本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネの黙示録3:1-6です。
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「生きているとは名ばかりで実は死んでいる」(1)とは、信仰の状態を意味しているのでしょう。
イエス様の十字架を信じて受け入れた者は、永遠の命があるのですから、生きた者のはずですが、ヤコブの手紙2:26には「信仰も行いを欠いては死んでいる」とも書かれています。
自分自身の信仰に行いが伴っているか、考えてみる必要があります。
また命あるものは成長するのですから、自分は成長しているか、また謙遜に成長を願っているかを考えてみる必要があります。
それらがないのは、自分自身の信仰や人格が”全うされた”と勘違いしているからでしょう。
主はそのように「見ていない」(2)と言われます。
主は盗人のように、すなわち知らぬ間に来られるのですから、成長を求めなかったことを悔い改めて目を覚ましていましょう。
祝福を祈ります。