本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、列王記下4:38-44です。
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飢饉があっても王は、宮殿にいて豊かに食べられたでしょうが、預言者は違います。
エリシャも多くの後継者を育てながら、彼らの生活までも面倒を見て活動しました。
主のみこころを行う者は、単に真理を伝達するだけではなく、人々の生活や心にも寄り添う必要があります。
本当の「神の人」(40)とは、飢饉のような苦難に際しても、共に生きる人です。
ここに記された毒の出来事と、パンの出来事は様々な解釈があります。
「毒が入って」(40)とあるのは原語では「死が入って」という意味ですから、毒は比喩的な表現で、強烈な苦さを表しているのかもしれません。
また研究者によればコロシントウリという植物で、だとすれば薄めれば食も可能なようです。
しかしこれを超自然的な主のわざと考えても差し支えないでしょう。
パンも20個を100人で分けるのですから、大きさによっては奇跡とは言えないかもしれません。
解釈は一つではありませんが、ここで明確になるのは、エリシャの信仰と人柄です。
飢饉を弟子たちと共に苦労して乗り越え、知恵と知識をフル回転させ、主の奇跡にも期待しました。
また自分にもらった「初穂のパン」(42)も、全員には足りないからと言って自分のものにするのではなく、むしろそれを分け合うことを学ばせているようでもあります。
主のみわざはこのように、多くの現実的な出来事の中で、主の目的と主のみこころに生きる人々によってなされてゆくのです。
現代でも列王記の時代と同じく、有力者は神をないがしろにする人々かもしれません。
しかし私たちは現実の中で、信仰と希望と愛を実践しつつ前進しましょう。
その希望は、5000人にパンを与えられた主イエスから与えられます。
祝福を祈ります。