2024年01月31日

2024/1/31早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書10:46-52です。

本文とメッセージはこちら

バルティマイは人々からたしなめられても、ひるむことなくイエス様を求めました。
彼は必死だったのです。
主に求めて祈るときにはこれくらいの熱心さが必要です。
また「目が見えるようにしてください」(51)と本質を単純に求めています。

私たちは主に求めるとき、ときには苦しい思いから、周りのせいにしたり、自己卑下したり、多くの否定的な考えが浮かぶものですが、このバルティマイのように、ただ主の全能に期待して求めるべきでしょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月30日

2024/1/30早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書10:32-45です。

本文とメッセージはこちら

イエス様が十字架の苦難のことを話されたにもかかわらず、彼らは本当の価値観を悟らずに、逆の思いを持っていました。
イエス様はこの世の権力や賞賛よりも、むしろさげすまれるような道を選び、それによって十字架の救いを全うしようとされます。
しかし弟子たちはイエス様とともに、この世の権力を手に入れようと期待していたのでした。

イエス様を信じる信仰とは、信仰のない人の価値観とは違う生き方を選択することになります。
決して自分の得になることを求めるのではありません。
偉い人になるよりもむしろ仕える者になるのが、本当の信仰なのです。

この世の地位や評判に関係なく、謙遜に仕える者となりましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月29日

2024/1/29早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書10:17-31です。

本文とメッセージはこちら

この質問をした人は、よく戒めを守っている人でしたし、本人にその自負があったので、イエス様から自分が誉められるような、答えをもらえると思ったのでしょう。
しかしイエス様は、彼のできる最大のことを要求なさいました。

このように主の前に良いこととは、人と比べて満足することではなく、最大限のことをして、愛を与えることなのです。
それは難しいことですが、主の愛によって動かされるならできるものです。
また救いのためには、だれも不十分な愛しか持ち合わせていないのですが、主の十字架のみわざによって、救いに十分なものとさせていただけるのです。

祝福を祈ります。
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2024年01月28日

2024/1/28主日礼拝

1月28日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2024年1月28日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2024年1月28日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2024年1月28日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。



賛美「イエスその御名は」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「たたえますとこしえに」
お知らせと報告など
賛美「主の御名」
  「主イエス神の愛」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マルコによる福音書10章46〜52節
メッセージ「あわれみを求めて」
祈り・応答
賛美「主イエスの愛に」(献金)
  「真昼のように」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------


司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:岡本節子副牧師
 Cho:Mutsumi & Yoshika
 Key:Yokoi
 Dr:Yoshika
 PA:Ai
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2024/1/28早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書10:1-16です。

本文とメッセージはこちら

パリサイ人は律法さえ守れば良いという態度です。
そのような人は外面的なことに気を遣うことになります。
そのような人は結婚の意味を考えずに、ただ決まりを守れば良いと考えるのです。

イエス様は結婚の大切な意味から教えます。
それは、神様と人の愛の関係を表す、重要なものですから、「神が結び合わせたものを、人は引き離しては」(9)ならないのです。

律法主義のように外面だけをつくろうような生き方ではなく、神様のみこころの本質を生きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月27日

2024/1/28の週報です

本日あたりからNGCのホームページがアクセスしづらくなっており、サイト更新ができない状況となっています。
皆様にはご迷惑をおかけいたします。
こちらのページの方で取り急ぎ更新いたします。
1/28の週報はこちらになります。
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2024/1/27早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書9:38-50です。

本文とメッセージはこちら

「やめさせようとしました。その人たちが私たちについて来なかったからです」(38)というのは、党派心です。
イエス様は他のグループの働き人であっても、主のためにやっているなら味方として見なさいと言われます。
もしも彼らが間違っているのなら、まずは味方として諭す必要があるでしょう。

イエス様は自分をつまずかせるものは、それを断つ決断をしなさいと言っておられます。
それは痛みを伴うものですが、自分自身の人生や存在そのものを失うことを考えたら、むしろ幸いでしょう。

「火」(43)とは神のさばきです。
神のさばきがあることによって、またそれを知ることによって、私たちの価値観の独自性(この世と違うもの)が生まれます。
そのような独自性を、イエス様は塩にたとえています。
神様がこの世のすべてをさばくお方であるということを知れば、この世に流されずに、本当の価値観で生きることができるでしょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月26日

2024/1/26早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書9:30-37です。

本文とメッセージはこちら

イエス様は、弟子たちがよく理解しないままでガリラヤ地域の人々と話し、ご自身の受難のことが広まることをよしとされませんでした。
ガリラヤは弟子たちの出身地であって知り合いも多かったからでしょう。
また何よりも、イエス様の十字架のときはまだ先のことだったからです。
イエス様は弟子たちに神の国の真理を教える必要があったのです。

それはこの世の価値観とは全く違うことです。
「だれが一番偉いか」(34)ということがこの世の価値観であり、それによって仕事も人間関係も政治も国際関係も動いていますし、またそれによって争いが生まれます。
しかし神が人々の救いのためにご自身、徹底的に謙ってくださったのなら、そのような「だれが偉い」などという価値観は、恥ずかしいようなものです。

弟子たちはそれが分らずに、論じ合っていましたがイエス様はそれを正されました。
私たちも人と比べて上か下かとうような、または偉いかどうか、さらには強いかどうかなどという価値観から解放されましょう。
それが心を乱す原因でもあるのです。
また神様のすばらしさを見失う原因でもあるのです。

祝福を祈ります。
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2024年01月25日

2024/1/25早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書9:14-29です。

本文とメッセージはこちら

弟子は祈りを忘れ、律法学者は敵の失敗に乗じて議論をふっかけ、人々は野次馬となり集まっていました。
そこでイエス様は「不信仰な時代」(19)と、嘆かれました。

弟子たちのように、何かマニュアル化した祈りの方法によって何かができると考えてはなりません。
すべては主ご自身の力に力があり解決があります。
私たちも「不信仰」(19)と自分を悔い改め「お助けください」(22)と主により頼み、「私たちが霊を追い出せ」(28)るかどうかではなく、主に祈ることです。

自分自身が抱えている問題に関しても、この出来事と重ね合わせて考えてみましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月24日

2024/1/24早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書9:2-13です。

本文とメッセージはこちら

「神の国が力を持って到来」(1)というのは、再臨のことであるなら時期的には合いません。
それは原語的な意味からも、神の支配ということです。
すなわち十字架と復活を表していると考えられます。

続いてイエス様は弟子たちの前で栄光の姿に変わり、エリヤとモーセと共に語りました。
2人はそれぞれ預言と律法の中心人物で、旧約の成就について語られていたのだと思われます。

ペテロはおどろいて意味のないことを口走ってしまいました。
彼のすべきことは「彼(イエス)の言うことを聞」(7)くことでした。
私たちもどうしたら良いのかが分らなくなるときがあるでしょう。
そのときはイエス様のことばを聞くことです。
鍵はみことばであり、祈りです。

祝福を祈ります。
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2024年01月23日

2024/1/23早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書8:27-9:1です。

本文とメッセージはこちら

本やテレビまたはYouTubeなどでは、知識の乏しい人々がイエス様のことを様々に論じますが、私たちはそれらに影響される必要はありません。
イエス様は「人々はわたしをだれだと言っていますか」(27)と問われます。
弟子たちが話し合いで意見をまとめるわけではありませんから、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(29)ということです。

自分自身の信仰が大切なのです。それもイエス様が、「だれ」(29)であるのかということが一番重要です。
イエス様は王でしょうか、または愛の救い主でしょうか、それとも全能の主権者でしょうか。
どれも当てはまりますが、ペテロは「あなたはキリストです。」(29)と明言しました。
キリストとは油注がれた者という意味で、イスラエルでは王、預言者、祭司を意味しました。
イエス様は絶対的な主権者である王、御父のみこころと一つに語る完全な預言者、そしてご自身をいけにえとしてささげた永遠の祭司です。
イエス様こそが私たちにとって必要なお方です。

ペテロはイエス様への信仰を告白しましたが、その救いのみわざについてはまだわかりませんでした。
十字架にかかって罪を負うという苦難のキリストを知らなかったのです。
そこでイエス様はご自分について来る者は、楽なことはなくむしろ十字架を負う覚悟が必要と語ったのです。

私たちも信仰は十字架であるとの覚悟が必要でしょう。
なぜならこの世には真理に逆らう人が多いからです。
この世にあってもイエス様を恥としないで、行きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月22日

2024/1/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書8:14-26です。

本文とメッセージはこちら

パリサイ人は信仰的であることを誇っている人々で、自分の信仰的な行いを知らしめて、自分は特別だと思わせたい人の象徴です。
またヘロデはその逆で、信仰的な生き方には興味がなく、ただこの世の権威や慣らわしを重視して生きる人の象徴です。

イエス様がパン種と言われたのは、そのような価値観と生き方が教会では全体に影響を及ぼし、広がってゆくからです。
信仰的自己宣伝も世的妥協主義も、クリスチャンはそれを見抜き、影響されないようにする必要があります。

イエス様の奇跡などのみわざにはメッセージが込められていますが、弟子たちはそれを悟りませんでした。
パンが十分かどうかが彼らの関心事だったのです。
私たちも、主の御手の中にある出来事を見るとき、パンなど見える物質的なことに気を取られて、霊的・信仰的なメッセージである主のみこころを悟らないでいるかもしれません。

みこころを悟って、物事の本質を見極めるには、この盲人のように、私たちは自分の力では無理です。
主に頼んで、見えるようにしてもらう必要があるのです。
またそれは段階的なもので、始めから完全な視点を持った人はいません。
主イエスとの交わりの中で、現実の中で見えるようにさせていただきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月21日

2024/1/21主日礼拝

1月21日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2024年1月21日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2024年1月21日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2024年1月21日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。




------------------------------------------------------------
前奏
賛美「栄光の雲が宮に満ちて」
  「たたえよ栄光の神の」
礼拝祈祷
賛美「パワーオブユアラブ」
お知らせと報告など
賛美「ゆるぎない土台」
  「カルバリ山の十字架」新聖歌112番
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マルコによる福音書9章33〜41節
メッセージ「神のために迷いなく」
祈り・応答
賛美「与えることと捨てること」(献金)
  「収穫の主」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------


司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Yama
 Cho:Setsuko
 Key:Setsuko
 Dr:Shintaro
 PA:DJshuntaro
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2024/1/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書8:1-13です。

本文とメッセージはこちら

イエス様は人々を「かわいそうに」(2)思われましたが、そのみわざには目的がありました。
それは神の国の真理を教えることです。
ですからそのみわざは、パリサイ人が求めるような「しるし」(12)ではないのです。
主のみわざを求めるとき、自分勝手な求めではなく、主の「みこころ」(7:21)として、それを求める必要があるのです。

パンは始め少なかったのですが、7つあったということは、7は完全を表す数字ですから、それで十分であったということです。
少ないものでも、それを真心から主にささげるなら、また主がそれをお用いになるなら、十分なのです。

また余ったものを集めてもまた7つのかごを満たしました。
主のみわざがどれほど多くの人々を満たすかがわかります。
たとえ余りもののように感じても、主の祝福は十分であることを知って、感謝と満足の人となりましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月20日

2024/1/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書7:24-37です。

本文とメッセージはこちら

イエス様は「小犬に投げてやる」(27)などと、失礼な言い方をなさっていますが、それは彼女がギリシア人であって異邦人だからです。
旧約時代は救いはイスラエルだけと考えられていました。
イエス様はこの女性の信仰を見るために、そのようなことを言ったのです。

この女性は、イエス様が自分を含めた全民族のための救い主であることを知って、求め続けました。
また神はイスラエルを救った後に、そのあまった「パン屑」(28)でさえ十分に異邦人を救う力があると信じていました。

その点をイエス様は認めてくださったのです。
私たちも主イエスの絶大な力を信じぬきましょう。
一度は否まれるように感じるようなことがあっても、主に食い下がりましょう。

この耳が不自由な人の記事もまた、信仰の状態を象徴するような出来事です。
実際に障害があることが問題なのではありません。
霊的に見えないことが問題なのです。
イエス様はそのことに思い至って、「深く息を」(34)されたのでしょう。

この話せるようになった人の行動は、その後の主イエスの立場を悪くするおそれがありましたが、伝えずにはいられないという思いは見習うべきです。

祝福を祈ります。
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2024年01月19日

2024/1/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書7:14-23です。

本文とメッセージはこちら

律法など外面的なことを気にかけて、またはその形だけに心を配り、自分を正当化している人や成長できない人に対してイエス様が語っておられます。
外部のものがどうであっても、その人のきよさを決定付けるのは心の内側であるということです。

私たちは、自分の環境や、周囲の人に自分が左右されて、仕方なく罪を犯してしまったのだと感じることもあります。
しかし心の内側が大事であって、そこを神様から守っていただく必要があります。

またはそこを守っていただくなら、きよい生き方ができるのです。
弱い自分の意思や決心だけでやろうとしないで、弱さと罪を認めつつ、主の憐みを求めましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月18日

2024/1/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書7:1-13です。

本文とメッセージはこちら

律法学者やパリサイ人は自分たちが律法を守っているという自負心があったので、イエス様がその通りではないことを非難しました。
しかし、イエス様は律法の本質を求めておられました。

第一は心です。
心を主に向け、きよめられなければ何の意味もありません。
律法を守っているから大丈夫という考えでは、自分の心の問題に気づくことはないのです。

第二は本当の戒めです。
「コルバン(すなわち、ささげ物)です」(11)という言い訳を用意して、律法を守っているかのように見せかけても、律法の基本であるモーセの十戒をないがしろにするなら、本末転倒なのです。

イエス様は私たちの心をごらんになります。
また実際生活をごらんになります。
自分では間違いのない生活をしているようでも、自分の足りなさを認めつつ謙遜に生き、主のみこころを行いましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月17日

2024/1/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書6:45-56です。

本文とメッセージはこちら

イエス様は多くの人をあわれんで、様々な働きをなさいました。
弟子たちにとっては、主がそばにおられないということが、不安や恐れの原因になりました。
常に愛を持ってそばにいて下さるのですが、そのイエス様が遠く感じてしまったようです。

そして彼らには困難が襲いました。
夜明け前の闇の中で、「向かい風のために漕ぎあぐねている」(48)様は、私たちの人生のようです。
そのような時に主への信頼が明らかになります。

弟子たちのように主になんとかして欲しいのに、問題ばかり見て、主がそばにおられるのに気づかないのです。
主がいつもそばにおられることを知りましょう。
主が「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」(50)と力強く言ってくださる声を聞きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月16日

2024/1/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書6:30-44です。

本文とメッセージはこちら

「休みなさい」(31)ということばはマルコだけに記されています。
イエス様はみ父の働きを地上で力強く進める、真の有能なしもべですが、このように人の真理や現実や健康状態をも考慮してこそ、主のわざが進められるということでしょう。
私たちも主の働き手として、健康や精神状態を互いに考えつつ、いたわりつつ前進して行きましょう。

しかしイエス様ご自身は、「深くあわれみ」(34)とあるように、ご自分の休みよりも人々への愛がまさっていました。
そこで空腹な人々に奇跡を用いて食事を与えたのですが、これは単にあわれみから行ったことならば、その後も未来永劫まで続けなければならなかったでしょう。
イエス様は神の国を宣べ伝えるために、このようなみわざを行ったのです。

イスラエルが荒野でパンを食べたように、イエス様もパンを与える方であり、またそのパンは永遠の命のためのパンであるということを表すためです。
またそれは12のかごを満たすように、12のイスラエル部族を満たすものであり、さらには有り余る恵みで異邦人をも救いで満たすということです。

弟子たちは当初、自分たちが与えるとは考えていませんでした。
しかし、主のみわざによって与える人となったのです。
私たちも恵みをもらうだけでなく、与える経験をしつつ、さらにそこから神の国の教えと力をいただきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月15日

2024/1/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書6:14-29です。

本文とメッセージはこちら

聖霊様は主の真理を伝える者の味方です。
イエス様の宣教のためにも聖霊様は多くのみわざをなさいました。
「悪霊を追い出し…癒やした。」(13)とあります。

しかし一方ヘロデは悪霊によって支配されている者で、色欲によって間違った結婚をし、その結果、神の義人を殺してしまいました。
聖霊によって支配されるなら、愛、喜び、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制といったすばらしい恵みがあるのです。

ヘロデはここでは約束を果たしましたが、それはもともと間違った約束であり、決して誠実とは言えないものです。
「自分が誓ったこと」(26)も「列席の人たちの手前」(26)も、全てが悪を行う口実になってしまったのです。

私たちは聖霊に働いていただけるように歩みましょう。
聖霊に聞く習慣を身に付けましょう。

祝福を祈ります。
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