本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、列王記上8:22-30です。
本文とメッセージはこちら
ソロモンは「全会衆の前で」(22)祈りました。
それは神様が父ダビデに約束された内容に基づいたもので、その約束に基づいて祝福を願うものでした。
私たちも聖書のみことばに約束されたことに基づいて、主の祝福を大いに求めましょう。
またそれはソロモンの信仰の証しであり、王のしての所信表明にもなるものです。
このように信仰者は、その生き方や方針を明らかにするためには、信仰を基盤とする必要があります。
またそれは王であっても、この神殿建築という大事業が、自分の力ではなく神様の力であるということを明らかにするもので、謙遜な姿でもあります。
謙遜な者こそが、主の認めた指導者になれるのだと知りましょう。
謙遜な者を人は慕い、また影響を受けるからです。
ソロモンは主をお迎えする神殿を建てたのに、「天も…あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。」(27)と、まるで神殿が意味のないものであるかのようなことを言っています。
しかしまた、「この場所に向かってささげる祈りを聞いてください。」(29)と、そこに主がおられるようなことも言っています。
これは信仰の本質でもあります。
主は私たち人間には及びも付かない、超越された方です。
祈りも善行も知恵も、奉仕も、礼拝も、人間がする以上、神様にふさわしいはずがありません。
しかし、神様は人間を愛して、人間の存在と営みを受け入れてくださるのです。
なんという謙遜な全能者でしょうか。
大いに感謝しつつ、主に愛されていることを感じつつ、自分に与えられたわざに励みましょう。
祝福を祈ります。