本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、へブル人への手紙11:17-31です。
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アブラハムはイサクをささげましたが、それはいけにえとして殺すことを意味します。
神様はそれを受け取り、イサクを殺すことはありませんでしたが、彼の信仰をよしとされました。
アブラハムは「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」(19)と考えたのです。
それはイエス様がご自身をいけにえとしてささげられたことと、死からよみがえられたことの雛形(ひながた)であるというわけです。
このように信仰に生きることは、イエス様の真理を表すことになります。
主を証ししよう、伝道したいと思うなら、言葉も必要ですが、信仰の生き方もまた不可欠であり、大きな力になります。
またモーセがなぜあのような困難な神のプロジェクトに立ち上がったかというと、それは信仰です。
報いとして与えられるものを見ることができ、それから「目を離さなかった」(26)からです。
信仰は正しい歩みに希望を与えてくれるものです。
祝福を祈ります。