本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ピリピ人への手紙3:1-11です。
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イエス様の十字架によって救われた人々の集まりである教会で、まだほかに救いの条件があるかのように主張する人々がいました。
割礼を受けなければ救われないと言う人々がそれで、パウロは犬とも表現しています。
割礼とは神の民であることの印ですが、それはあくまでも十字架による救いを知るための、ひとつの備えでした。
パウロが言うとおりに、救われた者が「心に割礼」すなわち印を持っていることが本当の在り方なのです。
私たちも外面や人からの見た目にとらわれることなく、心を大切にしましょう。
すなわち主が分かってくださるということを重要にして、自分のアイデンティティーを確立していきましょう。
そのようなパウロは、以前の自分のプライドは、永遠の救いにくらべたら「損」(7)とさえ感じると言っています。
救われたことの絶大な価値を忘れることなく、また薄めることなく、大きな感謝をささげて生きましょう。
祝福を祈ります。