本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、列王記下18:1-12です。
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ヒゼキヤは父が悪王であったにもかかわらず、「主の目にかなうことを行った。」(3)とあります。
母がゼカリヤの娘であり、預言者イザヤと関わりがあり、また同時期にイスラエルが不信仰ゆえに滅ぼされた様子から教訓を得たこともあったでしょう。
様々なことから信仰の糧を得る人もあれば、何を見ても悟らない人もいます。
ヒゼキヤのように悟る人となりましょう。
ヒゼキヤは偶像につながるものは「取り除き」(4)、「切り倒し」(4)ましたし、さらには「モーセが作った青銅の蛇を」(4)も打ち砕きました。
これは主のことばによって、民を病から救うために造られたものですが、それ自体が偶像のように信仰の対象になってしまったものです。
かつての証しや信仰体験も、それが主ご自身から離れてしまっては、むしろ偶像のように信仰の妨げとなってしまいます。
過去の出来事に固執するよりも、今生きて働いておられる主ご自身が大切です。
必要とあれば過去と決別してでも、主ご自身との交わりを優先させましょう。
祝福を祈ります。