2023年09月30日

2023/9/30早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙13:18-25です。

本文とメッセージはこちら

祈ってもらうことは大きな力です。
著者は神の使命を全うしたいので祈ってもらいたいのです。
また神の力がなければ全うできないという謙遜な思いがあるからです。
そしてともに主にある兄弟姉妹には祈りの力があるという信頼があるからです。
よく互いに祈りあいましょうと言いますが、祈りにはそのように色々な信仰が表れているのです。
祈り合いましょう。
すなわち祈りをお願いし、また積極的に祈ってあげましょう。

著者は神である主のことを、「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神」(20)と表現しています。
神様のすばらしさをいつもイメージしながら祈り、生活することは信仰の力になります。

テモテの釈放について報告しています。
それはみなの喜びとなったことでしょう。
主のために生き、互いに励ましあい、その苦労を分かち合うことができる人間関係ほど幸いなものはありません。
それがクリスチャンの本当の交わりです。

祝福を祈ります。
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2023年09月29日

2023/9/29早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙13:10-17です。

本文とメッセージはこちら

「私たち(クリスチャン)には一つの祭壇があります。」(10)というのは、イエス様の「みもと」(13)ということです。
イエス様が永遠の大祭司であり、完全なるささげものであるからです。
さらにここで述べられていることは、贖いのささげものは他のものと違って祭司は食べることができず、宿営の外で焼かれたということです。
イエス様も外で(すなわちエルサレムの城壁外のゴルゴダで)殺されました。

つまり私たちがイエス様の贖いのみもとに行こうとするなら、宿営を出て外のゴルゴダに行かなければならないということです。
宿営とはヘブル人にとってはこれまでの社会であり、旧約の律法です。
他の者にとっては人間社会の神なき生き方であり、因果応報的な価値観ということになるでしょう。
私たちは神なき世界を出て、みもとに行く必要があるのです。

そしてイエス様のみもとから広がっているのは、永遠の希望であり、「来たるべき都」(14)です。]
大いなる希望のゆえに、ここにあるような「善」(16)を行っていきましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月28日

2023/9/28早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙13:1-9です。

本文とメッセージはこちら

続けて、いかに生きるべきかが述べられています。
「旅人」(2)は観光のためというよりも必要があって生活地から離れて移動しなければいけない人ということでしょう。
心細かったり乏しかったりするものです。
「牢」(3)とは一義的には迫害でしょうが、誰であっても「虐げられている人々」(3)を思いやることです。
「淫行」(4)や「姦淫」(4)にはさばきが伴うことを忘れてはなりません。
「金銭を愛する」(5)ような価値観だと、人は生き方がだんだんずれてしまいます。
むしろ「あなたを見捨てない」(5)と言ってくださる、全能の主に信頼する方がむしろ安心です。

主に信頼して信仰を守り通した生き方は、指導者たちのように迫害にも屈しない人々によって証されています。
その結末はきよく、力に満ち、多くの人々の励ましとなったものです。
そして永遠の大祭司でありとりなし手であられるイエス様は今も変わらないお方です。
「恵みによって」(9)すなわち恵みを求め信頼して、また恵みの数々を思い出しながら、信仰の「心を強く」(9)されましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月27日

2023/9/27早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙12:18-29です。

本文とメッセージはこちら

ここでは忘れてはならないこと、すなわち終わりの日とさばきについて言及されています。
それは「たとえ獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない」(20)というほどの、神の厳粛さであり恐ろしいばかりの栄光の現れです。

しかしそれだけでなく、イエス様の栄光はそれら旧約の出来事よりもはるかに大いなるものであることが述べられています。
ですから「語っておられる方」(25)すなわち聖霊を拒んではならないのです。
聖霊に逆らうようであれば、私たちは神に従う可能性はなくなってしまいます。

また、そのようなことのない正しい生き方は、さばきへの恐ろしさから逃れたいという動機によるものではありません。
「生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い」という希望によってもたらせれるものです。

祝福を祈ります。
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2023年09月26日

2023/9/26早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙12:12-17です。

本文とメッセージはこちら

旧約の祭儀がひながたであること、永遠の大祭司であるイエス様こそが真の贖い主であること、そしてそれゆえにイエス様こそがとりなし手であるということが論じられてきました。

前の箇所では、そのイエス様によって試練をも愛の訓練として忍耐できるのだと、励ましを受けました。
そしてここでは救われた者の生き方について書かれています。

誰もが手や足が弱るような疲れを感じるでしょうが、恐れから伸ばせないでいたものを思い切って伸ばしてみましょう。
のびのびとやってみてはどうでしょうか。
また平和を追い求めることもしてみましょう。
自分の利得やプライドよりも平和を優先してみましょう。

「だれも神の恵みから落ちないように」(15)、「苦い根が生え出」(15)すことのないように、「俗悪な者」(16)がないようにと訓戒しています。
自分自身の罪を認めるなら、それはさばきの証拠となるのではなく、主の恵みと回復の始まりなのですから、積極的に罪を告白しましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月25日

2023/9/25早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙12:1-11です。

本文とメッセージはこちら

すでに天に召されたクリスチャンたちは、迫害など試練にあっても信仰を守り通すならば、すばらしい栄誉があるということの証人であり、信仰を守ることによって次世代に救いが広がるということの証人でもあります。
忍耐は決して無駄ではありません。

その忍耐は「イエスから目を離さない」(2)こと、イエスご自身の忍耐を考えることから始まります。
そしてつらいことも訓練であって、神の愛であることを忘れないことです。
この「叱られ」(5)とはさばきではありません。
訓練です。
より強い者、しっかりした者、正しい者、美しい者となって、幸いな人生を送るために必要なことなのです。

祝福を祈ります。
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2023年09月24日

2023/9/24主日礼拝

9月24日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2023年9月24日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2023年9月24日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2023年9月24日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。




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前奏
賛美「神の国と神の義を」新聖歌291番
招詞
礼拝祈祷
賛美「輝く日を仰ぐとき」新聖歌21番
お知らせと報告など
賛美「偉大な主」
  「ただ十字架のイエスにあり」
  「希望の歌」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ヘブル人への手紙12章1〜3節
メッセージ「御国の最優秀選手」
祈り・応答
賛美「勝利の冠」(献金)
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Miyuki
 Cho:Yoshika
 Key:Setsuko
 Dr:Nobu
 PA:DJshuntaro
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2023/9/24早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙11:32-40です。

本文とメッセージはこちら

人類には古くから戦いや事故・事件などで悲惨な死に方をする人々は大勢いました。
信念のゆえに死を選ぶ人々もいました。
日本でも殿様のために切腹したり、天皇のためにと特攻で死んだ人々もいます。
これらの人々とここに記されている信仰の勇者たちとの違いは、永遠の希望すなわち「もっとすぐれたよみがえりを得る」(35)という希望に関してです。

ここに記されている勇者たちは旧約の聖徒たちに加え、中間時代(紀元前1〜4世紀ころの聖書に記されていない時代)の殉教者も考えられていると思われます。
彼らは聖書や聖書に命じられている教えを捨てなかったので、ペルシャのアンティオコス・エピファネスなどのもとで拷問で殺されました。
彼らの信仰と犠牲がなければ、イエス様が救いを成し遂げる歴史的基盤がなくなっていたでしょう。

私たちは、このような殉教者たちの信仰を忘れないようにしましょう。
神の福音である永遠の救いはそれほど尊いもの、命にかけても守るべきものなのです。
そのような尊い救いを私たちはいただいているのです。

殉教者たちはすばらしい信仰を持っていましたが、その希望が全うされるのは、イエス様の十字架と復活そして再臨によらなけらばなりません。
ですから私たちも終末の再臨において、彼らと共に、「すぐれたよみがえり」(35)を全うしていただけるのです。

この世にはさまざまな苦しみがありますが、「キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:39)との確信を持ちましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月23日

2023/9/23早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙11:17-31です。

本文とメッセージはこちら

アブラハムはイサクをささげましたが、それはいけにえとして殺すことを意味します。
神様はそれを受け取り、イサクを殺すことはありませんでしたが、彼の信仰をよしとされました。
アブラハムは「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」(19)と考えたのです。
それはイエス様がご自身をいけにえとしてささげられたことと、死からよみがえられたことの雛形(ひながた)であるというわけです。

このように信仰に生きることは、イエス様の真理を表すことになります。
主を証ししよう、伝道したいと思うなら、言葉も必要ですが、信仰の生き方もまた不可欠であり、大きな力になります。

またモーセがなぜあのような困難な神のプロジェクトに立ち上がったかというと、それは信仰です。
報いとして与えられるものを見ることができ、それから「目を離さなかった」(26)からです。
信仰は正しい歩みに希望を与えてくれるものです。

祝福を祈ります。
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2023年09月22日

2023/9/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙11:8-16です。

本文とメッセージはこちら

さらに続けてアブラハムたちから学ぶようにと、彼の信仰の生き方が述べられています。
彼らは「憧れていたのは...天の故郷で」(16)あったからこそ、その信仰がしっかりしていました。
もしもこの世の見えるものしか分からなかったら、状況や見通しに左右されるだけで信仰どころではないでしょう。
神のことばも計画もうわのそらとなるでしょう。
神様はご自身の備えられた「天の故郷」(16)に憧れる者に対しては、「彼らの神と呼ばれることを恥」(16)とはなさらず、「都を用意され」(16)るのです。

アブラハムのように素直に神に従い、天の都に比べれば地上の生活は「天幕生活」(9)であることを思い、サラのように(一度は不信仰ゆえに笑っても)最後は「約束してくださった方を真実な方と考え」(11)、信仰を全うしましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月21日

2023/9/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙11:1-7です。

本文とメッセージはこちら

信仰とはただ「信じ込む」というような感情的な面だけではありません。
それは真実・忠実を表すピストスという形容詞と関係していることばピスティスという名詞です。
つまり信仰とは、信じた内容に対して真実に考え行動することであり、信じた方に対して忠実に歩むことです。
このような生き方は、困難な現実の中でも将来の「保証」(1)と「確信」(1)をいただくことができるのです。

その信仰によって、「この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではない」(3)と悟るとありますが、これが「保証」と「確信」を生むものです。
ですから神のことばを、私たちは祈りつついただくのです。

アベル、エノク、ノアの信仰の生き方に学びましょう。
ささげ物に関して、神に喜ばれることを目指して、人々特に家族の救いのために、彼らを模範として、信仰によるならばどうすべきだろうかと、教えられ、それに真実に答え、忠実に実行しましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月20日

2023/9/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙10:26-39です。

本文とメッセージはこちら

26節からは罪を犯し続けることの報いの恐ろしさが強調されています。
モーセの律法によれば、死刑に処せられるというのですから、「契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するか」(29)というのです。
最後に残された、あわれみゆえの救いの道をも拒否するなら、「生ける神の手の中に陥る」(31)ことになります。
救われたということは感謝以外の何ものでもありません。

初代教会では多くの迫害があり殉教がありました。
それは永遠の命の本当の希望を確認するためであり、後世の私たちもそれを知るためです。
また主を信じる本当の姿勢を明らかにするためであり、この世の利害とは違う次元のものであるということを示すためです。

そしてクリスチャンにはそのような信仰に生きた人々の霊的DNAが受け継がれてきたのです。
ですから私たちも、永遠の希望をしっかりと持ちながら、そのために地上のあらゆることに動じることなく、永遠の希望を失わないようにする必要があります。

そしてこの希望のゆえに苦しみに会っている人(捕えられている)を思いやり、励ましあってゆく必要があります。
「なんでこんな目にあうのか」と言う人には、主の深いご計画と勝利の希望を信じてあげて、それを宣言し、主にとりなすことです。
「信じていのちを保つ者」(39)になりましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月19日

2023/9/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙10:11-25です。

本文とメッセージはこちら

イエス様はご自身を永遠の「いけにえ」(12)としてささげ、神の右に着かれました。
それは父なる神と同じ地位である、すなわち神そのものであられるということです。
それは「敵がご自分の足台となる」(13)ときまでであり、全能の主の目からは全宇宙もまた霊的領域も変化しているということです。

主の十字架を受け入れた者は「聖なるものとされる」(14)ことが目的ですが、それは人間的な修養努力による頑張りだけの力ではなく、「一つのささげ物」(14)すなわち、イエス様ご自身の十字架と復活の力によってであり、また今も神の権威をお持ちである御子イエス様の権能によるのです。

ヘブル書の著者、また初代教会の指導者たちがここにあるような真理を確信するに至ったのは、イエス様の教えと旧約(特に神殿での祭儀)を十分に吟味したことによります。
その上で聖霊による理解です。
15節から聖霊の証しが書かれていますが、それもまた聖書にあるものです。
すなわち聖書と聖霊とは切り離すことができないのです。
聖書は神のことば、聖霊は神ご自身です。
そのような信仰生活を送りましょう。

ところで、「罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。」(18)とあります。
主の十字架によって赦された私たちにはただ十字架だけが必要十分であるということを銘記しましょう。
そして何かあるごとに、必ず主の十字架のもとに行き、十字架を根拠として祈り解決しましょう。

聖所とは、これまで述べられてきた、聖なる神のおられるところです。
幕屋や神殿では、そこに入るためには、罪赦されるための身代わりの血が必要でしたが、「イエスの血によって大胆に聖所に入ることができ」(19)るようになりました。
このイエス様が「新しい生ける道を開いて」(20)くださったからであり、また偉大な祭司としてとりなしてくださるからです。

著者は「真心から神に近づこうではありませんか。」(22)、「希望を告白し続けようではありませんか。」(23)、「愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。」(24)と勧めています。
どれも大祭司であるイエス様が贖いをなし、今もとりなしていてくださるからこそです。

また「自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」(25)とあります。
クリスチャンは一人では本来の歩みができないものです。
励ましが必要であり、また人間関係の難しさの中で成長できるものなのです。
何よりも大祭司であるイエス様のもとで、神と交われるのですから、イエス様のもとに集まるのです。
主の礼拝に集まることはクリスチャンの生命線です。

祝福を祈ります。
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2023年09月18日

2023/9/17主日礼拝

お待たせしました。
9月17日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2023年9月17日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2023年9月17日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2023年9月17日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。




------------------------------------------------------------
前奏
招詞
賛美「驚き仰ぎ見る」(放送はここからになります。ご了承下さい。)
礼拝祈祷
賛美「主は御座におられる」
お知らせと報告など
賛美「ワンデイ」
  「主の愛が今」
  「明日をまもられるイエス様」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ヘブル人への手紙11章1〜3節
メッセージ「信仰による希望と義」
祈り・応答
賛美「私の心の目を」(献金)
敬老感謝の時
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------


司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:岡本牧師
 Cho:Mutsumi
 Key:Miyuki
 Dr:Shintaro
 PA:Ai
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2023/9/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙10:1-10です。

本文とメッセージはこちら

律法は罪の自覚をもたらしますが、罪からの救いやきよめはありません。
ですから私たちも、罪を自覚するだけでは足りません。
また罪を言い表すだけでは足りないのです。
言い表すならそれは神の御前でなくてはならず、ヨハネの第1の手紙1:7にあるように「御子イエスの血」が必要なのです。

「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています」(10)とありますから、その確信を持って、イエスの血によってきよい者とならせていただきましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月17日

2023/9/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙9:23-28です。

本文とメッセージはこちら

イエス様は永遠の大祭司として「天そのもの」(24)の聖所に入られました。
それは神のおられる神の御座であり、実は見える「聖所」以上のもの、永遠絶対なるものです。

ですからキリストの十字架の身代わりによって救われ、その血によってきよめられた私たちは、永遠の安息に入ることができたのです。

私たち人間は「一度死ぬことと死後にさばきを受けること」(27)が定まっていますが、イエスの十字架を受け入れた私たちにとって、さばきとは無罪を宣言されることです。
またその未来は「救いのために現れてくださ」(28)るというイエス様による救いの完成(新天新地)なのです。
その希望にふさわしい歩みをしましょう。
もとは罪人であるという者にふさわしく謙遜でありましょう。
永遠の大祭司にとりなしていただけている安心を感謝しましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月16日

2023/9/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙9:11-22です。

本文とメッセージはこちら

イエス様の十字架は、「どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。」(14)とあるように、私たちの内面をきよめて、変える力があります。
十字架はそのためでもあるのです。

儀式は一時的なものであり、表面的です。
しかし私たちには、いける神の身代わりときよめの血があります。
血にはいのちがあるのです。
わたしたちはイエス様から新しい命をいただいています。
ですから新しい生き方が可能なのです。
それを確信して、きよい生き方への渇望と確信を持ちましょう。

きよめも癒しも、また成長のためにも、自分を変える必要があると分かっているでしょうか。
それを実現するのは人間の努力だけでなく、主の十字架の血によるのです。
私たちは自分が主のみこころに沿って変えられたいと願うこと、そしてそのために主に求め、聖霊様を歓迎することです。

祝福を祈ります。
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2023年09月15日

2023/9/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙9:1-10です。

本文とメッセージはこちら

燭台は聖霊を表し、パンは砕かれた粉ゆえに謙遜ときよめを表します。
そのようにして主のおられる所に近づいてゆくことができるということです。
至聖所とは主ご自身がおられるところを意味し、それは全く聖なるものです。
そこには汚れたままでは入れないので、さまざまなきよめを表しまたきよめをもたらすものがありました。

そして何よりもきよめをもたらすものは、動物の「血」であって、大祭司はそれを携えて至聖所に入ったのです。
つまり、神の前に出られるのは、その罪を赦してきよめていただいたものだけであり、それは罪の刑罰をすでに受けたものだけであるということです。
もちろん人が罰を受けるなら、滅びですから、それは動物の身代わりが必要だったのです。

私たちもイエス様の十字架の血がなければ、聖なる神の前には立てない、神に祈ることすら赦されないものなのだということを忘れないようにしましょう。

罪をいいかげんに扱うことなく、また罪の赦しを感謝し、そして神様にきよい者とされましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月14日

2023/9/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙8:1-13です。

本文とメッセージはこちら

イエス様が永遠の大祭司であることが論じられています。
イエス様は天の「聖所」において仕えておられます。
ですからその働きは永遠であり、またそのとりなしは世々に渡って有効です。
ですから私たちは心強いのです。

またイエス様は、旧約の祭儀のように律法に従ったささげ物を要しません。
ご自身が十字架で犠牲の身代わりとなられたからです。

旧約の契約は「欠け」(7)があったということですが、それは神が与えたものであるから、いわゆる「欠陥」ということではありません。
罪ある弱い「小さい者」(11)である人間が救われるには至らないということです。
問題はあくまでも人間の罪にあるのです。

しかしそれでも神様は全ての者が救われるように、十字架の贖いを成し遂げてくださいました。
その大祭司であるイエス様に感謝し、信頼しましょう。

祝福を祈ります。
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2023年09月13日

2023/9/13早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙7:23-28です。

本文とメッセージはこちら

人間の大祭司では永遠の救いを実現できないという理由がここに明らかにされています。
「レビの子らの場合は、死ということがあるために、務めにいつまでもとどまることができ」(23)ないということと、「自分の罪のために」(27)毎日いけにえをささげなければならなかったからです。

すなわち、全人類のために自らを身代わりとして、その罪のさばきを負うことができるのは、神以外にはないということです。
そのために御子は神の栄光を捨てて、弱い人間となり、しかも貧しい生涯を送られて多くの悲しみと、耐え難い苦しみを負われました。

このイエス様への感謝を忘れることのないようにしましょう。
またイエス様の謙遜から学び、十字架によって新しくされることで、自分自身謙遜な者となりましょう。
謙遜にされることは恥でも失敗でもありません。
光栄なことなのだということを、イエス様の謙遜から学びましょう。

祝福を祈ります。
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