本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、創世記50:15-26です。
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ヨセフの兄たちは、またも自分たちのかつての罪から仕返しを恐れ、画策しました。
それは言ってもいない父ヤコブのことばを持って、ヨセフに取り入ったことです。
「ヨセフは...泣いた。」(17)とあります。
彼はもう赦すと何度も言っていたはずなのに、自分との信頼関係がないことを嘆き、また兄たちの卑屈さを嘆いたものと思われます。
ここには赦しと不安の原型ともいうべき姿があります。
人間は赦されても、なお自分を守るために不安を抱えて生きるものなのです。
それはイエス様の十字架によって赦された私たちも同じかもしれません。
何か問題が生じるたびに、赦されていないかもと十字架の愛を疑うようなことのないようにしましょう。
祝福を祈ります。