本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇33:1-22です。
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「正しい者」(1)は、主に対して恐怖心をいだく必要がありません。
「主を喜び歌」(1)うことができるのです。
天を造られた偉大なる主の権威によって「正しい者」は守られ「愛される」(5)からです。
ただし、ダビデはこの前の歌で「罪をおおわれた」(32:1)者の幸いを歌っています。
つまり正しい者とは全く罪を犯したことのなり天使ではなく、罪を認めて告白し、主に罪を赦された者ということができるでしょう。
私たちはここに歌われている、主からの安心をどんなときも持つことができるのですが、それは悔い改める謙遜さを大前提としたものです。
祝福を祈ります。