3月31日・イースター礼拝の放送です。
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2024年3月31日NGC SundayCelebration (YouTube)
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2024年3月31日NGC SundayCelebration (WMP)
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2024年3月31日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
賛美「なんとすばらしい」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「墓の中に」新聖歌127番
お知らせと報告など
音楽「3日目」
賛美「勝利の冠」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 使徒行伝13章26〜32・38・39節
メッセージ「復活の事実と希望」
祈り・応答
賛美「主は今生きておられる」新聖歌257番改(献金)
「シャイン ジーザス シャイン」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
音楽:日曜学校チーム
Praise & Worship
WL:岡本節子副牧師
Cho:Mutsumi & Yoshika
Key:Yokoi
Dr:Yoshika
PA:Ai
2024年03月31日
2024/3/31早天メッセージ
イースターおめでとうございます。
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書24:1-12です。
本文とメッセージはこちら
弟子たちでさえ復活を信じることができませんでした。
人は死の前には希望を持つこともできないほど無力なのです。
しかし主イエスは人類の初穂としてよみがえりました。
復活は事実であるから力があります。
弟子たちの内面の希望という程度であるなら、誰もその希望を持つことができないからです。
信じることができなくても、事実を見ることはできます。
それは歴史的に記録が残されている事実です。
それが復活の信仰なのです。
そしてその事実の上に、私たちの希望は成り立っています。
私たちの身代わりに死んでよみがえったということは、私たちが同じようになるということだからです。
永遠のいのちの希望を持ち続けましょう。
それが人に伝わるような生き方をしましょう。
祝福を祈ります。
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書24:1-12です。
本文とメッセージはこちら
弟子たちでさえ復活を信じることができませんでした。
人は死の前には希望を持つこともできないほど無力なのです。
しかし主イエスは人類の初穂としてよみがえりました。
復活は事実であるから力があります。
弟子たちの内面の希望という程度であるなら、誰もその希望を持つことができないからです。
信じることができなくても、事実を見ることはできます。
それは歴史的に記録が残されている事実です。
それが復活の信仰なのです。
そしてその事実の上に、私たちの希望は成り立っています。
私たちの身代わりに死んでよみがえったということは、私たちが同じようになるということだからです。
永遠のいのちの希望を持ち続けましょう。
それが人に伝わるような生き方をしましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月30日
2024/3/30早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ローマ人への手紙5:6-11です。
本文とメッセージはこちら
私たちが「弱かったころ」(6)、また「不敬虔な者」(6)であったころに、イエス様は死ぬほどの愛を貫き与えてくださいました。
それほどの愛をいただいているのですから、私たちは今も主に愛されていないはずがありません。
「和解」(10)とあります。
主イエスに方向転換して、主の十字架の救いをいただいた私たちのために、主は味方となってくださるのです。
もちろん苦しいこともありますし、失敗もしますし、罪ゆえの愛の叱責を受けることもあります。
それでも決して変わらない関係は和解させていただいた者なのです。
何があっても主の愛と解決を信じましょう。
主にお任せして安心し、従いましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
私たちが「弱かったころ」(6)、また「不敬虔な者」(6)であったころに、イエス様は死ぬほどの愛を貫き与えてくださいました。
それほどの愛をいただいているのですから、私たちは今も主に愛されていないはずがありません。
「和解」(10)とあります。
主イエスに方向転換して、主の十字架の救いをいただいた私たちのために、主は味方となってくださるのです。
もちろん苦しいこともありますし、失敗もしますし、罪ゆえの愛の叱責を受けることもあります。
それでも決して変わらない関係は和解させていただいた者なのです。
何があっても主の愛と解決を信じましょう。
主にお任せして安心し、従いましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月29日
2024/3/29早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書23:44-56です。
本文とメッセージはこちら
神殿の幕は神様の聖と人間の罪とを隔てるものでしたが、その断絶がなくなったことを意味します。
もちろんそれはイエス様の十字架によって、人の罪が赦され、神に受け入れられるものとなれたからです。
もはや私たちと神様とを隔てるものはないということです。
私たちは大胆に恵みの御座に近づきましょう。
イエス様を十字架につけた者がいた反面、イエス様の死を悲しみ悼んだ人もいました。
百人隊長や議員というのは、立場からすればイエス様を処刑した側の人間ですが、信仰は立場ではなくその人の内面によるのです。
私たちはどうでしょうか。
もしも世の中がイエス様を否定しても、あくまでも信仰を持ち続ける者でありましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
神殿の幕は神様の聖と人間の罪とを隔てるものでしたが、その断絶がなくなったことを意味します。
もちろんそれはイエス様の十字架によって、人の罪が赦され、神に受け入れられるものとなれたからです。
もはや私たちと神様とを隔てるものはないということです。
私たちは大胆に恵みの御座に近づきましょう。
イエス様を十字架につけた者がいた反面、イエス様の死を悲しみ悼んだ人もいました。
百人隊長や議員というのは、立場からすればイエス様を処刑した側の人間ですが、信仰は立場ではなくその人の内面によるのです。
私たちはどうでしょうか。
もしも世の中がイエス様を否定しても、あくまでも信仰を持ち続ける者でありましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月28日
2024/3/28早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書23:33-43です。
本文とメッセージはこちら
イエス様は十字架に釘打たれました。
犯罪人と一緒ということは、ご自身が罪あるものとみなされたということです。
私たちの罪を、まさに犯罪人として負ってくださった主イエス様に感謝しましょう。
自分が犯している、または犯してしまった罪のために、このように苦しまれたのだということを覚えましょう。
犯罪人の2人は全く違った結末になりました。
1人はパラダイスに迎えられ、1人は永遠の滅びに行ったのです。
家族も友人もみな永遠の行き先は2つに1つであることを忘れてはなりません。
真剣に救いを求めましょう。
伝道のために何からできるか考えましょう。
また実行しましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
イエス様は十字架に釘打たれました。
犯罪人と一緒ということは、ご自身が罪あるものとみなされたということです。
私たちの罪を、まさに犯罪人として負ってくださった主イエス様に感謝しましょう。
自分が犯している、または犯してしまった罪のために、このように苦しまれたのだということを覚えましょう。
犯罪人の2人は全く違った結末になりました。
1人はパラダイスに迎えられ、1人は永遠の滅びに行ったのです。
家族も友人もみな永遠の行き先は2つに1つであることを忘れてはなりません。
真剣に救いを求めましょう。
伝道のために何からできるか考えましょう。
また実行しましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月27日
2024/3/27早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書23:13-25です。
本文とメッセージはこちら
正義と真実によって判断されるなら、イエス様は無罪で釈放されるべきでしたが、ピラトは暴動を恐れてイエス様を死刑にさせました。
暴動が起こるということは自分の統治能力がないと査定されるからです。
自分の出世のために神の子を犠牲にしたのです。
群衆は革命を起こさないイエス様に失望していました。
失望は怒りに変わり、それが集団心理によって暴徒化するところまでいってしまったのです。
彼らはかつてはイエス様のいやしや奇跡を求めて従っていた、または好意的に思っていた人々でした。
それでも自分の勝手な”救い主像”や期待に合わないと、反対者になってしまったのです。
私たちもまだ完全に神様の御計画が分からないときには、失望したり悪態をつきたくなる思いにとらわれるかもしれません。
そのときはあくまでも全能にして愛の神様に祈って聞くことです。
それをしないでいると、神様との関係が健全でなくなってしまいます。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
正義と真実によって判断されるなら、イエス様は無罪で釈放されるべきでしたが、ピラトは暴動を恐れてイエス様を死刑にさせました。
暴動が起こるということは自分の統治能力がないと査定されるからです。
自分の出世のために神の子を犠牲にしたのです。
群衆は革命を起こさないイエス様に失望していました。
失望は怒りに変わり、それが集団心理によって暴徒化するところまでいってしまったのです。
彼らはかつてはイエス様のいやしや奇跡を求めて従っていた、または好意的に思っていた人々でした。
それでも自分の勝手な”救い主像”や期待に合わないと、反対者になってしまったのです。
私たちもまだ完全に神様の御計画が分からないときには、失望したり悪態をつきたくなる思いにとらわれるかもしれません。
そのときはあくまでも全能にして愛の神様に祈って聞くことです。
それをしないでいると、神様との関係が健全でなくなってしまいます。
祝福を祈ります。
2024年03月26日
2024/3/26早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書22:39-53です。
本文とメッセージはこちら
イエス様は孤独を感じられたでしょう。
これほどの恐怖と苦しみに打ち勝つ祈りをなさっていたのに、弟子たちは「眠り込んでいた」(45)のでした。
確かに人間の肉体は弱いもので、信仰に自信があるような者でも、誘惑に陥ることがあるのです。
弱さを克服するには「祈って」(46)いるしかないことを覚えましょう。
神の力によって生きる以外ないのです。
イエス様はご自分を捕えようとする者にでさえ、「耳にさわって彼を癒やされ」(51)ました。
決心のついた人は心に余裕があるので、優しい愛の人になれるのです。
主に従う決心をしましょう。
イエス様のこの落ち着きは、ゲッセマネの園で祈った結果です。
祈りは単にお勤めやルーティンワークではありません。
生ける神様との生ける交わりです。
心を変えて、主の思いで生きるために心を定めるような祈りをしましょう。
そのような祈りに導かれましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
イエス様は孤独を感じられたでしょう。
これほどの恐怖と苦しみに打ち勝つ祈りをなさっていたのに、弟子たちは「眠り込んでいた」(45)のでした。
確かに人間の肉体は弱いもので、信仰に自信があるような者でも、誘惑に陥ることがあるのです。
弱さを克服するには「祈って」(46)いるしかないことを覚えましょう。
神の力によって生きる以外ないのです。
イエス様はご自分を捕えようとする者にでさえ、「耳にさわって彼を癒やされ」(51)ました。
決心のついた人は心に余裕があるので、優しい愛の人になれるのです。
主に従う決心をしましょう。
イエス様のこの落ち着きは、ゲッセマネの園で祈った結果です。
祈りは単にお勤めやルーティンワークではありません。
生ける神様との生ける交わりです。
心を変えて、主の思いで生きるために心を定めるような祈りをしましょう。
そのような祈りに導かれましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月25日
2024/3/25早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ルカによる福音書22:1-13です。
本文とメッセージはこちら
ユダに関してはイエス様を裏切った動機が色々に推察されます。
聖書では「サタンが入った」(3)と書かれています。
様々な事情や動機などが交錯するのが罪の背景にありますが、それが本質なのです。
私たちはサタンに立ち向かいましょう。
そのためには、自分自身の力ではできないので、主に明け渡す信仰しかありません。
自分で事情や理屈をつけながら主のみこころを拒んでいると、サタンに勝つことはできませんから気をつけましょう。
過ぎ越しの食事は旧約の教えに則ったものですが、イエス様はそれをも大切にしました。
イエスさまは律法を廃棄するために来られたのではなく、律法を完成するために来られたからです。
イエス様こそが信仰の創始者であり完成者なのです。
神がなさることに矛盾はありません。
人間は神様の命令に対して、それは無理だと勝手に思い込むことがあるかもしれませんが、神様は御自身に矛盾のない方です。
主に反論するよりも、どのようにしたら従えるかを考えましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
ユダに関してはイエス様を裏切った動機が色々に推察されます。
聖書では「サタンが入った」(3)と書かれています。
様々な事情や動機などが交錯するのが罪の背景にありますが、それが本質なのです。
私たちはサタンに立ち向かいましょう。
そのためには、自分自身の力ではできないので、主に明け渡す信仰しかありません。
自分で事情や理屈をつけながら主のみこころを拒んでいると、サタンに勝つことはできませんから気をつけましょう。
過ぎ越しの食事は旧約の教えに則ったものですが、イエス様はそれをも大切にしました。
イエスさまは律法を廃棄するために来られたのではなく、律法を完成するために来られたからです。
イエス様こそが信仰の創始者であり完成者なのです。
神がなさることに矛盾はありません。
人間は神様の命令に対して、それは無理だと勝手に思い込むことがあるかもしれませんが、神様は御自身に矛盾のない方です。
主に反論するよりも、どのようにしたら従えるかを考えましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月24日
2024/3/24主日礼拝
3月24日の放送です。
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2024年3月24日NGC SundayCelebration (YouTube)
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2024年3月24日NGC SundayCelebration (WMP)
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2024年3月24日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
------------------------------------------------------------
前奏
賛美「さあ主にささげよう」
招詞
礼拝祈祷
賛美「花も」
お知らせと報告など
賛美「驚き仰ぎ見る」
「きぼう」
「死を打ち破り」
「小羊イエスよ」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マルコによる福音書15章21〜38節
メッセージ「救いの十字架と負うべき十字架」
祈り・応答
賛美「十字架を主イエスの」聖歌163番(献金)
「主イエスの十字架の血で」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:岡本牧師
Cho:Yoshika
Key:Yokoi
Dr:Yoshika
PA:Ai
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2024年3月24日NGC SundayCelebration (YouTube)
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賛美「さあ主にささげよう」
招詞
礼拝祈祷
賛美「花も」
お知らせと報告など
賛美「驚き仰ぎ見る」
「きぼう」
「死を打ち破り」
「小羊イエスよ」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マルコによる福音書15章21〜38節
メッセージ「救いの十字架と負うべき十字架」
祈り・応答
賛美「十字架を主イエスの」聖歌163番(献金)
「主イエスの十字架の血で」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:岡本牧師
Cho:Yoshika
Key:Yokoi
Dr:Yoshika
PA:Ai
2024/3/24早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇61:1-8です。
本文とメッセージはこちら
ダビデがアブシャロムに裏切られて、命の危険にさらされたゆえに逃れているときの歌と思われます。
「叫び」(1)が出るほどの状況です。
どれほど精神的に追い詰められたかと思われますが、そのようなときにダビデは神に向かっています。
ここにクリスチャンの信仰があります。
信仰とは信じる力で乗り越えるのではなく、神に依り頼んで乗り越えさせていただくのです。
信仰が強いから戦えるのではなく、弱いからこそ主に頼んで、主に戦っていただくのです。
試練にある人はそのような考えを持ちましょう。
そのとき、主は「強いやぐら」(3)であると分かります。
5節以下の希望の告白に導かれるのです。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
ダビデがアブシャロムに裏切られて、命の危険にさらされたゆえに逃れているときの歌と思われます。
「叫び」(1)が出るほどの状況です。
どれほど精神的に追い詰められたかと思われますが、そのようなときにダビデは神に向かっています。
ここにクリスチャンの信仰があります。
信仰とは信じる力で乗り越えるのではなく、神に依り頼んで乗り越えさせていただくのです。
信仰が強いから戦えるのではなく、弱いからこそ主に頼んで、主に戦っていただくのです。
試練にある人はそのような考えを持ちましょう。
そのとき、主は「強いやぐら」(3)であると分かります。
5節以下の希望の告白に導かれるのです。
祝福を祈ります。
2024年03月23日
2024/3/23早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇60:1-12です。
本文とメッセージはこちら
ヨアブによる大勝利があったのですが、その勝利にいたるプロセスとして、表題にあるように「教えのため」に(ここには表記されていませんが)ダビデが歌ったものです。
成功したらそれで安心して、それ以前のことを忘れてはいけないという思いで歌われたのでしょう。
ここにはエドムに責められて弱り果てているダビデとその王国の様子が表されています。
しかしここには「旗を授けられました」(4)と、主がその聖名を掲げて戦っておられるのが分かります。
苦難においては人ではなく、主が頼りになる方なのです。
成功や勝利のときこそ、自分の苦しかったときや主に背いていたことを思い出しましょう。
そこで主の憐みや力を再確認しましょう。
主に感謝しつつ主に従いましょう。
また同じ不信仰を繰り返さないようにしましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
ヨアブによる大勝利があったのですが、その勝利にいたるプロセスとして、表題にあるように「教えのため」に(ここには表記されていませんが)ダビデが歌ったものです。
成功したらそれで安心して、それ以前のことを忘れてはいけないという思いで歌われたのでしょう。
ここにはエドムに責められて弱り果てているダビデとその王国の様子が表されています。
しかしここには「旗を授けられました」(4)と、主がその聖名を掲げて戦っておられるのが分かります。
苦難においては人ではなく、主が頼りになる方なのです。
成功や勝利のときこそ、自分の苦しかったときや主に背いていたことを思い出しましょう。
そこで主の憐みや力を再確認しましょう。
主に感謝しつつ主に従いましょう。
また同じ不信仰を繰り返さないようにしましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月22日
2024/3/22早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇59:1-17です。
本文とメッセージはこちら
ダビデには敵からの救いの可能性は全くないように思えます。
その中で彼は、「高く私を引き上げてください」(1)と嘆願しています。
人の次元ではない、神の次元での救いを期待しているのです。
ダビデは自分の惨状を訴えているようで、しかしその願いは全くの勝利を歌っています。
「憤りをもって滅ぼし尽くしてください。滅ぼし尽くしてください。彼らがいなくなるまで。神が地の果てまでもヤコブを治められることを彼らが知るようにしてください。」(13)というように。
主への嘆願が、勝利の宣言となるまで祈りましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
ダビデには敵からの救いの可能性は全くないように思えます。
その中で彼は、「高く私を引き上げてください」(1)と嘆願しています。
人の次元ではない、神の次元での救いを期待しているのです。
ダビデは自分の惨状を訴えているようで、しかしその願いは全くの勝利を歌っています。
「憤りをもって滅ぼし尽くしてください。滅ぼし尽くしてください。彼らがいなくなるまで。神が地の果てまでもヤコブを治められることを彼らが知るようにしてください。」(13)というように。
主への嘆願が、勝利の宣言となるまで祈りましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月21日
2024/3/21早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇58:1-11です。
本文とメッセージはこちら
この世の不正や苦難を見て、ある人々は神などいないと言います。
それに対してダビデは、「力ある者たちよ おまえたちは本当に義を語り 人の子らを公正にさばくことができるのか。」(1)と問いかけます。
神がいないとしても、では変わりに人間が正義を貫けるかというと、そんなことはないのです。
神は愛の神でもあります。
多くの不従順の人々が神に立ち返るようにと、忍耐を持って待っていてくださるのです。
その神に対して、さばきがないから神はいないと言うことはできません。
しかし最終的には神様は、人々に言わしめます。
すなわち「まことに 正しい人には報いがある。まことに さばく神が地におられる。」(11)という事実です。
その事実を今のうちから、私たちは信仰によって告白し、体験させていただきましょう。
それがダビデのような信仰の勝利者なのです。
祝福を祈ります。
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この世の不正や苦難を見て、ある人々は神などいないと言います。
それに対してダビデは、「力ある者たちよ おまえたちは本当に義を語り 人の子らを公正にさばくことができるのか。」(1)と問いかけます。
神がいないとしても、では変わりに人間が正義を貫けるかというと、そんなことはないのです。
神は愛の神でもあります。
多くの不従順の人々が神に立ち返るようにと、忍耐を持って待っていてくださるのです。
その神に対して、さばきがないから神はいないと言うことはできません。
しかし最終的には神様は、人々に言わしめます。
すなわち「まことに 正しい人には報いがある。まことに さばく神が地におられる。」(11)という事実です。
その事実を今のうちから、私たちは信仰によって告白し、体験させていただきましょう。
それがダビデのような信仰の勝利者なのです。
祝福を祈ります。
2024年03月20日
2024/3/20早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇57:1-11です。
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ダビデは、「神は...私を踏みつける者どもを辱められます。」(3)と確信しています。
苦しい中でこそ、このように宣言することが重要です。
大きな力になります。
またダビデがそれを詩で表していることに着目せずにはいられません。
彼は、「私のたましいは 獅子たちの間で 人の子らを貪り食う者の間で 横たわっています。彼らの歯は槍と矢 彼らの舌は鋭い剣です。」(4)というように、これまでもそうなのですが、自分の苦しみを豊かなことばで表しています。
もしかしたらそれが、感情を昇華させるのに役立っているのかもしれません。
もちろん信仰があってこそですが、その信仰とともに、自分の苦しみを作品とすることによって、冷静に客観的に見られたのかもしれません。
祈りと共に自分の苦しさをも詩としてしまう強さを試みてはいかがでしょうか。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
ダビデは、「神は...私を踏みつける者どもを辱められます。」(3)と確信しています。
苦しい中でこそ、このように宣言することが重要です。
大きな力になります。
またダビデがそれを詩で表していることに着目せずにはいられません。
彼は、「私のたましいは 獅子たちの間で 人の子らを貪り食う者の間で 横たわっています。彼らの歯は槍と矢 彼らの舌は鋭い剣です。」(4)というように、これまでもそうなのですが、自分の苦しみを豊かなことばで表しています。
もしかしたらそれが、感情を昇華させるのに役立っているのかもしれません。
もちろん信仰があってこそですが、その信仰とともに、自分の苦しみを作品とすることによって、冷静に客観的に見られたのかもしれません。
祈りと共に自分の苦しさをも詩としてしまう強さを試みてはいかがでしょうか。
祝福を祈ります。
2024年03月19日
2024/3/19早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇56:1-13です。
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ダビデは苦しみの中にいて、敵に「踏みつけ」(2)られています。
そのような中で「肉なる者が私に何をなし得るでしょう。」(4)、「人が私に何をなし得るでしょう。」(11)と、勇気を持って信仰を宣言しています。
一つには神様が味方だから、その神様よりも人が強いはずがないという事実です。
また一つにはたましいに関しては人は無力だということです。
ダビデ同様、私たちに関しても、誰もその永遠の命を奪うことはできませんし、主への信仰を奪うことはできないのです。
主の前に人は無力だということを宣言しながら、主に信頼して行きましょう。
祝福を祈ります。
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ダビデは苦しみの中にいて、敵に「踏みつけ」(2)られています。
そのような中で「肉なる者が私に何をなし得るでしょう。」(4)、「人が私に何をなし得るでしょう。」(11)と、勇気を持って信仰を宣言しています。
一つには神様が味方だから、その神様よりも人が強いはずがないという事実です。
また一つにはたましいに関しては人は無力だということです。
ダビデ同様、私たちに関しても、誰もその永遠の命を奪うことはできませんし、主への信仰を奪うことはできないのです。
主の前に人は無力だということを宣言しながら、主に信頼して行きましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月18日
2024/3/18早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇55:16-23です。
本文とメッセージはこちら
ダビデは、「私が神を呼ぶと 主は私を救ってくださる。」(16)と信仰の告白をしています。
しかし多くの場合、苦しみの現実の中では葛藤があるというのも事実でしょう。
神に背く人々が幸せそうに生きているように見えるということです。
そこでダビデは神の権威のもとに生きる全人類についても、信仰の告白をしています。
主に従わない人の行く末についてです。
「彼は 親しい者にまで手を伸ばし 自分の誓約を犯している。」(20)というような者は、結局「神よ あなたは彼らを 滅びの穴に落とされます。」(23)というようなことになるのです。
これは事実であるとともに、ダビデの自分自身の決心への励ましともとれそうです。
自分はどんなに苦しくてもあのようにはならないぞという決心です。
信仰の反面教師をさばく必要はありませんが、それらの事例から警戒を与えられましょう。
そして自分自身は主の恵みで強められ、できることなら主から離れた人々が立ち帰るための力になりましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
ダビデは、「私が神を呼ぶと 主は私を救ってくださる。」(16)と信仰の告白をしています。
しかし多くの場合、苦しみの現実の中では葛藤があるというのも事実でしょう。
神に背く人々が幸せそうに生きているように見えるということです。
そこでダビデは神の権威のもとに生きる全人類についても、信仰の告白をしています。
主に従わない人の行く末についてです。
「彼は 親しい者にまで手を伸ばし 自分の誓約を犯している。」(20)というような者は、結局「神よ あなたは彼らを 滅びの穴に落とされます。」(23)というようなことになるのです。
これは事実であるとともに、ダビデの自分自身の決心への励ましともとれそうです。
自分はどんなに苦しくてもあのようにはならないぞという決心です。
信仰の反面教師をさばく必要はありませんが、それらの事例から警戒を与えられましょう。
そして自分自身は主の恵みで強められ、できることなら主から離れた人々が立ち帰るための力になりましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月17日
2024/3/17主日礼拝
3月17日の放送です。
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2024年3月17日NGC SundayCelebration (YouTube)
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2024年3月17日NGC SundayCelebration (RAM)
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------------------------------------------------------------
前奏
賛美「求めて」
招詞
礼拝祈祷
賛美「主は良いお方」
お知らせと報告など
賛美「聞け我らの賛美」
「主の手にわが手を重ね」
「私は奇蹟を信じる」
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マタイによる福音書15章21〜28節
メッセージ「立派と言ってくださる愛」
祈り・応答
賛美「主イエス神の愛」(献金)
「真昼のように」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:兼田美幸姉
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Miyuki
Cho:Yoshika(3-) & Setsuko
Key:Setsuko
Dr:Shintaro(3-) Yoshika(1,2)
PA:Ai
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2024年3月17日NGC SundayCelebration (YouTube)
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2024年3月17日NGC SundayCelebration (WMP)
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2024年3月17日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
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前奏
賛美「求めて」
招詞
礼拝祈祷
賛美「主は良いお方」
お知らせと報告など
賛美「聞け我らの賛美」
「主の手にわが手を重ね」
「私は奇蹟を信じる」
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 マタイによる福音書15章21〜28節
メッセージ「立派と言ってくださる愛」
祈り・応答
賛美「主イエス神の愛」(献金)
「真昼のように」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:兼田美幸姉
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Miyuki
Cho:Yoshika(3-) & Setsuko
Key:Setsuko
Dr:Shintaro(3-) Yoshika(1,2)
PA:Ai
2024/3/17早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇55:1-15です。
本文とメッセージはこちら
「ああ私に鳩のように翼があったなら。」(6)とか「ああどこか遠くへ逃れ去り荒野の中に宿りたい。」(7)などと、現実ではないことを願うほどに、心が辛くなることもあるでしょう。
主はそのような人にもやさしい方です。
ダビデはそのような苦しみのときにも主に頼って、心の解決が与えられ、前に進むことができたのです。
現実から逃れたいようなときも、そのままの思いを主に祈りましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
「ああ私に鳩のように翼があったなら。」(6)とか「ああどこか遠くへ逃れ去り荒野の中に宿りたい。」(7)などと、現実ではないことを願うほどに、心が辛くなることもあるでしょう。
主はそのような人にもやさしい方です。
ダビデはそのような苦しみのときにも主に頼って、心の解決が与えられ、前に進むことができたのです。
現実から逃れたいようなときも、そのままの思いを主に祈りましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月16日
2024/3/16早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇54:1-7です。
本文とメッセージはこちら
主は「力強いみわざ」(1)によって「弁護」(1)してくださる方です。
何と心強いことでしょうか。
この世には権威や権力また実績のある人がいますが、それらの人よりも主ははるかに力のある大いなるお方です。
「横暴な」(3)権力者もこの世にはいますが、主は弁護してくださいます。
立場が危ういときはあるでしょうか。
主にみわざをお願いしましょう。
主に祈ってお願いしましょう。
そして主へのいけにえ、すなわち感謝のささげものをすることを、今から心に決めましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
主は「力強いみわざ」(1)によって「弁護」(1)してくださる方です。
何と心強いことでしょうか。
この世には権威や権力また実績のある人がいますが、それらの人よりも主ははるかに力のある大いなるお方です。
「横暴な」(3)権力者もこの世にはいますが、主は弁護してくださいます。
立場が危ういときはあるでしょうか。
主にみわざをお願いしましょう。
主に祈ってお願いしましょう。
そして主へのいけにえ、すなわち感謝のささげものをすることを、今から心に決めましょう。
祝福を祈ります。
2024年03月15日
2024/3/15早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇53:1-6です。
本文とメッセージはこちら
愚か者、不正をする者は色々にその要因があるでしょうが、その根本は、神を認めないことにあると言っています。
私たちがもしも、愚かなことや不正を行うような誘惑に負けるようなことがあるとすれば、それは神の存在が希薄に感じるところから始まるということでしょう。
この世には多くの成功者がいるように見えますが、もしも彼らが神を認めないとしたら、それは一時的なものであって、基盤は脆いのです。
彼らを羨ましがる必要はなく、むしろ反面教師的な存在となることでしょう。
主を愛して主の恵みをいただく人生の基盤にたって、成功者となりましょう。
主の御心を生きましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
愚か者、不正をする者は色々にその要因があるでしょうが、その根本は、神を認めないことにあると言っています。
私たちがもしも、愚かなことや不正を行うような誘惑に負けるようなことがあるとすれば、それは神の存在が希薄に感じるところから始まるということでしょう。
この世には多くの成功者がいるように見えますが、もしも彼らが神を認めないとしたら、それは一時的なものであって、基盤は脆いのです。
彼らを羨ましがる必要はなく、むしろ反面教師的な存在となることでしょう。
主を愛して主の恵みをいただく人生の基盤にたって、成功者となりましょう。
主の御心を生きましょう。
祝福を祈ります。