本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ピリピ人への手紙1:12-21です。
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投獄されるとは、辛く苦しいことに違いありませんが、パウロはそれも「福音の前進」になるなら、喜びであるようです。
私たちもときには、自分が損や被害を被りながらも、主の栄光のために喜びを持つような信仰を表したいものだと思います。
「党派心から、キリストを宣べ伝え」(17)る人々は、おそらくパウロに対抗してのことですから妨害や批判をしたことでしょう。
投獄されているパウロにとって、それは「さらに苦しめ」(17)られることでした。
しかし彼は宣教を「喜んでいます。」(18)と言っています。
このような人になりたいものです。
せっかく主のわざが進もうとしているのに、自分のプライドや都合で、それを喜べないとしたら、そのような心は神の国ではみじめなものでしょう。
パウロは「生きることはキリスト、死ぬことは益です」(21)と言っていますが、これは特殊な悟りを開いた人の境地ではありません。
主の愛によって生きるとき、主がそのような思いにしてくださいます。
自分の修行ではありません。
主の聖霊によります。
そのような人は恐れず、恨まず、争わず、むしろ愛し、協力し、赦し、受け入れて喜びと平和のうちに主の勝利をつかむことができるのです。
そのような人になりたいものです。
祝福を祈ります。