本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マラキ書4:1-6です。
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主は救い主でありますが、さばき主でもあります。
私たちは自分が救われたということの意味を知るためには、自分がさばかれなければならない、罪ある存在であるということを知らなければなりません。
それを聞かないように、語らないように、考えないようにするなら、神様の本当の愛も分からなくなり、私たちは本当の幸いを得ることはできなくなるのです。
愛があるならば、さばきの神と、さばかれるべき自分たちであることを、語らなければなりません。
主は愛があるので、このようにマラキを通してさばきを語らせるのです。
そして、「しかし」(2)と主は希望を与えます。
「わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る」(2)とあります。主を「恐れる」(2)ことです。
主を恐れる人は、主のさばきが恐怖として臨むことがないのです。
日常でも主を恐れることを忘れないように、自分の罪に気づき、認め、主のさばきと赦しを理解し、主に感謝して従い、そして主を恐れつつ、主の愛によって恵みをいただき生きましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月30日
2022年04月29日
2022/4/29早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マラキ書3:13-18です。
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前半は神に従わない者の屁理屈が表されています。
「神に仕えるのは無駄だ…何の得になろう」(14)というのです。
確かに「悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる。」(15)と感じることもありますが、それは一時的であり、また表面的です。
そのような悪は習慣化してしまい、誰からも尊敬されなくなり、味方を失い、自分自身の人生に平安がなくなってしまいます。
それは世の中の法則でありますが、さらには神ご自身からの祝福を失ってしまうのです。
クリスチャンであっても、中には良識的な生き方を失ってしまう人もいますし、救われた者の最低限の歩みをもしていない人もいますが、私たちお互いはかたくなにはならないようにしましょう。
一方「主を恐れる者たち」(16)は、主の「宝」(17)であり、主に「あわれ」(17)んでいただけます。
「主に仕える者と仕えない者」(18)とは明らかに違いますから、心定めて生きましょう。
祝福を祈ります。
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前半は神に従わない者の屁理屈が表されています。
「神に仕えるのは無駄だ…何の得になろう」(14)というのです。
確かに「悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる。」(15)と感じることもありますが、それは一時的であり、また表面的です。
そのような悪は習慣化してしまい、誰からも尊敬されなくなり、味方を失い、自分自身の人生に平安がなくなってしまいます。
それは世の中の法則でありますが、さらには神ご自身からの祝福を失ってしまうのです。
クリスチャンであっても、中には良識的な生き方を失ってしまう人もいますし、救われた者の最低限の歩みをもしていない人もいますが、私たちお互いはかたくなにはならないようにしましょう。
一方「主を恐れる者たち」(16)は、主の「宝」(17)であり、主に「あわれ」(17)んでいただけます。
「主に仕える者と仕えない者」(18)とは明らかに違いますから、心定めて生きましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月28日
2022/4/28早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マラキ書3:7-12です。
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「わたしに帰れ」(7)と言われる主に対して、素直に「はい」と従うのでなかく、「どのようにして…」(7)と、言い訳のような理屈を優先させて、一向に自分自身を変えない姿が浮き彫りになっています。
そこで主はささげものに関して、民が神様から離れていることを指摘し、その点においてでも「わたしに帰れ」るのだと言っておられます。
ネヘミヤ記を見ますと、祭司を養うべき什一献金をしない者が多いので、祭司たちが働きを全うできずに畑を耕し、その結果神殿の働きに支障をきたしたという事実がありました。
神様は今も十分の一は「わたしのもの」(8)として、私たちに預けておられ、それを感謝と信仰でお返しするように定めておられ、それによって神様のわざが進むのですから、十分の一をささげないということは、主のものを盗んでいるということになります。
「天の窓」(10)からの「あふれるばかりの祝福」(10)があるかどうか、「実り」が「不作とならない」(11)方策であるか、それはこの献金によるのだということがわかります。
什一献金について知らなかった人は、それがクリスチャンの基準であることを知りましょう。
什一献金をしていなかった人は、自分は十分の一の分を余計に預けられていたのだと知り、それを主にお返ししましょう。
それは誰のためでもなく、「すべての国々」から「幸せ者」(12)と呼ばれるような、祝福をいただくためでもあります。
祝福を祈ります。
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「わたしに帰れ」(7)と言われる主に対して、素直に「はい」と従うのでなかく、「どのようにして…」(7)と、言い訳のような理屈を優先させて、一向に自分自身を変えない姿が浮き彫りになっています。
そこで主はささげものに関して、民が神様から離れていることを指摘し、その点においてでも「わたしに帰れ」るのだと言っておられます。
ネヘミヤ記を見ますと、祭司を養うべき什一献金をしない者が多いので、祭司たちが働きを全うできずに畑を耕し、その結果神殿の働きに支障をきたしたという事実がありました。
神様は今も十分の一は「わたしのもの」(8)として、私たちに預けておられ、それを感謝と信仰でお返しするように定めておられ、それによって神様のわざが進むのですから、十分の一をささげないということは、主のものを盗んでいるということになります。
「天の窓」(10)からの「あふれるばかりの祝福」(10)があるかどうか、「実り」が「不作とならない」(11)方策であるか、それはこの献金によるのだということがわかります。
什一献金について知らなかった人は、それがクリスチャンの基準であることを知りましょう。
什一献金をしていなかった人は、自分は十分の一の分を余計に預けられていたのだと知り、それを主にお返ししましょう。
それは誰のためでもなく、「すべての国々」から「幸せ者」(12)と呼ばれるような、祝福をいただくためでもあります。
祝福を祈ります。
2022年04月27日
2022/4/27早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マラキ書3:1-6です。
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「この方」(2)とは「わたしは、さばきのため…」(5)とおっしゃるイエス様、神の子のことです。
ですから使者とはイエス様を民に紹介したバプテスマのヨハネのことです。
このイエス様は「さばきのために」(5)来られるというのですが、しかしまた「変わることがない」(6)という神様の愛で、ヤコブの子らであるイスラエルは「絶え果てることはない」(6)とも、神は言われます。
イエス様の十字架とはこのように驚くべき内容を持ったものです。
十字架の身代わりは人類を道連れにしようとするサタンの計画の粉砕であり、よみがえりは死への現実的な勝利です。
そして十字架によって備えられた救いの道は、また受け入れない者へのさばきのための備えともなりました。
イエス様は救い主であられるとともに、さばき主であるということを忘れないようにしましょう。
それは恐怖心を持つためではなく、「あなたがたは絶え果てることはない」(6)と、「変わらない」(6)愛を持って、赦しきよめてくださるそのみこころを真剣に受け止めるためです。
イエス様の愛に対して真摯な心を持ち、真摯な生き方をしましょう。
祝福を祈ります。
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「この方」(2)とは「わたしは、さばきのため…」(5)とおっしゃるイエス様、神の子のことです。
ですから使者とはイエス様を民に紹介したバプテスマのヨハネのことです。
このイエス様は「さばきのために」(5)来られるというのですが、しかしまた「変わることがない」(6)という神様の愛で、ヤコブの子らであるイスラエルは「絶え果てることはない」(6)とも、神は言われます。
イエス様の十字架とはこのように驚くべき内容を持ったものです。
十字架の身代わりは人類を道連れにしようとするサタンの計画の粉砕であり、よみがえりは死への現実的な勝利です。
そして十字架によって備えられた救いの道は、また受け入れない者へのさばきのための備えともなりました。
イエス様は救い主であられるとともに、さばき主であるということを忘れないようにしましょう。
それは恐怖心を持つためではなく、「あなたがたは絶え果てることはない」(6)と、「変わらない」(6)愛を持って、赦しきよめてくださるそのみこころを真剣に受け止めるためです。
イエス様の愛に対して真摯な心を持ち、真摯な生き方をしましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月26日
2022/4/26早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マラキ書2:10-17です。
本文とメッセージはこちら
イスラエルは結婚のことで神をないがしろにしていると告発されています。
社会が病んで来ると、そのしわ寄せは家庭内や親子関係に及び、またそこでの問題は社会に悪影響をもたらします。
家庭の根本は結婚ですから、このことで神をないがしろにするのは見逃せないことです。
「唯一の神が…創造された」(10)のであり、それゆえ結婚も神のルールに従ったものでなければ、当然祝福はありえません。
しかし、イスラエルは神を無視し、自分の喜びや欲望や満足や目的に従ってしまったのです。
「異国の神の娘」(11)との結婚は、信仰の崩壊をもたらします。
事実イスラエルはそれで多くの偶像がはびこるようになり、邪教が広まったのです。
また「離婚」(16)は社会の崩壊をもたらします。
離婚は社会の最小単位である家庭を崩壊させるからです。
マラキ書ではこれらを単に個人の罪として扱っているのではなく、イスラエルという共同体として告発しています。
私たちもこれらを個人攻撃のように扱うのではなく、イエス様の体である全ての人を思いつつ、信仰と希望と愛によってみこころを行ってゆく必要があります。
また「あなたがたは、自分の霊に注意せよ」(15)とあります。
自分は大丈夫ということで済ませないで、同じ問題を自分もたましいに抱えていることに気づき、聖霊によってきよめられてゆきましょう。
祝福を祈ります。
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イスラエルは結婚のことで神をないがしろにしていると告発されています。
社会が病んで来ると、そのしわ寄せは家庭内や親子関係に及び、またそこでの問題は社会に悪影響をもたらします。
家庭の根本は結婚ですから、このことで神をないがしろにするのは見逃せないことです。
「唯一の神が…創造された」(10)のであり、それゆえ結婚も神のルールに従ったものでなければ、当然祝福はありえません。
しかし、イスラエルは神を無視し、自分の喜びや欲望や満足や目的に従ってしまったのです。
「異国の神の娘」(11)との結婚は、信仰の崩壊をもたらします。
事実イスラエルはそれで多くの偶像がはびこるようになり、邪教が広まったのです。
また「離婚」(16)は社会の崩壊をもたらします。
離婚は社会の最小単位である家庭を崩壊させるからです。
マラキ書ではこれらを単に個人の罪として扱っているのではなく、イスラエルという共同体として告発しています。
私たちもこれらを個人攻撃のように扱うのではなく、イエス様の体である全ての人を思いつつ、信仰と希望と愛によってみこころを行ってゆく必要があります。
また「あなたがたは、自分の霊に注意せよ」(15)とあります。
自分は大丈夫ということで済ませないで、同じ問題を自分もたましいに抱えていることに気づき、聖霊によってきよめられてゆきましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月25日
2022/4/25早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マラキ書2:1-9です。
本文とメッセージはこちら
祭司とは神と人の間にあって、人の罪を神の前においてとりなす人です。
すなわち、人からのささげものによってその罪を贖い、また神からはそのみこころを人に伝えるのです。
新約においては万人が祭司であり、私たちは神と人の間に立って、とりなしをし伝道をする者です。
その祭司の働きが、「あなたがたは道から外れ、多くの者を教えによってつまずかせ」(8)と告発されています。
教会の指導者、また新約の祭司としてのクリスチャンは、本来「口には真理…多くの者を不義から立ち返らせた」(6)とあるような、すばらしい働き手です。
その栄誉ある働きを自分自身のものとして取り戻しましょう。
またそのために一歩を歩み出しましょう。
「のろいに変えている」(2)と、主から言われないうちに。
また主の働きをしている人は、使命の重大さを忘れないで、そのような責任を任せられていることの光栄を感謝しましょう。
またそこにある主の愛と守りを信じましょう。
祝福を祈ります。
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祭司とは神と人の間にあって、人の罪を神の前においてとりなす人です。
すなわち、人からのささげものによってその罪を贖い、また神からはそのみこころを人に伝えるのです。
新約においては万人が祭司であり、私たちは神と人の間に立って、とりなしをし伝道をする者です。
その祭司の働きが、「あなたがたは道から外れ、多くの者を教えによってつまずかせ」(8)と告発されています。
教会の指導者、また新約の祭司としてのクリスチャンは、本来「口には真理…多くの者を不義から立ち返らせた」(6)とあるような、すばらしい働き手です。
その栄誉ある働きを自分自身のものとして取り戻しましょう。
またそのために一歩を歩み出しましょう。
「のろいに変えている」(2)と、主から言われないうちに。
また主の働きをしている人は、使命の重大さを忘れないで、そのような責任を任せられていることの光栄を感謝しましょう。
またそこにある主の愛と守りを信じましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月24日
2022/4/24主日礼拝
4月24日の放送です。
下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年4月24日NGC SundayCelebration (YouTube)
また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2022年4月24日NGC SundayCelebration (WMP)
また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2022年4月24日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
賛美「わが魂の羊飼い」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「主の御名」
お知らせと報告など
賛美「神の国が心に」
「十字架のかげに」聖歌396番
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マラキ書4章1〜3節
メッセージ「主の前にへりくだり、いやされる」
祈り・応答
賛美「主の臨在の御前で」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Yama
Cho:岡本牧師
Pf:DJshuntaro
G:岡本牧師
Dr:Yoshika
PA:Ai
下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年4月24日NGC SundayCelebration (YouTube)
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2022年4月24日NGC SundayCelebration (WMP)
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2022年4月24日NGC SundayCelebration (RAM)
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賛美「わが魂の羊飼い」
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前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「主の御名」
お知らせと報告など
賛美「神の国が心に」
「十字架のかげに」聖歌396番
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マラキ書4章1〜3節
メッセージ「主の前にへりくだり、いやされる」
祈り・応答
賛美「主の臨在の御前で」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
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2022/4/24早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マラキ書1:6-14です。
本文とメッセージはこちら
神様がイスラエルに求めたささげものは、イエス様がご自身を十字架でささげたことをイメージするものでもありますから、それは完全なものでなくてはなりませんでした。
それが動物であっても同じで、「病気のもの」(8)ではいけなかったのです。
また何よりも、「総督のところに」(8)差し出すこともはばかられるような、欠陥のあるものを神に差し出すというのは、神様を侮っている証拠であると、マラキ書では言っています。
神様の恵みに慣れてしまい、何でも赦されると思ってはいないでしょうか。
人には気をつかいながら、主への尊厳を表すのに手を抜いているということはないでしょうか。
常に考えてみる必要があります。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
神様がイスラエルに求めたささげものは、イエス様がご自身を十字架でささげたことをイメージするものでもありますから、それは完全なものでなくてはなりませんでした。
それが動物であっても同じで、「病気のもの」(8)ではいけなかったのです。
また何よりも、「総督のところに」(8)差し出すこともはばかられるような、欠陥のあるものを神に差し出すというのは、神様を侮っている証拠であると、マラキ書では言っています。
神様の恵みに慣れてしまい、何でも赦されると思ってはいないでしょうか。
人には気をつかいながら、主への尊厳を表すのに手を抜いているということはないでしょうか。
常に考えてみる必要があります。
祝福を祈ります。
2022年04月23日
2022/4/23早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マラキ書1:1-5です。
本文とメッセージはこちら
このマラキ書が書かれたのは、紀元前400年よりも少し前であると思われます。
その前にイスラエルは(分裂した南のユダも)律法に従いきれずに、預言の通りに他国から侵略されて、捕囚となってバビロニアなどに奴隷状態で連れられていきました。
その後、エズラやゼルバベルの指導によって神殿を再建することができ、またネヘミヤの指導によって城壁が再建できました。
このようにイスラエルにとって大きな喜びの期間があったにもかかわらず、またそのときに主に従う決心による宗教改革が行われたにもかかわらず、その後に(すなわちネヘミヤがアルタクセルクセス王のもとに帰り不在となった間に)、イスラエルの人々と社会はまたも神様に不従順となってしまいました。
マラキはこれを憂いて神の声を聞いて伝えた預言者です。
すなわち一度は神に救われて、神の栄光を見たにもかかわらず、不信仰不従順になっている神の民に対して、語っているのです。
ですからそれはまさに、現代のクリスチャンも心して聞くべき内容です。
そのイスラエルは、自分が主に聞き従わないのを棚に上げ、または弁解するようにして、「どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか」(2)と、質問をしていますが、これは愛されている感覚はないという、否定的なものです。
それに対して神様は、ご自身の絶対的な主権による愛を強調なさいます。
この世のどんな理由や状況にも左右されないで、ただご自身の決定権だけが生きるというものです。
私たちも状況や比較によって、神様に愛されているのだろうかと思い悩むときがあるかもしれませんが、そのようなときは、自分の不従順な面を吟味しつつ、神様の愛は条件によらずに絶対的なものであるということを、堅く信じましょう。
そしてそこから自己像や人生を考えていきましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
このマラキ書が書かれたのは、紀元前400年よりも少し前であると思われます。
その前にイスラエルは(分裂した南のユダも)律法に従いきれずに、預言の通りに他国から侵略されて、捕囚となってバビロニアなどに奴隷状態で連れられていきました。
その後、エズラやゼルバベルの指導によって神殿を再建することができ、またネヘミヤの指導によって城壁が再建できました。
このようにイスラエルにとって大きな喜びの期間があったにもかかわらず、またそのときに主に従う決心による宗教改革が行われたにもかかわらず、その後に(すなわちネヘミヤがアルタクセルクセス王のもとに帰り不在となった間に)、イスラエルの人々と社会はまたも神様に不従順となってしまいました。
マラキはこれを憂いて神の声を聞いて伝えた預言者です。
すなわち一度は神に救われて、神の栄光を見たにもかかわらず、不信仰不従順になっている神の民に対して、語っているのです。
ですからそれはまさに、現代のクリスチャンも心して聞くべき内容です。
そのイスラエルは、自分が主に聞き従わないのを棚に上げ、または弁解するようにして、「どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか」(2)と、質問をしていますが、これは愛されている感覚はないという、否定的なものです。
それに対して神様は、ご自身の絶対的な主権による愛を強調なさいます。
この世のどんな理由や状況にも左右されないで、ただご自身の決定権だけが生きるというものです。
私たちも状況や比較によって、神様に愛されているのだろうかと思い悩むときがあるかもしれませんが、そのようなときは、自分の不従順な面を吟味しつつ、神様の愛は条件によらずに絶対的なものであるということを、堅く信じましょう。
そしてそこから自己像や人生を考えていきましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月22日
2022/4/22早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、エズラ記10:16-44です。
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神殿の再建はすばらしい喜びですが、その祝福も神様がみわざを行ってこそです。
そこで、祭司が異邦の女性を結婚するということは、異教の宗教に妥協していることを表しますから、それを正さなければなりませんでした。
エズラ記の最後がこの記事であることは重要です。
本当の喜びは主のみこころにかなっているということであると知りましょう。
見えるところが整うなら、それ以上にみこころを行う当面で整えていきましょう。
祝福を祈ります。
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神殿の再建はすばらしい喜びですが、その祝福も神様がみわざを行ってこそです。
そこで、祭司が異邦の女性を結婚するということは、異教の宗教に妥協していることを表しますから、それを正さなければなりませんでした。
エズラ記の最後がこの記事であることは重要です。
本当の喜びは主のみこころにかなっているということであると知りましょう。
見えるところが整うなら、それ以上にみこころを行う当面で整えていきましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月21日
2022/4/21早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、エズラ記10:1-15です。
本文とメッセージはこちら
エズラの熱心な祈りで民は悔い改めました。
悔い改めには行動が伴わなければなりません。
民は結婚をきよめ、異教から離れる決心をしました。
ただしその実行は簡単ではありませんでした。
しかしそれも曖昧にせず、現実的に方策を立てて実行したのです。
熱心な祈りと、実行を伴う悔い改めによって前進しましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
エズラの熱心な祈りで民は悔い改めました。
悔い改めには行動が伴わなければなりません。
民は結婚をきよめ、異教から離れる決心をしました。
ただしその実行は簡単ではありませんでした。
しかしそれも曖昧にせず、現実的に方策を立てて実行したのです。
熱心な祈りと、実行を伴う悔い改めによって前進しましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月20日
2022/4/20早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、エズラ記9:1-15です。
本文とメッセージはこちら
結婚は信仰にとって決定的な影響を持ちます。
みこころをきよく行い、時にはエズラのようにとりなし回復させる者でありましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
結婚は信仰にとって決定的な影響を持ちます。
みこころをきよく行い、時にはエズラのようにとりなし回復させる者でありましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月19日
2022/4/19早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、エズラ記8:21-36です。
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老若男女数千人の旅を始めるにあたって、エズラはそれまで皆と共有してきた信仰を貫きました。
盗賊もいるであろう行程で、多くの財宝を持ち砂漠を通る旅に護衛を付けなかったのです。
それは主への信頼を表すことであり、信仰の一致を強固なものにするためです。
主は断食による熱心な祈りに答えてくださいました。
私たちも主の栄光と証のために、必要とあれば信仰を大いに表しましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
老若男女数千人の旅を始めるにあたって、エズラはそれまで皆と共有してきた信仰を貫きました。
盗賊もいるであろう行程で、多くの財宝を持ち砂漠を通る旅に護衛を付けなかったのです。
それは主への信頼を表すことであり、信仰の一致を強固なものにするためです。
主は断食による熱心な祈りに答えてくださいました。
私たちも主の栄光と証のために、必要とあれば信仰を大いに表しましょう。
祝福を祈ります。
2022年04月18日
2022/4/18早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、エズラ記8:1-20です。
本文とメッセージはこちら
これらはエズラとともに第二次帰還者として、エルサレムに赴いた人々です。
一度目は何かの理由で行けなくても、愛の主は再度チャンスを与えてくださるのです。
主の戦いのために遅れを取ったと後悔するよりも、今方向を変えて戦いの仲間に加わりましょう。
エズラはその中から役に立つものたちを選びました。
主の役に立つチャンスはいつでも開かれています。
主のために決断できるものたちでチームを作るなら、そらは大きな力であり、主の栄光となります。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
これらはエズラとともに第二次帰還者として、エルサレムに赴いた人々です。
一度目は何かの理由で行けなくても、愛の主は再度チャンスを与えてくださるのです。
主の戦いのために遅れを取ったと後悔するよりも、今方向を変えて戦いの仲間に加わりましょう。
エズラはその中から役に立つものたちを選びました。
主の役に立つチャンスはいつでも開かれています。
主のために決断できるものたちでチームを作るなら、そらは大きな力であり、主の栄光となります。
祝福を祈ります。
2022年04月17日
2022/4/17主日礼拝
4月17日・イースター礼拝の放送です。
下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年4月17日NGC SundayCelebration (YouTube)
また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2022年4月17日NGC SundayCelebration (WMP)
また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2022年4月17日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
賛美「とわに礼拝します」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「世人よ歌え」聖歌171番
お知らせと報告など
賛美「新しい命」
「主は今生きておられる」新聖歌257番改
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ピリピ人への手紙1章21〜24節
メッセージ「生も死も幸い」
祈り・応答
賛美「勝利の冠」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:中川宏道兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Miyuki
Cho:Yoshika & Setsuko
Key:Setsuko
Dr:Nobu
PA:DJshuntaro
下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2022年4月17日NGC SundayCelebration (YouTube)
また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2022年4月17日NGC SundayCelebration (WMP)
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2022年4月17日NGC SundayCelebration (RAM)
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賛美「とわに礼拝します」
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前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「世人よ歌え」聖歌171番
お知らせと報告など
賛美「新しい命」
「主は今生きておられる」新聖歌257番改
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ピリピ人への手紙1章21〜24節
メッセージ「生も死も幸い」
祈り・応答
賛美「勝利の冠」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:中川宏道兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Miyuki
Cho:Yoshika & Setsuko
Key:Setsuko
Dr:Nobu
PA:DJshuntaro
2022/4/17早天メッセージ
イースターおめでとうございます。
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書20:11-23です。
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マリアは泣いていました。
神である主イエスであっても死のままでは、それは悲しみ以外の何ものでもありません。
死の絶望の力はそれほどに大きいのです。
マリアにとっては、希望もなく、どうしたらいいか全くわからない状況でした。
心も弱くなって泣くしかなかったのです。
解決などありませんでした。
しかし、彼女はこのような状態の中でも、死んでしまった後でさえ、イエス様から離れなかったのです。
いや遺体がなかったのですから、離れまいとしたのです。
だからここで復活のイエス様にお会いすることができました。
彼女には何をも悟れるような状態ではありませんでしたが、イエスご自身が彼女に分るように現れてくださいました。
何があってもイエス様から離れないようにしましょう。
たとえイエス様がもういないように感じるような絶望の中でも、イエス様を求めましょう。
祝福を祈ります。
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書20:11-23です。
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マリアは泣いていました。
神である主イエスであっても死のままでは、それは悲しみ以外の何ものでもありません。
死の絶望の力はそれほどに大きいのです。
マリアにとっては、希望もなく、どうしたらいいか全くわからない状況でした。
心も弱くなって泣くしかなかったのです。
解決などありませんでした。
しかし、彼女はこのような状態の中でも、死んでしまった後でさえ、イエス様から離れなかったのです。
いや遺体がなかったのですから、離れまいとしたのです。
だからここで復活のイエス様にお会いすることができました。
彼女には何をも悟れるような状態ではありませんでしたが、イエスご自身が彼女に分るように現れてくださいました。
何があってもイエス様から離れないようにしましょう。
たとえイエス様がもういないように感じるような絶望の中でも、イエス様を求めましょう。
祝福を祈ります。
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2022年04月16日
2022/4/16早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ローマ人への手紙5:6-11です。
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生きた信仰は患難のときに力を発揮します。
この箇所の少し前にあるように、「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」(5:3-5)とあるとおりです。
それは信仰による救いをいただいた私たちクリスチャンに共通しているのです。
その生きた信仰がどこから来るかというと、それは神様が罪びとをも愛して下さるという安心感にほかなりません。
もしも正しい者だけが希望を持つのだとするなら、誰にも不可能なことです。
必ず挫折してしまいます。
しかし、主は「まだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれた」(8)と言われます。
罪人であったときでさえ、愛をいただいているのですから、今も主に愛されていないはずがありません。
主の解決を信じましょう。
どんな失望の中にあっても、主にお任せして安心しましょう。
その安心が続くためにも従いましょう。
主を愛して従いましょう。
祝福を祈ります。
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生きた信仰は患難のときに力を発揮します。
この箇所の少し前にあるように、「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」(5:3-5)とあるとおりです。
それは信仰による救いをいただいた私たちクリスチャンに共通しているのです。
その生きた信仰がどこから来るかというと、それは神様が罪びとをも愛して下さるという安心感にほかなりません。
もしも正しい者だけが希望を持つのだとするなら、誰にも不可能なことです。
必ず挫折してしまいます。
しかし、主は「まだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれた」(8)と言われます。
罪人であったときでさえ、愛をいただいているのですから、今も主に愛されていないはずがありません。
主の解決を信じましょう。
どんな失望の中にあっても、主にお任せして安心しましょう。
その安心が続くためにも従いましょう。
主を愛して従いましょう。
祝福を祈ります。
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2022年04月15日
2022/4/15早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書19:23-30です。
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「十字架につけると」(23)と、聖書では簡潔に書かれています。
十字架刑は体に釘が打たれるだけでも激しい痛みですが、それだけではありません。
体を貫通した釘に体重がかかって、激痛と大量の出血が起こります。
また肩にかかる力によって、呼吸困難になり、恐ろしい苦しみが襲います。
肩の関節や肋骨も歪み、はずれたことでしょう。
イエス様は全身から血を噴き出させながら、体を激しく震わせたと思われます。
そのような状況で以下にある出来事が起きました。
「下着」(23)とは一枚の大きなもので、物資の乏しかった当時は、一生大切に着るものでした。
多くは息子が12歳で成人するときに、母が愛情と祈りを込めて織ったそうです。
それを面白がってくじを引くほどに、イエス様は嘲弄されたのです。
さらにはそれを見ていた「イエスの母」(25)マリアは心が張り裂けるほどだったでしょう。
そのような苦しみさえ聖書に預言されていたのです。
それは私たちを救うための神様のわざです。
それほどにその愛は大きいということです。
またイエス様は耐え難い激痛の中で、母マリアの今後を心配して、ヨハネに「息子」(26)として面倒をみるように願いました。
願いというよりは、ヨハネなら喜んでそうしてくれるという、信頼に満ちた宣言でもありました。
イエス様の心の中にはどんな状況でも、人に対する愛があるのです。
イエス様は人としての弱さを持った状態で、そのように生きたのですから、私たちにも聖霊によってそれが可能であることを知って、主のために生きたいと願う人はそれを希望にしましょう。
自分の愛を過小評価しないで、大胆に人を愛しましょう。
またイエス様からそのような無限の愛で愛されている自分の価値に感謝しましょう。
何といってもイエス様の愛に感謝しましょう。
祝福を祈ります。
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「十字架につけると」(23)と、聖書では簡潔に書かれています。
十字架刑は体に釘が打たれるだけでも激しい痛みですが、それだけではありません。
体を貫通した釘に体重がかかって、激痛と大量の出血が起こります。
また肩にかかる力によって、呼吸困難になり、恐ろしい苦しみが襲います。
肩の関節や肋骨も歪み、はずれたことでしょう。
イエス様は全身から血を噴き出させながら、体を激しく震わせたと思われます。
そのような状況で以下にある出来事が起きました。
「下着」(23)とは一枚の大きなもので、物資の乏しかった当時は、一生大切に着るものでした。
多くは息子が12歳で成人するときに、母が愛情と祈りを込めて織ったそうです。
それを面白がってくじを引くほどに、イエス様は嘲弄されたのです。
さらにはそれを見ていた「イエスの母」(25)マリアは心が張り裂けるほどだったでしょう。
そのような苦しみさえ聖書に預言されていたのです。
それは私たちを救うための神様のわざです。
それほどにその愛は大きいということです。
またイエス様は耐え難い激痛の中で、母マリアの今後を心配して、ヨハネに「息子」(26)として面倒をみるように願いました。
願いというよりは、ヨハネなら喜んでそうしてくれるという、信頼に満ちた宣言でもありました。
イエス様の心の中にはどんな状況でも、人に対する愛があるのです。
イエス様は人としての弱さを持った状態で、そのように生きたのですから、私たちにも聖霊によってそれが可能であることを知って、主のために生きたいと願う人はそれを希望にしましょう。
自分の愛を過小評価しないで、大胆に人を愛しましょう。
またイエス様からそのような無限の愛で愛されている自分の価値に感謝しましょう。
何といってもイエス様の愛に感謝しましょう。
祝福を祈ります。
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2022年04月14日
2022/4/14早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書19:14-22です。
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「(皇帝)カエサルに背いてい」(12)るという言葉を出されて、ピラトは苦渋の選択をしました。
「イエスを十字架につけるため彼らに引き渡した」(16)のです。
彼はイエスを助けたいと思っていましたが、それは真理のためや神のためではなく、ただことを荒立てたくなかっただけなのです。
自分さえがまんすれば丸く収まるからがまんするのも、美徳のようではありますが、真理のため神様のために勇気をもって決断しているかが問われます。
イエス様はそのような気の弱い支配者に翻弄されるのですが、神様のご計画とその主権は変わらないことがわかります。
「ユダヤ人の王」(19)というのは、すなわち旧約に預言されたキリストであることを意味しますし、ヘブル語、ラテン語、ギリシャ語で書かれたということは、ユダヤ人、ローマ人、ギリシャ人という当時世界を代表する文化に対して、それぞれの救い主であるということが暗に表されているのです。
カエサルのようなこの世の権力よりも、偉大な神の全能に沿っていく勇気を持ち、永遠に変わらない希望を見ながら、決断しつつ歩みましょう。
祝福を祈ります。
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「(皇帝)カエサルに背いてい」(12)るという言葉を出されて、ピラトは苦渋の選択をしました。
「イエスを十字架につけるため彼らに引き渡した」(16)のです。
彼はイエスを助けたいと思っていましたが、それは真理のためや神のためではなく、ただことを荒立てたくなかっただけなのです。
自分さえがまんすれば丸く収まるからがまんするのも、美徳のようではありますが、真理のため神様のために勇気をもって決断しているかが問われます。
イエス様はそのような気の弱い支配者に翻弄されるのですが、神様のご計画とその主権は変わらないことがわかります。
「ユダヤ人の王」(19)というのは、すなわち旧約に預言されたキリストであることを意味しますし、ヘブル語、ラテン語、ギリシャ語で書かれたということは、ユダヤ人、ローマ人、ギリシャ人という当時世界を代表する文化に対して、それぞれの救い主であるということが暗に表されているのです。
カエサルのようなこの世の権力よりも、偉大な神の全能に沿っていく勇気を持ち、永遠に変わらない希望を見ながら、決断しつつ歩みましょう。
祝福を祈ります。
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2022年04月13日
2022/4/13早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書19:1-13です。
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ピラトはイエス様を痛めつければ、それでユダヤ人たちの気が済むと思い、鞭打ちにします。
しかし人間的な思いつきでは人は変わることはありません。
あくまでも「十字架につけろ」との叫びは収まりませんでした。
人は聖霊によらなければ、イエスをキリストと告白することはできません。
すなわち救い主として信じることはできないのです。
またクリスチャンも聖霊によらなければ、人格に実を結ぶことはできません。
聖霊によらずに、感情だけなだめようとしても無益ですから、聖霊を求めましょう。
さらにピラトのように、鍵を握る人が自分を守ることに終始していたら、事態が収まるどころかますます悪くなります。
この時点で、ピラトには「何の権威も」(11)ないのです。
聖霊による権威を主からいただいて、解決に臨みましょう。
イエス様は全く弱い立場におかれながらも、その権威によって神のご計画を全うしたのです。
祝福を祈ります。
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ピラトはイエス様を痛めつければ、それでユダヤ人たちの気が済むと思い、鞭打ちにします。
しかし人間的な思いつきでは人は変わることはありません。
あくまでも「十字架につけろ」との叫びは収まりませんでした。
人は聖霊によらなければ、イエスをキリストと告白することはできません。
すなわち救い主として信じることはできないのです。
またクリスチャンも聖霊によらなければ、人格に実を結ぶことはできません。
聖霊によらずに、感情だけなだめようとしても無益ですから、聖霊を求めましょう。
さらにピラトのように、鍵を握る人が自分を守ることに終始していたら、事態が収まるどころかますます悪くなります。
この時点で、ピラトには「何の権威も」(11)ないのです。
聖霊による権威を主からいただいて、解決に臨みましょう。
イエス様は全く弱い立場におかれながらも、その権威によって神のご計画を全うしたのです。
祝福を祈ります。
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