本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、創世記42:1-17です。
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ききんは広範囲であったようで、カナンの地にいたヤコブたちにも及びました。
信仰者といえども、気候や社会の変動から来る苦難に無関係ではいられません。
しかし主に導かれる者は、最善の主のわざにあずかることができます。
そして主の新しいご計画へと導かれます。
ヤコブはエジプトの大臣が誰であるか知る由もありませんが、背後におられる主に導かれて息子たちを送ります。
私たち人間は必要にかられて行動しなければならないときがありますが、主はどこにでもおられる方です。
全能の主のあわれみを信じていきましょう。
ヤコブは歳若い息子ヨセフを失った悲しみから、同じことを心配して下の息子ベニヤミンは出しませんでした。
これも人間的な動機ではありますが、後にはそれがヨセフに用いられます。
そしてそれが兄弟の和解につながるのです。
私たち人間は先の先まで見通すことはできません。
だからこそ主に頼りつつ、今の段階で精一杯主に従う必要があるのです。
ヨセフは荒々しい態度をとりましたが、これは自分が兄弟だと悟られないため、また兄たちの心を知りたいがためでした。
またそれは結果的には兄たちの悔い改めを知って、彼自身の心が癒されることにもなりました。
このように神様は単にご計画を進めるだけでなく、その心の癒しまでもご配慮くださる、行き届いた方なのです。
一連の言動に関しては、ヨセフには明確なプランがあったか分かりませんが、様々な思いが混じりながら、結局は主が働かれるような命令を兄弟たちに下してゆきました。
ヨセフは奴隷としてエジプトに売られてからも一貫した主の御心を行い、主に従ってきました。
そのような信仰の基本姿勢がそうさせたと言えるでしょう。
また主はそのようなヨセフに最善の導きで答えてくださったのです。
祝福を祈ります。