本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ピリピ人への手紙3:12-21です。
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成人とは完成された人のことを考えるのが、世の一般的な感覚かもしれませんが、それは神なしで人間だけで生きようとする価値観です。
神様がおられて、その神さまに愛されている以上、私たちは神とともに歩むのです。
そしてどんなに立派は人でも聖にして全能な神の御前では、不完全な罪人にしか過ぎないのです。
であれば、「完全にされているのでもありません」(12)と、パウロのように、もっと成長し前進するのだという、謙遜と意欲を持った人が、主の前で成人なのです。
このことを忘れないようにしましょう。
かといって「到達した」(16)救いまでも、変わっていかなければならないと考える必要はありません。
これを「基準にして進むべき」(16)です。
私たちも変わらない救いの信仰にしっかり立ち、自分自身は変わってゆく、すなわち成長・前進してゆく者でありましょう。
パウロのように、自分のアイデンティティーを永遠の神の国にしっかり結び着けて、希望を持って人生を切り拓いていきましょう。
祝福を祈ります。