2024年10月31日

2024/10/31早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙6:11-18です。

本文とメッセージはこちら

パウロは目が悪かったので、自筆で書くときには大きな字でなければなりませんでしたが、そのことはむしろ彼の情熱を明らかにしました。
弱さが人の心を動かすことにもなると信じて、主のみこころを熱心に行いましょう。

割礼とは、古い約束による救いの条件です。
しかしそのような古い条件は、律法も含めて誰も守りきることができないので、実際には救いではなくさばきをもたらすものなのです。
それなのに何故「割礼を強いてい」(12)るのかというと、それは『外見を良くしたい」(12)のであると、パウロは言います。
すなわち外見上は「立派な人、立派な信仰」と見られたいのです。

目に見える基準を自分で決めて、”〇〇できるから、〇〇しているから、〇〇していないから”立派だとか、信仰が足りないなどと言う人は、そのような人であるということです。

私たちは自分の行いを誇らないで、「主イエス・キリストの十字架」(14)だけを誇りにしたいものです。
そうでなくてないけません。
自分を誇らないこと、それはいつも誠実に意識していなければできるものではありません。

祝福を祈ります。
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2024年10月30日

2024/10/30早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙6:1-10です。

本文とメッセージはこちら

交わりの良いところは、誤りに気づかせてもらえるところです。
ただし、自分は正しいというような言い方では、相手に伝わりません。
単に感情的に受け入れられないというだけでなく、それは自分の視点でしか見ていないということが伝わるからでしょう。
神様の視点で教えるのであれば、教える本人も聖なる神様の前で謙っているはずです。
ですから「柔和な心」(1)が大切なのです。
そして「自分自身も誘惑に陥らないように」(1)という警告が出てくるのです。

また「人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うことになる」(5)ので、人と比べたり、自分で基準を決めたりして、”自分はよくできている、よくやっている、正しく歩んでいる”というような自己満足をしないようにしましょう。
大切なのは、主が与えてくださった使命を果たし、主の目的を実現しているかということです。
また主の共同体の中で、主の愛する人々のために期待に応えているかということなのです。
勝手に自分は合格だと思い込まないようにしましょう。

「みことば…を教えてくれる人」(6)は、善き関係によってそれが可能になります。
緊張関係や利害関係、対立関係では、主の愛のみことばも歪んで伝わってしまいます。
むしろ「良いものを分かち合」(6)うような関係によって、互いに自由に話せるものです。
何より聖霊によって語られることは、聖霊による愛の関係によって伝わります。

人間関係において良い種を蒔けば、必ず良いものを刈り取りますから、相手の態度が悪いままでも「失望せずに」(9)、蒔き続けましょう。
「善を行い」(9)続けましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月29日

2024/10/29早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙5:13-26です。

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一般的にも自由と身勝手とは違います。
聖書でも自由とは欲望のままに生きることではありません。
むしろ欲望に支配されている状態から自由、すなわち欲望によって本当の生き方が出来ない状態から、欲望に支配されずに生きられるようになることが自由です。

欲望や身勝手によって生きるなら、「隣人を...愛」(14)することなどできませんし、むしろ「互いに、かみつき合っ」(15)て生きるようになってしまうのです。

そのような本当の自由を手に入れるのには聖霊の力が必要です。
「御霊が望むことは肉に逆らう」(17)から、すなわち肉の欲望に打ち勝つ力があるからです。
聖霊は私たちの心の底から変えて、喜んで愛と平和と真実を求めるようにしてくださるのです。
御霊の実である「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(22-23)を求めましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月28日

2024/10/28早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙5:1-12です。

本文とメッセージはこちら

私たちは「自由を得させるため」(1)というイエス様の目的によって救われました。
死からの自由、罪の誘惑からの自由、サタンからの自由、そして律法主義からの自由です。
自分の頑張りでやってきたと自負する人は、必ず挫折したときに自分を責めることになります。
または人に責任転嫁するようになります。
因果応報の価値観なのです。

神の前の自由な生き方の動機は愛です。
「愛によって働く信仰」(6)が大切です。
ですからイエス様を愛する思いが尊いのです。
そのためには十字架の救いを本当に心から感謝しているかどうかが鍵です。
そしてそのためには自分の罪深さを知る必要があるのです。

きよめが認罪から始まって、神への愛にいたるのはそれゆえです。
これらは螺旋階段のようにそれぞれが高められて、全体も高められてゆくのです。

祝福を祈ります。
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2024年10月27日

2024/10/27主日礼拝

10月27日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2024年10月27日NGC SundayCelebration (YouTube)

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2024年10月27日NGC SundayCelebration (RAM)


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賛美「あなたの前に行きます」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「あなたは義の方」
お知らせと報告など
賛美「ゆるぎない土台」
  「慈しみ深き」新聖歌209番
  「Above All」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ガラテヤ人への手紙6章1〜5節
メッセージ「聖霊による交わり」
祈り・応答
賛美「イエスが愛したように」(献金)
  「わが魂の羊飼い」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------



司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
 WL:Yama
 Cho:Yoshika
 Key:Yokoi
 Dr:Yoshika
 PA:Miyuki
 YouTube&Camera:DJshuntaro & Nao
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2024/10/27早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙4:21-31です。

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それでも「律法の下にいたいと思う人たち」(21)と、パウロは頑固な人々に勧めています。
彼の何とかしたいという愛の熱心さが伝わってきます。
律法とはイサクの子孫であるイスラエルに与えられたものですが、その本質は「約束」(23)であると、パウロは言います。
律法もまた神様からの約束なのです。

であるなら、十字架による救いも、神様からの一方的な救いとその後の聖霊による成長も、神様からの約束です。
これは私たちにも関係することです。

すなわち、自分の力で頑張らないといけないと思っている場合や、自分の力で信仰生活や主の働きを頑張ってきたと思っている人、神様の愛の約束を忘れて、自分に起源があるかのように勘違いしているのです。

聖霊に導かれている人には自由があります。
また喜びがあります。
同じように主のみこころを行っているようでも、人をさばいたり不平を言ったりすることはないのです。

祝福を祈ります。
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2024年10月26日

2024/10/26早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙4:12-20です。

本文とメッセージはこちら

パウロにとっては、ガラテヤ教会の人々が本当の福音すなわちキリストの十字架による救いを受け入れたときはすばらしい喜びでした。
彼らは感動と感謝を持ってパウロから福音を受けたので、そのパウロが目の病であると知って「自分の目をえぐり出して」(15)与えたいとさえ思ったのでした。

神の救いの愛を解した愛情は強く純粋なものです。
永遠の命のために神様が遣わしてくださった人に感謝し、愛し、常に喜びを分かち合いましょう。

しかし、そのガラテヤの人々は今や、間違った福音すなわち律法による救いを教える人々の熱心さに、つられて惑わされてしまいました。
律法によるということは、その動機がイエス様への愛ではなく、義務感からやっているということです。
ですから「あの人たちはあなたがたに対して熱心ですが、それは善意からではありません。」(17)ということになるのです。

もしもキリストの愛と犠牲による福音によって救われた私たちが、自分の努力や能力で救われたようなことを言ったり、またはそれで成長しようと思うなら、ここでパウロが言うような苦しみをイエス様にも与えていることを知るべきです。

主の愛の中で聖霊によって、救いを確信し全うし、成長し、用いられていきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月25日

2024/10/25早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙4:1-11です。

本文とメッセージはこちら

私たちはもはや神様の子どもであって、また相続人でもあります。
相続するのは永遠の莫大な財産ですが、それは地上の消えてゆくようなお金や権力などではありません。
そのような天の財産は、地上でも主の恵によって必要なときには与えられます。
マラキ書にあるように、主に信頼してささげる者には、天の窓を開いてあふれるばかりに注いでくださるのです。

また唯一の神ではない、「神々」(8)というような人間が作ったものを拝んでいたときには、子どもではなく奴隷でした。
なぜなら、何かをささげなければ救われないという縛りの中にあったからです。

ですから、何かをささげなければ…というように、律法を守らなければ救われない、全うできないという生き方は奴隷のようなものなのです。

私たちは神の子どもであって奴隷ではないので、愛の中で育まれ、生かされ、そして成長しきよめられるのです。
義務感から脱出して、神の愛の中で愛を感じて、愛に満たされて生きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月24日

2024/10/24早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙3:19-29です。

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神様は律法による救いを明言しながら、しかしキリストによる救いを与えられました。
そこで「律法は神の約束に反するのでしょうか。」(21)という問いかけがなされますが、「そんなことはありません。」(21)とパウロは言います。
なぜなら人は律法を守りきることができないので、救われることがないから、神様はキリストによる救いを与えてくださったのです。

そこで、では律法とは何のためにあったのかという問いが生まれますが、パウロはそれは「私たちをキリストへ導く」(24)ためであったと言います。
つまり律法があることによって、神の義を知り、その義を全うできない自分の弱さや罪深さを自覚するということです。

ですから律法的に生きてしまう弱さを私たちは持っていますが、それによって自分の弱さを自覚して、そこからイエス様の十字架の愛と聖霊の力に立ち返るべきです。

そのように十字架のあわれみで生きることが、自分を誇らないで、互いに「一つ」(28)となれる道なのです。
クリスチャンの群れはそのように、十字架のもとで謙遜になる人々によって成り立っているものです。

祝福を祈ります。
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2024年10月23日

2024/10/23早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙3:10-18です。

本文とメッセージはこちら

イエス様は自ら「のろわれた者」(13)となって、私たちの受けるべき「のろい」(10)を身に受けてくださいました。
ですからその身代わりの十字架を受け入れることで、私たちの救いはもたらされます。
逆にそれを拒絶するなら、救いも拒絶されるのです。

そのことはクリスチャンなら誰でも知っていることで、自分は強い意志で律法を守って救われたという人はいないでしょう。
しかし、救われた後に、自分の意志で律法的に頑張ろうとする人もいます。

「信仰によって生き」(11)ましょう。
それは律法より前、アブラハムの時代に神様から約束された祝福であり、生きた神様との交わりによるものです。
毎日の神様との交わりが大切です。

祝福を祈ります。
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2024年10月22日

2024/10/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙3:1-9です。

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ガラテヤの教会にはにせ教師が入って来て、律法を守り割礼を受けなければ救われないと説きました。
律法も割礼も悪いことではありません。
どちらも主の命令に従うという点では、むしろ良いものです。
しかしどんなに良いものでも、イエス様の十字架と同列に置くことはできません。
ましてやイエス様の救いのみわざに欠けがあるかのように、救いの条件としてしまうのは大きな過ちです。

ですから教会でも、十字架の救いが条件であるはずの洗礼に関して、長く礼拝に来ているから、両親が熱心なクリスチャンだから、奉仕してくださっているから、などということで受洗を勧めたりはしないのです。
また救われた後も信仰の成長のために必要なのは聖霊であって、決して律法ではありません。
私たちも何かの律法的基準を設けて、完成されているとかいないとかを議論することはないのです。
救われた後の良い行いは、すべて聖霊によって、イエス様を愛する思いから生まれるものであって、自分の頑張りで人と比べて達成するようなものではありません。

律法はユダヤ人の専売特許と思われますが、その始祖アブラハムも、「神を信じた。それで、それが彼の義と認められ」(6)、信仰によって異邦人も救われるからこそアブラハムによって「すべての異邦人が、…祝福される」(8)との約束があったのです。

ですからあらゆる点からいって、救いも成長も律法的な頑張りによるものでなく、すなわち人間の力ではなく、神である聖霊の力です。

祝福を祈ります。
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2024年10月21日

2024/10/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙2:11-21です。

本文とメッセージはこちら

パウロが意図したのはケファすなわちペテロへの批判ではありません。
彼の評判を貶めるためにこれを書いているのではないことは明らかです。
9節にあるように、パウロはペテロを尊重していたのです。
だからこそ彼はペテロを非難したのでしょう。
ペテロの行動が影響力を持っていたからであり、ペテロと共に一致したかったからです。

ただし、その後にペテロがどのように弁明したかは書かれていません。
彼は彼で信仰の弱い人への配慮をしていたのかもしれないのです。
ここでパウロが強い口調で論じているのは、福音の十全性です。
十字架は救いにとって必要にして十分であるということです。
これはどんなに強調してもし過ぎることはありません。

たとえ人間関係が壊れたとしても(ペテロとの仲は悪くなりませんでしたが)、イエス様の十字架の救いが損なわれることは避けなければなりません。

パウロのように永遠の命を何よりも大切なものとし、イエス様の十字架を何よりも尊いものとして、行動を決めて行きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月20日

2024/10/20主日礼拝

10月20日の放送です。

下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2024年10月20日NGC SundayCelebration (YouTube)

また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2024年10月20日NGC SundayCelebration (WMP)

また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2024年10月20日NGC SundayCelebration (RAM)


出席票の記入にご協力をお願いします。




------------------------------------------------------------
前奏
賛美「私の心の目を」(招詞・礼拝祈祷)
  「威光・尊厳・栄誉」新聖歌166番
お知らせと報告など
賛美「新しい命」
  「神の家族」
証し
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ガラテヤ人への手紙2章19〜20節
メッセージ「キリストとともに死んで生きる」
祈り・応答
賛美「ぼくのたからもの」(献金)
  「いのちの光」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
(以降次第のみ)
証し
勧告・祈祷
記念品
賛美「God Bless You」新聖歌198番
洗礼式「喜びたたえよ」新聖歌42番(おりかえし)
祈祷



司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
立証:古川真喜兄・長縄一織兄
Praise & Worship
 WL:Miyuki
 Cho:Mutsumi & DJshuntaro
 Key:DJshuntaro
 Dr:Yoshika
 PA:Ai
 YouTube&Camera:Yuta
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2024/10/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙2:1-10です。

本文とメッセージはこちら

イエス様の十字架は全ての人のためであること、そして救いのために十分なものであることは、救いの理解にとって何よりも大切なことです。
そうでないと、ある人にとっては十字架以外にも何かが必要になってしまいます。
救いのためにお金や善行や修行が必要だとしたら、それはイエス様の十字架を不十分なものとして、引き下げてしまうことになってしまいます。

ここで言われている「割礼を強い」(3)るというのもそのように、十字架を不十分とすることです。
パウロはそのような間違った福音を、何としても正したかったのです。

しかしながら、自分だけで独善的に進めようとはしませんでした。
すでに「柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネ」(9)からの信任と同意を大切にしたのです。
ここにクリスチャンとしての、また働き人としての健全さがあります。
そのような者が主の器であることを悟りましょう。
また主の使命を果たせることを知りましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月19日

2024/10/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙1:11-24です。

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パウロは主が誉め讃えられるためなら、自分の恥を喜んでさらけ出しました。
彼は教会を迫害したのですが、それを隠そうとはしなかったのです。
証の後に証し者がほめられたり、同情を受ける光景を見ることがありますが、それは主が中心にある共同体とは言い難いのです。

またパウロは「エルサレムにも上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。それから3年後に、私はケファを訪ねて…」(17-18)と書いています。
彼は主から受けた福音、すなわちイエスの十字架による救いを旧約の真理に照らし合わせて熟考していたのです。
パウロの福音理解は、体験と理性と歴史と霊性とが生きているものです。
私たちもそのようにバランスの良い信仰生活をしましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月18日

2024/10/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙1:1-10です。

本文とメッセージはこちら

パウロが手紙を書くとき、または誰かと交わりをするときには、自分が誰であるのかをはっきりと自覚していました。
すなわち、「人間を通して」(1)ではなく「父なる神」(1)によって使徒となった自分です。

私たちもそれぞれに教会の奉仕、社会的な仕事や立場、家庭や地域の関係が与えられていますが、それらを「人の手」によってやらされたと思っているなら本当の動機が生まれてきません。
「父なる神」(1)によって与えられたことを知り、確信と感謝と自信を持っていきましょう。

パウロはその信仰ゆえ主の福音に関しては、強い信念を持っていました。
確かに「あなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら」(8)のろわれるべきです。
永遠の命を損なうことになるからです。

教会では寛容や赦しを大切にしますが、それは救いをいい加減にするのとは違います。
間違った福音や間違った「御心」にまでも寛容であるなら、それは人を永遠に殺すことになるのです。
つまり永遠の命を奪うということです。
もちろん人を傷つけることに関しても同じです。

互いに主によって立てられていることを忘れないようにしましょう。
また主によって教会が存在していることも覚えましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月17日

2024/10/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ホセア書14:1-9です。

本文とメッセージはこちら

イスラエルの回復の様子が書かれています。
それはイスラエルの悔い改めです。
自分の不義につまずいたと認める必要があるのです。
私たちも人生につまずくとき、神様に対して不義がなかったかどうかを省みる必要もあるのです。

「アッシリアは私たちを救えません」(3)というのが、偶像に従ってきたイスラルの答えです。
つまり偶像がどこから来たかというと、神以外の強国であるアッシリアを頼りにして、友好関係を持ったところから始まるのです。

私たちも神以外のものを神のように頼って従うところから、心の偶像礼拝が始まるのだと知る必要があります。

それに対して神様は「わたしは彼らの背信を癒やし、喜びをもって彼らを愛する。わたしの怒りが彼らから離れ去ったからだ。」(4)と言ってくださいます。
また続いてイスラエルの繁栄を約束してくださいました。

ここに悔い改めの恵みがあります。
その許しの幸いは悔い改めた者しか分からないような、感謝にあふれたものです。
神様の愛の素晴らしさは、赦された者にこそ分かるものなのです。
悔い改めの習慣を身に着けましょう。
赦される恵みを日々体験しましょう。
また互いに罪を認め合い、赦しと愛を宣言しつつ、神様の愛を流す共同体であり続けましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月16日

2024/10/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ホセア書13:1-16です。

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本来、主なる神様はイスラエルを守る方です。
しかしイスラエルが主に背いたことで、バアルの味方となり、神に敵対するものとなってしまいました。
ですから主は「獅子のようになり」(7)「引き裂く。」(8)と仰せられるのです。

私たちも同じです。
主は「わたしのほかに救うものはいない。」(4)と言われているのです。
イスラエルは「妊婦たちは切り裂かれる。」(16)という恐ろしいめにあいました。
主の守りがなくなるとはそういうものです。

ですから主はこの書では、姦淫の妻を赦して愛するホセアのように、イスラエルを一方的に愛する御心を強調なさるのです。
その愛は今私たちにも注がれています。
この主の愛に応えましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月15日

2024/10/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ホセア書12:1-14です。

本文とメッセージはこちら

イスラエルは神にではなく、エジプトに守りを求めました。
しかしエジプトは主の前には不安定な存在でしかありませんでした。
このように人間的なものに頼るのは、不安定なのです。

ヤコブは人間的には目先が利く能力を持っていましたが、それも破綻してしまいました。
最後は自分の力を捨てて、主により頼んだのです。
私たちもヤコブに倣って、自分の力や分析に頼ることから、主に頼るものに変わりましょう。
特に人を頼ったり恐れることで、偶像と関わっているなら、神様を信じて方向転換しましょう。

祝福を祈ります。
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2024年10月14日

2024/10/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ホセア書11:1-12です。

本文とメッセージはこちら

イスラエルが主から遠ざかるときでも、主は「彼ら」を「呼」(2)んでおられました。
また「愛の絆」(4)で導いてくださいました。
それでもイスラエルは主から離れたのです。
主の悲しみはそれほどだったでしょうか。

主から離れている信仰者もいますが、私たちはまず主の悲しみを心に思うべきでしょう。

そして主は「どうしてあなたを引き渡すことができるだろうか。…心は…熱くなっている。」(8)と仰せられます。
これが神の愛です。
この愛を心に受けましょう。

祝福を祈ります。
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