本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、創世記47:1-12です。
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神を信じる人々と、信じないで無視または争って生きる人々とでは、当然相容れないことが生じます。
信じない人々からすれば、人間中心の視点しかありませんから、当然信仰者を融通のきかない人間と思うでしょう。
互いにストレスや争いが生まれます。
ヤコブ一族がエジプトの中心から離れて暮らすことは、そのような点で示唆を与えてくれます。
私たちもやはりどこか、不信者とは一線を画す必要があるのです。
それは住む場所というような見える部分だけではなく、人生の目的や使命、または倫理観や人類愛というようなことかもしれませんし、何よりも主のみこころを第一にするという生き方です。
エジプト人は進んだ農耕民族で、それゆえ遊牧民をさげすみ、さらには忌みきらうようになっていましたが、それさえも信仰のために用いられました。
それゆえ異教の地から離れて暮らすことが容易になったのからです。
人は低く見られたり評価が足りないと、憤慨したり画策しやすいものですが、気にする必要はありません。
主がすべてご存知ですし、それを用いて恵みに変えてくださることもあるのですから。
兄たちが弟ヨセフを奴隷に売るなどという罪があり、奴隷でありしかも冤罪で入獄するという絶望があり、生きて行けないききんがあるというように、人間には様々なマイナスの出来事がありますが、神様はご自身の計画と愛のゆえに、それらを驚くべき恵みに変えてくださいます。
ゴシェンは王の家畜が飼われるほど、牧畜に適したところで、そこで平安のうちに暮らすことができるようになりました。
そしてそこでエジプトのために王の家畜の係長として責務を果たすことにもなるのです。
信仰者は主の恵みによって生き、社会のために貢献しながら、よき証し人として生きましょう。
祝福を祈ります。