは全くの興味本位でイエス様を見ていました。
そのような人も現代にいるでしょう。
イエス様は「何もお答えにならなかった」(10)のです。
語っても無駄だからでしょう。
私たちの中にも、かつては興味本位で神を考えていた人もあるかもしれません。
それでも神の忍耐によって、救われたことに感謝しましょう。
そして今や、心からの主として従っている真摯な信仰のゆえに感謝しましょう。
またそのように生きていきましょう。
祝福を祈ります。
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ピラトは皇帝から任命されたユダヤの総督で、自分の仕事で面倒なことを被りたくないと思っていました。
それを知っているユダヤ人たちは「カエサルに税金を納めることを禁じ」(2)と、彼が問題にしそうな部分を突いてきたのです。
それでもピラトは自分の責任としたくなかったので、ヘロデのもとへイエス様を送りました。
多くの不信者がこのように自分の保身のために神を受け入れないでいます。
ある意味、守るものがなくなってしまった人は、救いを受け入れやすいといえるでしょう。
そのような人は幸いなのです。
私たちも、自分を守るために神の真理から離れるということのないようにしましょう。
ヘロデは全くの興味本位でイエス様を見ていました。
そのような人も現代にいるでしょう。
イエス様は「何もお答えにならなかった」(10)のです。
語っても無駄だからでしょう。
私たちの中にも、かつては興味本位で神を考えていた人もあるかもしれません。
それでも神の忍耐によって、救われたことに感謝しましょう。
そして今や、心からの主として従っている真摯な信仰のゆえに感謝しましょう。
またそのように生きていきましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月22日
2022/3/22早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書22:63-71です。
本文とメッセージはこちら
イエス様の苦しみは十字架を負う前から始まっていました。
目隠しの状態でむちでたたかれるという屈辱を受けられたのです。
議会ではイエス様を訴える口実や証拠を求めていました。
これに対してイエス様は、ただ御自身が神であることのゆえに、その真理を語ったに過ぎませんでしたが、「どうして、これ以上証言が必要だろうか。」(61)というほどの決定的な証拠になったのです。
つまりイエス様は神であるということでさばかれたということになります。
神を信じない人はこのように、神御自身をさばくことになってしまいます。
神をいつわり者とするからです。
私たちもかつてはこの議会の一員のようであったことを思い、厳かに救いを感謝しましょう。
またここまでして十字架の道を進んで行かれたイエス様の愛に感謝しましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
イエス様の苦しみは十字架を負う前から始まっていました。
目隠しの状態でむちでたたかれるという屈辱を受けられたのです。
議会ではイエス様を訴える口実や証拠を求めていました。
これに対してイエス様は、ただ御自身が神であることのゆえに、その真理を語ったに過ぎませんでしたが、「どうして、これ以上証言が必要だろうか。」(61)というほどの決定的な証拠になったのです。
つまりイエス様は神であるということでさばかれたということになります。
神を信じない人はこのように、神御自身をさばくことになってしまいます。
神をいつわり者とするからです。
私たちもかつてはこの議会の一員のようであったことを思い、厳かに救いを感謝しましょう。
またここまでして十字架の道を進んで行かれたイエス様の愛に感謝しましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月21日
2022/3/21早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書22:54-62です。
本文とメッセージはこちら
結局ペテロは恐くなってイエス様を裏切ってしまいました。
それでも彼はイエス様が気になって、大祭司の家までついていった結果です。
ですから主は彼を非難することはなさいませんでした。
今の時代も、主に従おうとしても中途半端に終わることがあって、結果的には自分の不信仰が表れてしまうかもしれません。
しかし、それでも全く主から離れてしまうよりも良いのです。
イエス様がペテロを見つめたのは愛のまなざしだったでしょう。
だからこそペテロはそのようなイエス様を裏切ったことを後悔したのです。
イエス様の愛のまなざしをいつも感じましょう。
たとえ信仰が不十分であったと感じても、それでも少しでも主に近づきましょう。
その思いを主はわかってくださいます。
祝福を祈ります。
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結局ペテロは恐くなってイエス様を裏切ってしまいました。
それでも彼はイエス様が気になって、大祭司の家までついていった結果です。
ですから主は彼を非難することはなさいませんでした。
今の時代も、主に従おうとしても中途半端に終わることがあって、結果的には自分の不信仰が表れてしまうかもしれません。
しかし、それでも全く主から離れてしまうよりも良いのです。
イエス様がペテロを見つめたのは愛のまなざしだったでしょう。
だからこそペテロはそのようなイエス様を裏切ったことを後悔したのです。
イエス様の愛のまなざしをいつも感じましょう。
たとえ信仰が不十分であったと感じても、それでも少しでも主に近づきましょう。
その思いを主はわかってくださいます。
祝福を祈ります。
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2022年03月20日
2022/3/20主日礼拝
3月20日の放送です。
下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年3月20日NGC SundayCelebration (YouTube)
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また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2022年3月20日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
賛美「心に感謝を持ちながら」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「叫べ全地よ」
お知らせと報告など
賛美「マジェスティ」新聖歌170番
「主の愛が今」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ルカによる福音書23章26節
メッセージ「愛するイエスの苦しみに」
祈り・応答
賛美「十字架を主イエスの」聖歌163番(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:中川宏道兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Yama
Cho:Miyuki
Key:Miyuki
Dr:Nobu
PA:DJshuntaro
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2022年3月20日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
賛美「心に感謝を持ちながら」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「叫べ全地よ」
お知らせと報告など
賛美「マジェスティ」新聖歌170番
「主の愛が今」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ルカによる福音書23章26節
メッセージ「愛するイエスの苦しみに」
祈り・応答
賛美「十字架を主イエスの」聖歌163番(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:中川宏道兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Yama
Cho:Miyuki
Key:Miyuki
Dr:Nobu
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| NGC Service配信放送
2022/3/20早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書22:39-53です。
本文とメッセージはこちら
イエス様は孤独を感じられたでしょう。
これほどの恐怖と苦しみに打ち勝つ祈りをなさっていたのに、弟子たちは「眠り込んでいた」(45)のでした。
確かに人間の肉体は弱いもので、信仰に自信があるような者でも、誘惑に陥ることがあるのです。
弱さを克服するには「祈って」(46)いるしかないことを覚えましょう。
神の力によって生きる以外ないのです。
イエス様はご自分を捕えようとする者にでさえ、「耳にさわって彼を癒やされ」(51)ました。
決心のついた人は心に余裕があるので、優しい愛の人になれるのです。
主に従う決心をしましょう。
イエス様のこの落ち着きは、ゲッセマネの園で祈った結果です。
祈りは単にお勤めやルーティンワークではありません。
生ける神様との生ける交わりです。
心を変えて、主の思いで生きるために心を定めるような祈りをしましょう。
そのような祈りに導かれましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
イエス様は孤独を感じられたでしょう。
これほどの恐怖と苦しみに打ち勝つ祈りをなさっていたのに、弟子たちは「眠り込んでいた」(45)のでした。
確かに人間の肉体は弱いもので、信仰に自信があるような者でも、誘惑に陥ることがあるのです。
弱さを克服するには「祈って」(46)いるしかないことを覚えましょう。
神の力によって生きる以外ないのです。
イエス様はご自分を捕えようとする者にでさえ、「耳にさわって彼を癒やされ」(51)ました。
決心のついた人は心に余裕があるので、優しい愛の人になれるのです。
主に従う決心をしましょう。
イエス様のこの落ち着きは、ゲッセマネの園で祈った結果です。
祈りは単にお勤めやルーティンワークではありません。
生ける神様との生ける交わりです。
心を変えて、主の思いで生きるために心を定めるような祈りをしましょう。
そのような祈りに導かれましょう。
祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00
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2022年03月19日
2022/3/19早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書22:24-38です。
本文とメッセージはこちら
弟子たちはまだ神の国の価値観が分からないようで、「だれが一番偉いのだろうか」(24)などという論議を始めてしまいました。
これはクリスチャンといえどもなかなか改まらない部分なのかもしれません。
教会でも常に注意する必要がありますし、自分自身の中にそのようなことを気にする思いがないかどうか吟味が必要です。
重要なのは偉いかどうかではなく、主に従い続けられるであろうかということです。
イエス様はそんな弟子たちに対して、シモンのことで「麦のようにふるいにかけ」(31)られると警告なさったのです。
「覚悟はできております」(33)というような立派なことを言ったとしても、「ふるいにかけ」(31)られることがありますし、そのときは誰もが弱いのですから、自分の信仰や決心を過信しないで、「あなたのために、…祈りました」(32)というイエス様のとりなしの前にへりくだりましょう。
またそのような謙遜な思いで兄弟姉妹と交わりましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
弟子たちはまだ神の国の価値観が分からないようで、「だれが一番偉いのだろうか」(24)などという論議を始めてしまいました。
これはクリスチャンといえどもなかなか改まらない部分なのかもしれません。
教会でも常に注意する必要がありますし、自分自身の中にそのようなことを気にする思いがないかどうか吟味が必要です。
重要なのは偉いかどうかではなく、主に従い続けられるであろうかということです。
イエス様はそんな弟子たちに対して、シモンのことで「麦のようにふるいにかけ」(31)られると警告なさったのです。
「覚悟はできております」(33)というような立派なことを言ったとしても、「ふるいにかけ」(31)られることがありますし、そのときは誰もが弱いのですから、自分の信仰や決心を過信しないで、「あなたのために、…祈りました」(32)というイエス様のとりなしの前にへりくだりましょう。
またそのような謙遜な思いで兄弟姉妹と交わりましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月18日
2022/3/18早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書22:14-23です。
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十字架にかかって死ぬことを知っておられたイエス様でしたが、自分自身の恐怖や悲しみよりも、弟子たちのことを思っておられました。
その思いには堅い決心があり、救いが成就するためにはもう後戻りはないというものでした。
イエス様は御自分の十字架が何であるのかを、前もって弟子たちに知らしめるために、このパンと杯を与えたのです。
私たちも聖餐のたびごとにこのイエス様の思いに触れるものでありましょう。
決して御思いを素通りするようなことのないようにしましょう。
祝福を祈ります。
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十字架にかかって死ぬことを知っておられたイエス様でしたが、自分自身の恐怖や悲しみよりも、弟子たちのことを思っておられました。
その思いには堅い決心があり、救いが成就するためにはもう後戻りはないというものでした。
イエス様は御自分の十字架が何であるのかを、前もって弟子たちに知らしめるために、このパンと杯を与えたのです。
私たちも聖餐のたびごとにこのイエス様の思いに触れるものでありましょう。
決して御思いを素通りするようなことのないようにしましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月17日
2022/3/17早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書22:1-13です。
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ユダに関してはイエス様を裏切った動機が色々に推察されますが、その本質は「サタンが入った」(3)からだと書かれています。
サタンに立ち向かうためには、自分自身を主に明け渡す信仰しかありません。
自分で理屈をつけながら主のみこころを拒んでいると、サタンに勝つことはできませんから気をつけましょう。
過ぎ越しの食事は旧約の教えに則ったものですが、イエス様はそれをも大切にしました。
イエスさまは律法を廃棄するために来られたのではなく、律法を完成するために来られたからです。
イエス様こそが信仰の創始者であり完成者なのです。
神がなさることに矛盾はありません。
人間は神様の命令に対して、それは無理だと勝手に思い込むことがあるかもしれませんが、神様は御自身に矛盾のない方です。
主に反論するよりも、どのようにしたら従えるかを考えましょう。
祝福を祈ります。
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ユダに関してはイエス様を裏切った動機が色々に推察されますが、その本質は「サタンが入った」(3)からだと書かれています。
サタンに立ち向かうためには、自分自身を主に明け渡す信仰しかありません。
自分で理屈をつけながら主のみこころを拒んでいると、サタンに勝つことはできませんから気をつけましょう。
過ぎ越しの食事は旧約の教えに則ったものですが、イエス様はそれをも大切にしました。
イエスさまは律法を廃棄するために来られたのではなく、律法を完成するために来られたからです。
イエス様こそが信仰の創始者であり完成者なのです。
神がなさることに矛盾はありません。
人間は神様の命令に対して、それは無理だと勝手に思い込むことがあるかもしれませんが、神様は御自身に矛盾のない方です。
主に反論するよりも、どのようにしたら従えるかを考えましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月16日
2022/3/16早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書21:25-38です。
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この世の終わりは必ず来ることを忘れてはなりません。
あらゆるものの存在が土台からなくなってしまうのです。
しかし神さまだけは決して揺り動かされない、私たちの土台であり避け所です。
今からそのような信頼を持って、主とともに生きてゆきましょう。
神が決して揺り動かされないということは、神の「ことばは決して消え去ることが」(33)ないということです。
それはまだ私たちが地上を歩んでいるとき、またこの世が続いているときも同じです。
ですから神のことばをないがしろにする者には、艱難のときにまたは世の終わりのときに、平安はありません。
「よく気をつけ」(34)ていましょう。
それは「生活の思い煩い」(34)のために気を取られているときも同じです。
煩っている人は同情されそうですが、そのような中でこそ主の助けを求めることができるのですから、煩いゆえに主から心が離れることがないようにしましょう。
祝福を祈ります。
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この世の終わりは必ず来ることを忘れてはなりません。
あらゆるものの存在が土台からなくなってしまうのです。
しかし神さまだけは決して揺り動かされない、私たちの土台であり避け所です。
今からそのような信頼を持って、主とともに生きてゆきましょう。
神が決して揺り動かされないということは、神の「ことばは決して消え去ることが」(33)ないということです。
それはまだ私たちが地上を歩んでいるとき、またこの世が続いているときも同じです。
ですから神のことばをないがしろにする者には、艱難のときにまたは世の終わりのときに、平安はありません。
「よく気をつけ」(34)ていましょう。
それは「生活の思い煩い」(34)のために気を取られているときも同じです。
煩っている人は同情されそうですが、そのような中でこそ主の助けを求めることができるのですから、煩いゆえに主から心が離れることがないようにしましょう。
祝福を祈ります。
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2022年03月15日
2022/3/15早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書21:10-24です。
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「恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れ」(11)るというのですが、主イエスはそれらから逃れる方法を教えて、ただ守られれば良いというのではありませんでした。
弟子たちはむしろ「証しをする」(13)ことが求められ、それらがその「機会と」(13)なるというのです。
これは何か厳しい言葉のようにも思えますが、神様は愛のお方ですから、私たちに苦しい使命だけをお与えになるのではありません。
「しかし、あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません。あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取」(18-19)ることになると約束してくださるのです。
私たちもこの世にあって、自分だけは苦しみを逃れたいと思うのではなく、苦しみの中にこそ使命を果たせることを覚えましょう。
そのような弟子には、主は恵みと守りで答えてくださいます。
当時のユダヤ人はエルサレムの滅亡とこの世の終わりを同じように考えていました。
それに合わせてイエス様は、彼らが理解し易いように教えたのかもしれません。
私たちも自分の人生の大艱難に際して、世の終わりのように思うことがあるでしょう。
そしてそれらには共通点があります。
一つには、それがいつ起こるか分からないことです。
私たちは何が起こっても常に神様に目を向けられられるように、信仰によって歩んでいかなければなりません。
また一つには、苦難からの救いは主にあるということです。
私たちは常に主に信頼し、その御手に頼る歩みによって、神の現実感を持つ必要があります。
祝福を祈ります。
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「恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れ」(11)るというのですが、主イエスはそれらから逃れる方法を教えて、ただ守られれば良いというのではありませんでした。
弟子たちはむしろ「証しをする」(13)ことが求められ、それらがその「機会と」(13)なるというのです。
これは何か厳しい言葉のようにも思えますが、神様は愛のお方ですから、私たちに苦しい使命だけをお与えになるのではありません。
「しかし、あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません。あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取」(18-19)ることになると約束してくださるのです。
私たちもこの世にあって、自分だけは苦しみを逃れたいと思うのではなく、苦しみの中にこそ使命を果たせることを覚えましょう。
そのような弟子には、主は恵みと守りで答えてくださいます。
当時のユダヤ人はエルサレムの滅亡とこの世の終わりを同じように考えていました。
それに合わせてイエス様は、彼らが理解し易いように教えたのかもしれません。
私たちも自分の人生の大艱難に際して、世の終わりのように思うことがあるでしょう。
そしてそれらには共通点があります。
一つには、それがいつ起こるか分からないことです。
私たちは何が起こっても常に神様に目を向けられられるように、信仰によって歩んでいかなければなりません。
また一つには、苦難からの救いは主にあるということです。
私たちは常に主に信頼し、その御手に頼る歩みによって、神の現実感を持つ必要があります。
祝福を祈ります。
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2022年03月14日
2022/3/14早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書21:1-9です。
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やもめがささげた金額は少ないものでした。
しかし主イエスは「だれよりも多くを投げ入れました。」(3)と言っておられます。
主はささげる人の心をごらんになるからです。
心のこもった、そして精一杯のささげものを、喜んでしましょう。
また奉仕もそのようにして、たくさん…と主に言っていただけるようにしましょう。
またこのやもめのささげものは、誰よりも主のお役に立ちました。
多くの人がその純粋な信仰に励まされたからです。
私たちも、他の人の信仰を促すようなささげものをしましょう。
金額も主に用いられることは当然ですが、そればかりでなく霊的な恵みとなることを心がけましょう。
霊的なささげものをしましょう。
弟子たちは都であるエルサレムの建造物を見て驚きましたが、イエス様は「どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない日が、やって来ます」(6)と言われました。
それは後のローマ将軍タイトスの攻撃で実際に起こったのです。
神殿が燃えた後に溶けた金を取り出すために、石はすべてバラバラにされたのでした。
そのようなことへの備えや警告として、イエス様は方法論ではなく、本質的なことを言われました。
方法論では「惑わされ」(8)てしまうからです。
私たちは今から常にイエス様を見つめ、またイエス様の声に耳を傾けましょう。
身の回りに起こることは、方法論では惑わされるからです。
祝福を祈ります。
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やもめがささげた金額は少ないものでした。
しかし主イエスは「だれよりも多くを投げ入れました。」(3)と言っておられます。
主はささげる人の心をごらんになるからです。
心のこもった、そして精一杯のささげものを、喜んでしましょう。
また奉仕もそのようにして、たくさん…と主に言っていただけるようにしましょう。
またこのやもめのささげものは、誰よりも主のお役に立ちました。
多くの人がその純粋な信仰に励まされたからです。
私たちも、他の人の信仰を促すようなささげものをしましょう。
金額も主に用いられることは当然ですが、そればかりでなく霊的な恵みとなることを心がけましょう。
霊的なささげものをしましょう。
弟子たちは都であるエルサレムの建造物を見て驚きましたが、イエス様は「どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない日が、やって来ます」(6)と言われました。
それは後のローマ将軍タイトスの攻撃で実際に起こったのです。
神殿が燃えた後に溶けた金を取り出すために、石はすべてバラバラにされたのでした。
そのようなことへの備えや警告として、イエス様は方法論ではなく、本質的なことを言われました。
方法論では「惑わされ」(8)てしまうからです。
私たちは今から常にイエス様を見つめ、またイエス様の声に耳を傾けましょう。
身の回りに起こることは、方法論では惑わされるからです。
祝福を祈ります。
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