本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、列王記下12:1-8です。
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ヨアシュにはエホヤダが必要でした。
本当は彼がいなくても、主の目にかなうことをすべきでしたが、彼の信仰は自立的ではなかったのです。
私たちも誰かの指導や影響の中で信仰が励まされているということがあるでしょう。
その人に感謝しつつ謙遜であることが大切です。
ヨアシュは良い信仰を持っていたようですが、「高き所は取り除か」(3)ずにいて、間違った礼拝をしていました。
主に従うとういうのは、すべて従ってこそ、従順と言えます。
「これくらいはいいだろう」と高をくくっていると、そこから自己中心になり、そこをサタンに用いられることがあるので注意が必要です。
祭司たちは、主に仕える意欲がありませんでしたから、その立場は意味をなしませんでした。
主への奉仕は立場によるのではありません。
何かの役目や係になっているだけで、奉仕している気になってはいないでしょうか。
または自分は役目ではないからやらなくても良いと、口実にしてはいないでしょうか。
祝福を祈ります。