本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネの黙示録9:1-21です。
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「いなご」(3)と表現されるものは、闇から出てきます。
人々が知らないうちにいつの間にか現れ、世に影響力を持つようになります。
「いなご」は本来激痛を与えるものではありませんが、いつの間にか「死を探し求める」(6)ほどの「苦痛」(5)を与えるのです。
サタンの戦略です。
クリスチャンもその正体に気づかないかもしれません。
しかし「神の印を持たない人たちに」(4)害を与えるとありますから、私たちの信仰は自分自身を守ることにもなるのです。
信じる者には神の印が押されています。
「これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たち」(20)は悔い改めませんでした。
終わりの日の一連の災害は、まだ神の最後のさばきではありません。
神を侮っていた人々、また神に敵対していた人々が「悔い改め」(20)ることを期待してのものなのです。
しかし人々はそれでも神を認めようとしないということが分かります。
人は弁解の余地はないのです。
主を認めて信じられるということは何と得がたいことでしょう。
人は自分の力では、この超越的な方を知ることも、認めることもできないのです。
イエス様の十字架も感謝ですし、その意味を教えていただき、受け入れることができるようにされたことも感謝です。
伝道している人は、人の力ではなく、主の恵みによって救われるように祈り求めましょう。
また終わりの日を覚えて、今を生きましょう。
祝福を祈ります。