本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙10:26-39です。
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26節からは罪を犯し続けることの報いの恐ろしさが強調されています。
モーセの律法によれば、死刑に処せられるというのですから、「契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するか」(29)というのです。
最後に残された、あわれみゆえの救いの道をも拒否するなら、「生ける神の手の中に陥る」(31)ことになります。
救われたということは感謝以外の何ものでもありません。
初代教会では多くの迫害があり殉教がありました。
それは永遠の命の本当の希望を確認するためであり、後世の私たちもそれを知るためです。
また主を信じる本当の姿勢を明らかにするためであり、この世の利害とは違う次元のものであるということを示すためです。
そしてクリスチャンにはそのような信仰に生きた人々の霊的DNAが受け継がれてきたのです。
ですから私たちも、永遠の希望をしっかりと持ちながら、そのために地上のあらゆることに動じることなく、永遠の希望を失わないようにする必要があります。
そしてこの希望のゆえに苦しみに会っている人(捕えられている)を思いやり、励ましあってゆく必要があります。
「なんでこんな目にあうのか」と言う人には、主の深いご計画と勝利の希望を信じてあげて、それを宣言し、主にとりなすことです。
「信じていのちを保つ者」(39)になりましょう。
祝福を祈ります。