本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、列王記下15:1-12です。
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歴代誌を見ると、アザルヤは傲慢のために主に打たれたのだとわかります。
主の目に良いことを行っていても、高いところは取り除かなかったというように本当の従順がないと、人は傲慢になって主に打たれるということがあるのです。
自分は従って良いことをしているのに何故…という不満よりも、自分は何か従っていない部分はないだろうか…という謙遜な姿勢が大切です。
イスラエルの王たちは、誰もが自己実現のために争って王位についたということが分かります。
その不信仰の連続には、このような不信仰の原点があったのです。
私たちも事を始める時の動機が大切です。
時には自分の行いや今あることの原点をさかのぼって、省みる必要があります。
もしも主の目に反することがあったなら、悔い改めて赦しときよめが必要です。
祝福を祈ります。