本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、創世記48:12-22です。
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ヨセフは父からの偏愛を受け、それがもとで兄たちから憎まれて奴隷として売られ、辛苦をなめる人生を送らねばなりませんでした。
そのような経験のある人の中には、兄たちだけでなく、自分をそのように育てた父にも恨みを抱くケースが少なくありません。
神様がそのような過去を恵みに変えてくださったことは言うまでもありません。
しかし、どれほど主の大逆転があろうとも、恨みの思いを消せない人もいるのです。
ヨセフは過去を主の恵みによって変えていただくことができました。
そこには兄弟たちに明言したように、「神が私を先にエジプトに遣わした」という信仰と、赦しを宣言した告白があったのです。
恨みによって考えたり行動したりしなかったのです。
私たちは主の恵みによって生きるという信仰を決断する必要がありますが、その決断をしたならば、いつまでも過去に囚われることは人生の損失です。
ヨハネはわだかまりを持たずに、父の霊的権威をも認めて、父からの祝福を受けようとしています。
それによって自分と子どもたちが大いに祝福されたのです。
またイスラエル(ヤコブ)は、次男であるエフライムを長子として祝福しました。
その根拠はわかりませんが、事実そのようにエフライムはマナセよりも大きな部族になりました。
神様の一方的な選びを証しするものとして、ヤコブの祝福が用いられたわけです。
そのような選び(賜物や使命も含めて)に関しては、クリスチャン同士でもうらやましがったり、不平を言ったりしやすいものです。
しかしエフライムもマナセも共に祝福されたのですから、そのことを忘れないようにしましょう。
もしも競争心や不満を持つなら、そこから祝福は漏れてしまうことを覚えましょう。
祝福を祈ります。