本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書16:25-33です。
本文とメッセージはこちら
イエス様が「神のもとから出て来た」(27)すなわち救い主と信じる者を、御父は愛してくださいます。
しかしイエス様はご自身が「一人残」(32)されることを知っていました。
この後、十字架を前にして弟子たちは逃げてしまったのです。
それでも弟子たちが「平安を得るために」(33)イエス様は、あらかじめそのことを教えてくださったのです。
ご自分が裏切られることを知っていながら、それでもなお弟子たちのことを思いやってくださる愛です。
私たちにも「世にあっては苦難があり」(33)ますが、思いやってくださるイエス様を信頼しましょう。
しかもイエス様は「世に勝ちました」(33)という全能の神なのです。
祝福を祈ります。
2025年02月28日
2025年02月27日
2025/2/27早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書16:16-24です。
本文とメッセージはこちら
イエス様は、十字架の死によって弟子たちと別れること、それゆえに彼らが「嘆き悲しむ」(20)ことを告げられます。
しかし、それは「喜びに変わ」(20)ると宣言されます。
死と悪魔に勝利して復活されるからです。
死については「女は子を産むとき」(21)にたとえておられます。
それは最後には「激しい痛みをもう覚えてい」(21)ないほどの喜びです。
きっと私たちの死も同じでしょう。
肉体の命を終えることは苦痛のようですが、天での喜びはすぐに訪れ、すべての苦しみを忘れるほどの喜びに満たされるのです。
イエス様が復活されてからは「再びあなたがたに会います」(22)と、その希望を明らかにしておられます。
復活の後の「喜び」(22)はだれも「奪い去る」(22)ことができないほど力強く、確かなものです。
さらに私たちと御父との隔てがなくなるので、「求めるものは」(23)与えられるのです。
すばらしい復活の恵みに感謝して、その恵みによって生きましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
イエス様は、十字架の死によって弟子たちと別れること、それゆえに彼らが「嘆き悲しむ」(20)ことを告げられます。
しかし、それは「喜びに変わ」(20)ると宣言されます。
死と悪魔に勝利して復活されるからです。
死については「女は子を産むとき」(21)にたとえておられます。
それは最後には「激しい痛みをもう覚えてい」(21)ないほどの喜びです。
きっと私たちの死も同じでしょう。
肉体の命を終えることは苦痛のようですが、天での喜びはすぐに訪れ、すべての苦しみを忘れるほどの喜びに満たされるのです。
イエス様が復活されてからは「再びあなたがたに会います」(22)と、その希望を明らかにしておられます。
復活の後の「喜び」(22)はだれも「奪い去る」(22)ことができないほど力強く、確かなものです。
さらに私たちと御父との隔てがなくなるので、「求めるものは」(23)与えられるのです。
すばらしい復活の恵みに感謝して、その恵みによって生きましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月26日
2025/2/26早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書16:1-15です。
本文とメッセージはこちら
イエス様を信じて永遠のいのちを得た人々は、その多くが迫害を受けました。
信仰とはそういうものだからです。
もしも永遠のいのちに価値がなかったなら、それにはオマケがたくさん付いてくることでしょう。
たとえば家内安全商売繁盛のようなご利益のように。
しかしたとえ、ご利益を含めて全世界を失ったとしても、永遠のいのちを得ることは幸いの極みなのです。
それだけで無限の価値があることを知っているので、殉教者たちはためらわずに信仰を選択しました。
当時の状況は弟子たちには過酷でしたが、私たちはその生き様を知って、永遠のいのちの絶大なる価値を実感するのです。
ならば私たちも、少しは彼らのように、喜びの自己犠牲をも選んでみましょう。
弟子たちにとって聖霊が助け手であられたように、私たちにとっても聖霊様がおられます。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
イエス様を信じて永遠のいのちを得た人々は、その多くが迫害を受けました。
信仰とはそういうものだからです。
もしも永遠のいのちに価値がなかったなら、それにはオマケがたくさん付いてくることでしょう。
たとえば家内安全商売繁盛のようなご利益のように。
しかしたとえ、ご利益を含めて全世界を失ったとしても、永遠のいのちを得ることは幸いの極みなのです。
それだけで無限の価値があることを知っているので、殉教者たちはためらわずに信仰を選択しました。
当時の状況は弟子たちには過酷でしたが、私たちはその生き様を知って、永遠のいのちの絶大なる価値を実感するのです。
ならば私たちも、少しは彼らのように、喜びの自己犠牲をも選んでみましょう。
弟子たちにとって聖霊が助け手であられたように、私たちにとっても聖霊様がおられます。
祝福を祈ります。
2025年02月25日
2025/2/25早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書15:18-27です。
本文とメッセージはこちら
誰かの側に付くということは、その人に反対者がいた場合、その反対者の敵にもなるということが起きます。
当然イエス様の側に付いていながら、反対者の味方になることはできません。
あるクリスチャンはその点で、あいまいな生き方をしているかも知れません。
何を信じているのかわからないような行動をとってしまうことになります。
ここでいう「世」(19)というのは、神のものではないという意味の世であり、また神を信じない世の価値観でもあります。
世がイエス様を「憎む」(19)すなわち反対するのであるなら、そのイエス様よりも「まさるものではない」(20)私たちをも、世が憎むのは当然の成り行きです。
しかし、そのような苦境にある場合も、私たちよりも先にイエス様が「先に」(18)憎まれたことを「知っておきなさい」(18)と言われます。
イエス様は、信仰のゆえに攻撃を受けている人の仲間であり、助け手です。
いずれにしても結局反対者の「罪は」(22)明らかであり、「弁解の余地は」(22)ないのですから、私たちは彼らの同調者にならないように気をつけましょう。
同調者ではなく、愛の助け手やとりなし手となるべきです。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
誰かの側に付くということは、その人に反対者がいた場合、その反対者の敵にもなるということが起きます。
当然イエス様の側に付いていながら、反対者の味方になることはできません。
あるクリスチャンはその点で、あいまいな生き方をしているかも知れません。
何を信じているのかわからないような行動をとってしまうことになります。
ここでいう「世」(19)というのは、神のものではないという意味の世であり、また神を信じない世の価値観でもあります。
世がイエス様を「憎む」(19)すなわち反対するのであるなら、そのイエス様よりも「まさるものではない」(20)私たちをも、世が憎むのは当然の成り行きです。
しかし、そのような苦境にある場合も、私たちよりも先にイエス様が「先に」(18)憎まれたことを「知っておきなさい」(18)と言われます。
イエス様は、信仰のゆえに攻撃を受けている人の仲間であり、助け手です。
いずれにしても結局反対者の「罪は」(22)明らかであり、「弁解の余地は」(22)ないのですから、私たちは彼らの同調者にならないように気をつけましょう。
同調者ではなく、愛の助け手やとりなし手となるべきです。
祝福を祈ります。
2025年02月24日
2025/2/24早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書15:9-17です。
本文とメッセージはこちら
御父とイエス様の愛の関係が、そのままイエス様と私たちの関係になるように、イエス様は愛してくださいます。
ですから、私たちもイエス様を愛するのです。
自分のために命を捨ててくださり、今もその同じ愛で助けてくださる方を、心から愛していないとするなら、その感覚はどこか麻痺しているかもしれません。
私たちは当然イエス様を愛しています。
共にいたいし、喜ばせたいと思うでしょう。
ですからイエス様の「戒めを守る」(10)のです。
その戒めとは「互いに愛し合うこと」(12)です。
すべての律法は愛するということで完成するのです。
ではどのように愛するのでしょうか。
それはその人のために最も大切なものを差し出して、あげてしまうということです。
最も大切なものは「いのち」(13)ですが、イエス様はその命を愛する私たちに差し出して、つまり十字架にかかって「捨て」(13)てくださったのです。
私たちも、誰かのために大切なものを差し出すことは、幸いの原点です。
その人の幸いでもありますし、”受けるよりも与える方が幸い”という真理によって、私たちも幸いなのです。
それが出来る人はクリスチャンとしての価値観を持った人です。
イエス様はそのような「命じることを行う」(14)人を、「わたしの友です」(14)と言ってくださいます。
イエス様の友となりましょう。
そのような友は、イエス様から「父から聞いたことを」「知らせて」(15)いただけますし、イエス様の「名によって父に求めるものをすべて」(16)与えられるのです。
「互いに愛し合うこと」(17)という戒めを、イエス様への愛のゆえに、喜びと真心をもって行いましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
御父とイエス様の愛の関係が、そのままイエス様と私たちの関係になるように、イエス様は愛してくださいます。
ですから、私たちもイエス様を愛するのです。
自分のために命を捨ててくださり、今もその同じ愛で助けてくださる方を、心から愛していないとするなら、その感覚はどこか麻痺しているかもしれません。
私たちは当然イエス様を愛しています。
共にいたいし、喜ばせたいと思うでしょう。
ですからイエス様の「戒めを守る」(10)のです。
その戒めとは「互いに愛し合うこと」(12)です。
すべての律法は愛するということで完成するのです。
ではどのように愛するのでしょうか。
それはその人のために最も大切なものを差し出して、あげてしまうということです。
最も大切なものは「いのち」(13)ですが、イエス様はその命を愛する私たちに差し出して、つまり十字架にかかって「捨て」(13)てくださったのです。
私たちも、誰かのために大切なものを差し出すことは、幸いの原点です。
その人の幸いでもありますし、”受けるよりも与える方が幸い”という真理によって、私たちも幸いなのです。
それが出来る人はクリスチャンとしての価値観を持った人です。
イエス様はそのような「命じることを行う」(14)人を、「わたしの友です」(14)と言ってくださいます。
イエス様の友となりましょう。
そのような友は、イエス様から「父から聞いたことを」「知らせて」(15)いただけますし、イエス様の「名によって父に求めるものをすべて」(16)与えられるのです。
「互いに愛し合うこと」(17)という戒めを、イエス様への愛のゆえに、喜びと真心をもって行いましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月23日
2025/2/23主日礼拝
2月23日の放送です。
下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2025年2月23日NGC SundayCelebration (YouTube)
また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2025年2月23日NGC SundayCelebration (WMP)
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2025年2月23日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
------------------------------------------------------------
前奏
賛美「主は栄光」
招詞
礼拝祈祷
賛美「求めて」
お知らせと報告など
賛美「みもとにひれ伏し」
「求めなさい」
「パワーオブユアラブ」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ヨハネによる福音書15章1〜8節
メッセージ「多くの実を結ぶために」
祈り・応答
賛美「主はぶどうの木」新聖歌332番改
「主の導きの中を」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Miyuki
Cho:Yoshika & DJshuntaro
Key:DJshuntaro
Dr:Iori
PA:Ai
YouTube&Camera:Yokoi
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賛美「主は栄光」
招詞
礼拝祈祷
賛美「求めて」
お知らせと報告など
賛美「みもとにひれ伏し」
「求めなさい」
「パワーオブユアラブ」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ヨハネによる福音書15章1〜8節
メッセージ「多くの実を結ぶために」
祈り・応答
賛美「主はぶどうの木」新聖歌332番改
「主の導きの中を」
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:竹内清兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:Miyuki
Cho:Yoshika & DJshuntaro
Key:DJshuntaro
Dr:Iori
PA:Ai
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2025/2/23早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書15:1-8です。
本文とメッセージはこちら
聖霊によってイエス様と一つになる生き方は、ぶどうの木のようであると、イエス様は分り易く教えてくださいます。
それは第一に、神とつながっているということです。
「枝がぶどうの木にとどまっていなければ」(4)とあるように、イエス様から離れては「何もすることができ」(5)ません。
生き方、祈り、みことばによってイエス様とつながり続けましょう。
第二に、「実を結ぶ」(2)ということです。
私たちクリスチャンはただ歩んでいればよいというのではなく、実を結ぶために生きているのです。
それは救いの実であり、聖霊の実です。
すなわちこの世の人々が救われることと、私たちの内面が愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制で満ちることです。
第三に、「刈り込み」(2)があるということです。
人間の願いが何もかも実現するということは不可能です。
中にはみこころに反するものもあります。
主のハサミが入ることには恐れも感じますが、それは、よりすばらしい実に集中することによって、よい結果がもたらされるためです。
安心して主にお任せしましょう。
主から見て、必要がないと思われるものは信仰によって手放しましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
聖霊によってイエス様と一つになる生き方は、ぶどうの木のようであると、イエス様は分り易く教えてくださいます。
それは第一に、神とつながっているということです。
「枝がぶどうの木にとどまっていなければ」(4)とあるように、イエス様から離れては「何もすることができ」(5)ません。
生き方、祈り、みことばによってイエス様とつながり続けましょう。
第二に、「実を結ぶ」(2)ということです。
私たちクリスチャンはただ歩んでいればよいというのではなく、実を結ぶために生きているのです。
それは救いの実であり、聖霊の実です。
すなわちこの世の人々が救われることと、私たちの内面が愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制で満ちることです。
第三に、「刈り込み」(2)があるということです。
人間の願いが何もかも実現するということは不可能です。
中にはみこころに反するものもあります。
主のハサミが入ることには恐れも感じますが、それは、よりすばらしい実に集中することによって、よい結果がもたらされるためです。
安心して主にお任せしましょう。
主から見て、必要がないと思われるものは信仰によって手放しましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月22日
2025/2/22早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書14:25-31です。
本文とメッセージはこちら
イエス様と直接交わった者でも、多くは何も理解しないで、また信じないで終わってしまいました。
聖霊によらなければ「教え」られないからです。
この世の知恵や学問というものは、限りなくたくさんありますが、救いに至る真理は聖霊によるものです。
本当の知恵があることを感謝し、それをさらに確かなものとし、分かち合いそして人々に伝えましょう。
その真理こそが「平安を与え」(27)るものですから、問題を抱えている人に対しては、この世の知恵よりも、イエス様が残してくださった平安を分かち合いましょう。
「さあ、ここから行くのです。」(31)とイエス様はいつも私たちを、この世に送り出されますが、それは聖霊によって、守りと真理が与えられているからです。
毎日、聖霊様によって、聖霊様とともに、この世に出て行きましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
イエス様と直接交わった者でも、多くは何も理解しないで、また信じないで終わってしまいました。
聖霊によらなければ「教え」られないからです。
この世の知恵や学問というものは、限りなくたくさんありますが、救いに至る真理は聖霊によるものです。
本当の知恵があることを感謝し、それをさらに確かなものとし、分かち合いそして人々に伝えましょう。
その真理こそが「平安を与え」(27)るものですから、問題を抱えている人に対しては、この世の知恵よりも、イエス様が残してくださった平安を分かち合いましょう。
「さあ、ここから行くのです。」(31)とイエス様はいつも私たちを、この世に送り出されますが、それは聖霊によって、守りと真理が与えられているからです。
毎日、聖霊様によって、聖霊様とともに、この世に出て行きましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月21日
2025/2/21早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書14:15-24です。
本文とメッセージはこちら
聖霊は真理の御霊であり、クリスチャンしか知ることができません。
また「うちにおられる」(17)方です。
イエス様が天に行かれて「見なく」(19)なっても、聖霊によってイエス様を「見ます」(19)ということが実現するのです。
そして愛によってイエス様の「戒めを保」(21)つようになるのです。
クリスチャン生活は自由なものであり、教会でも本人の意思に反して、何かをさせられるということはありません。
それは何でも勝手にやればよいというのではなく、聖霊によって内からみこころを行いたいという思いが与えられるのです。
聖霊を愛して喜んで従うとともに、他の人に働かれる聖霊のわざを、また教会に働かれる聖霊のわざを尊び、主の導きに従いましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
聖霊は真理の御霊であり、クリスチャンしか知ることができません。
また「うちにおられる」(17)方です。
イエス様が天に行かれて「見なく」(19)なっても、聖霊によってイエス様を「見ます」(19)ということが実現するのです。
そして愛によってイエス様の「戒めを保」(21)つようになるのです。
クリスチャン生活は自由なものであり、教会でも本人の意思に反して、何かをさせられるということはありません。
それは何でも勝手にやればよいというのではなく、聖霊によって内からみこころを行いたいという思いが与えられるのです。
聖霊を愛して喜んで従うとともに、他の人に働かれる聖霊のわざを、また教会に働かれる聖霊のわざを尊び、主の導きに従いましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月20日
2025/2/20早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書14:1-14です。
本文とメッセージはこちら
イエス様の十字架と復活は、私たちに赦しと永遠の命を与えてくださいましたが、さらには天国を備えてくださったという面もあります。
イエス様にとって救いとは、イエス様とともにいるようにしてくださるという意味もまた重要なのです。
私たちを愛するイエス様にとって、私たちの救いとは、天という”場所”に行くことよりも、”イエス様のもと”に行くということなのです。
イエス様は教えを広めたのではなく、ご自身との交わりを実現してくださったのであり、その意味でまさに、イエス様が「道であり、真理であり、いのち」(6)なのです。
学びも奉仕も大切ですが、イエス様との関係こそ大切にし、そのための学びや奉仕でありましょう。
また何よりもイエス様を礼拝することを第一にしましょう。
祝福を祈ります。
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イエス様の十字架と復活は、私たちに赦しと永遠の命を与えてくださいましたが、さらには天国を備えてくださったという面もあります。
イエス様にとって救いとは、イエス様とともにいるようにしてくださるという意味もまた重要なのです。
私たちを愛するイエス様にとって、私たちの救いとは、天という”場所”に行くことよりも、”イエス様のもと”に行くということなのです。
イエス様は教えを広めたのではなく、ご自身との交わりを実現してくださったのであり、その意味でまさに、イエス様が「道であり、真理であり、いのち」(6)なのです。
学びも奉仕も大切ですが、イエス様との関係こそ大切にし、そのための学びや奉仕でありましょう。
また何よりもイエス様を礼拝することを第一にしましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月19日
2025/2/19早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書13:31-38です。
本文とメッセージはこちら
イエス様の十字架が決定的になったことで、イエス様は「栄光をお受けになりました」(31)と言われました。]
世の勝利者としてではなく、救い主としての栄光です。
十字架にまで従ってご自分を無になさったことが、救い主の栄光です。
私たちクリスチャンも、神の前の栄光がそういうものであるということを忘れないでいましょう。
人を救って生かすために、自分を犠牲にできる姿こそが栄光なのです。
そしてだからこそ、他者を愛する者がイエス様の「弟子」(35)であるのです。
愛の弟子になりましょう。
祝福を祈ります。
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イエス様の十字架が決定的になったことで、イエス様は「栄光をお受けになりました」(31)と言われました。]
世の勝利者としてではなく、救い主としての栄光です。
十字架にまで従ってご自分を無になさったことが、救い主の栄光です。
私たちクリスチャンも、神の前の栄光がそういうものであるということを忘れないでいましょう。
人を救って生かすために、自分を犠牲にできる姿こそが栄光なのです。
そしてだからこそ、他者を愛する者がイエス様の「弟子」(35)であるのです。
愛の弟子になりましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月18日
2025/2/18早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書13:21-30です。
本文とメッセージはこちら
イエス様はユダの裏切りを見抜いておられましたが、それを阻止せず実行させました。
弟子たちにそれを知られないように、彼を行かせたのです。
もしも弟子たちが知ったら、ユダを容赦しなかったでしょう。
傷害事件になったとしても、阻止したでしょう。
イエス様は全能の神であり絶対の力を持った方ですが、力で世を動かそうとはなさらなかったのです。
ねじ伏せられた者は敵対心を持つようになります。
そこには愛も平安も一致もないのです。
クリスチャンの信仰的解決はそこにあります。
ことばの力、お金の力、知識の力、威圧の力、律法の力、多数派の力など様々な力はありますが、神様のみこころはただ愛によって人を変えることなのです。
イエス様は命をかけてそれをなさいました。
私たちもそれに倣うとき、主は喜んでみわざを表してくださると信じましょう。
祝福を祈ります。
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イエス様はユダの裏切りを見抜いておられましたが、それを阻止せず実行させました。
弟子たちにそれを知られないように、彼を行かせたのです。
もしも弟子たちが知ったら、ユダを容赦しなかったでしょう。
傷害事件になったとしても、阻止したでしょう。
イエス様は全能の神であり絶対の力を持った方ですが、力で世を動かそうとはなさらなかったのです。
ねじ伏せられた者は敵対心を持つようになります。
そこには愛も平安も一致もないのです。
クリスチャンの信仰的解決はそこにあります。
ことばの力、お金の力、知識の力、威圧の力、律法の力、多数派の力など様々な力はありますが、神様のみこころはただ愛によって人を変えることなのです。
イエス様は命をかけてそれをなさいました。
私たちもそれに倣うとき、主は喜んでみわざを表してくださると信じましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月17日
2025/2/17早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書13:12-20です。
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イエス様は奴隷の仕事である”洗足”を行って、模範を示されました。
「互いに足を洗い合わなければなりません」(14)というのは、互いに相手のしもべとなって仕えるべきだということです。
これはクリスチャンの人間関係の基本であり、教会のあるべき姿です。
仕えてもらう者は世の中では偉い人のようですが、神の国では逆なのです。
もしも仕えることが嫌ならば、その人はイエス様よりもまさった者になってしまいます。
「しもべは主人にまさら」(16)ないのですから、私たちがイエス様よりもまさったものとなってしまうのは、当然おかしな話なのです。
世の偉い人のようにお世話してもらうことを嬉しく思うよりも、仕えることを誇りとしましょう。
その価値観を理解できなかったのはユダです。
彼はイエス様が王のように力で支配しなかったことに、失望してイエス様に向かって「かかとを上げ」(18)たのでした。
祝福を祈ります。
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イエス様は奴隷の仕事である”洗足”を行って、模範を示されました。
「互いに足を洗い合わなければなりません」(14)というのは、互いに相手のしもべとなって仕えるべきだということです。
これはクリスチャンの人間関係の基本であり、教会のあるべき姿です。
仕えてもらう者は世の中では偉い人のようですが、神の国では逆なのです。
もしも仕えることが嫌ならば、その人はイエス様よりもまさった者になってしまいます。
「しもべは主人にまさら」(16)ないのですから、私たちがイエス様よりもまさったものとなってしまうのは、当然おかしな話なのです。
世の偉い人のようにお世話してもらうことを嬉しく思うよりも、仕えることを誇りとしましょう。
その価値観を理解できなかったのはユダです。
彼はイエス様が王のように力で支配しなかったことに、失望してイエス様に向かって「かかとを上げ」(18)たのでした。
祝福を祈ります。
2025年02月16日
2025/2/16主日礼拝
2月16日の放送です。
下記をクリックすると、YouTubeで再生開始されます。
2025年2月16日NGC SundayCelebration (YouTube)
また、下記をクリックすると、Windows Media Playerで再生開始されます。
2025年2月16日NGC SundayCelebration (WMP)
また、下記をクリックすると、Real Playerで再生開始されます。
2025年2月16日NGC SundayCelebration (RAM)
出席票の記入にご協力をお願いします。
賛美「あなたの前に行きます」
------------------------------------------------------------
前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「あなたは義の方」
お知らせと報告など
賛美「Jesus is Alive」
「あなたのみことば」
「Above All」
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 イザヤ書43章4節
メッセージ「海嶺のメッセージ」
祈り・応答
賛美「大いなる方に」(献金)
「主はぶどうの木」新聖歌332番改
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
------------------------------------------------------------
司会:岡本伸之牧師
説教:長谷川与志充先生(東京JCF教会協力牧師、三浦綾子読書会顧問)
Praise & Worship
WL:Yama
Cho:Miyuki & Yoshika
Key:Miyuki
Dr:Yoshika
PA:DJshuntaro
YouTube&Camera:Nobumasa & DJshuntaro(in msg)
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2025年2月16日NGC SundayCelebration (RAM)
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招詞
礼拝祈祷
賛美「あなたは義の方」
お知らせと報告など
賛美「Jesus is Alive」
「あなたのみことば」
「Above All」
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 イザヤ書43章4節
メッセージ「海嶺のメッセージ」
祈り・応答
賛美「大いなる方に」(献金)
「主はぶどうの木」新聖歌332番改
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:岡本伸之牧師
説教:長谷川与志充先生(東京JCF教会協力牧師、三浦綾子読書会顧問)
Praise & Worship
WL:Yama
Cho:Miyuki & Yoshika
Key:Miyuki
Dr:Yoshika
PA:DJshuntaro
YouTube&Camera:Nobumasa & DJshuntaro(in msg)
2025/2/16早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書13:1-11です。
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足を洗うとは当時は奴隷の仕事でした。
イエス様は愛を表し、またご自身が仕えるために地上に来られたことを表すために、進んでそのことをされました。
全能であり絶対的な権威を持ったお方が、今も私たちを愛するゆえに、奴隷のようにみわざをなさっておられるという、この驚くべき事実に感謝しましょう。
ペテロはイエス様に奴隷の仕事をさせるのを申し訳なく思い、「洗わないでください」(8)と言いましたが、それでは「わたしと関係ないことにな」(8)ると、イエス様は言われました。
このことから分かるのは、もしも私たち不完全な人間が、何か善行をしたことによって神様と交わってもらえるなどと思うならそれは不可能な話だということです。
実際は罪を哀れんでいただいて洗っていただくところから、交わりが始まるのです。
そのような自分であることを忘れて高慢にならないように気をつけましょう。
安心して主に洗っていただきましょう。
祝福を祈ります。
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足を洗うとは当時は奴隷の仕事でした。
イエス様は愛を表し、またご自身が仕えるために地上に来られたことを表すために、進んでそのことをされました。
全能であり絶対的な権威を持ったお方が、今も私たちを愛するゆえに、奴隷のようにみわざをなさっておられるという、この驚くべき事実に感謝しましょう。
ペテロはイエス様に奴隷の仕事をさせるのを申し訳なく思い、「洗わないでください」(8)と言いましたが、それでは「わたしと関係ないことにな」(8)ると、イエス様は言われました。
このことから分かるのは、もしも私たち不完全な人間が、何か善行をしたことによって神様と交わってもらえるなどと思うならそれは不可能な話だということです。
実際は罪を哀れんでいただいて洗っていただくところから、交わりが始まるのです。
そのような自分であることを忘れて高慢にならないように気をつけましょう。
安心して主に洗っていただきましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月15日
2025/2/15早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書12:37-50です。
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預言者は神のみこころを記しますから、「預言者イザヤのことばが成就するため」(38)とは、すなわち神のみこころが成就するためということです。
ちなみに「主は…頑なにされた。」(40)ということばからすると、人間の不従順は神が原因のようですが、そうではありません。
ユダヤでは全てのことは神の主権によって起こるのだという信仰理解があったからで、実際には主がそれを許容なさったということです。
それはイエス様が謙遜な救い主であって、人を無理強いして入信させるような方ではないからです。
まさにそれがイエスの栄光でありました。
人を導くときは、その人に聖霊が働いてくださることを求めつつ、内側から変えられることを願いましょう。
信じても人を恐れて告白しない者がいたことは残念ですが、今でもそういう人はいるでしょう。
そのような人の信仰成長は難しく、恵みに生きることはできません。
神の栄誉を求めましょう。
祝福を祈ります。
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預言者は神のみこころを記しますから、「預言者イザヤのことばが成就するため」(38)とは、すなわち神のみこころが成就するためということです。
ちなみに「主は…頑なにされた。」(40)ということばからすると、人間の不従順は神が原因のようですが、そうではありません。
ユダヤでは全てのことは神の主権によって起こるのだという信仰理解があったからで、実際には主がそれを許容なさったということです。
それはイエス様が謙遜な救い主であって、人を無理強いして入信させるような方ではないからです。
まさにそれがイエスの栄光でありました。
人を導くときは、その人に聖霊が働いてくださることを求めつつ、内側から変えられることを願いましょう。
信じても人を恐れて告白しない者がいたことは残念ですが、今でもそういう人はいるでしょう。
そのような人の信仰成長は難しく、恵みに生きることはできません。
神の栄誉を求めましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月14日
2025/2/14早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書12:20-36です。
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ギリシア人でさえイエス様を受け入れようとしていました。
そして、それは成功への誘惑にもなることでした。
このまま彼らの先生として活動すれば、楽に教えを広められるでしょう。
そのようなときにイエス様は苦難の道を歩むべく、決心を新たにします。
そしてご自身が死ぬことと、ご自身の弟子となるべきことを表されたのです。
弟子たちの将来を思ってのことでした。
そして天の父はイエス様を励ますべく、御声を表されたのです。
主のために、その使命を果たすように決心した者を、主は励まし栄光を表してくださいます。
主の栄光を表すための決心をしましょう。
祝福を祈ります。
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ギリシア人でさえイエス様を受け入れようとしていました。
そして、それは成功への誘惑にもなることでした。
このまま彼らの先生として活動すれば、楽に教えを広められるでしょう。
そのようなときにイエス様は苦難の道を歩むべく、決心を新たにします。
そしてご自身が死ぬことと、ご自身の弟子となるべきことを表されたのです。
弟子たちの将来を思ってのことでした。
そして天の父はイエス様を励ますべく、御声を表されたのです。
主のために、その使命を果たすように決心した者を、主は励まし栄光を表してくださいます。
主の栄光を表すための決心をしましょう。
祝福を祈ります。
2025年02月13日
2025/2/13早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書12:12-19です。
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普通王がその権威と勝利を表すために、入城するときは決まって馬に乗っていました。
ろばでは戦うことはできませんし、子ろばであればなおさらです。
それは見方によってはこっけいにさえ映ったかもしれません。
しかしそれこそがイエス様の偉大さを表すものでした。
主イエスは、馬による戦いという方法によってではなく、愛と平和によって勝利をもたらす方なのです。
それは十字架という尊い犠牲によってなされたものです。
私たちも、敵でさえも愛する愛によって、また平和を作り出すことによって、この神さまから勝利をいただきましょう。
また、必要ならば権威をもいただきましょう。
それは神の権威による勝利ですから、揺るぎないものです。
祝福を祈ります。
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普通王がその権威と勝利を表すために、入城するときは決まって馬に乗っていました。
ろばでは戦うことはできませんし、子ろばであればなおさらです。
それは見方によってはこっけいにさえ映ったかもしれません。
しかしそれこそがイエス様の偉大さを表すものでした。
主イエスは、馬による戦いという方法によってではなく、愛と平和によって勝利をもたらす方なのです。
それは十字架という尊い犠牲によってなされたものです。
私たちも、敵でさえも愛する愛によって、また平和を作り出すことによって、この神さまから勝利をいただきましょう。
また、必要ならば権威をもいただきましょう。
それは神の権威による勝利ですから、揺るぎないものです。
祝福を祈ります。
2025年02月12日
2025/2/12早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書12:1-11です。
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ユダには会計の才能がありましたが、それが誘惑にもなりました。
人はときに、その才能が誘惑にもなりますから、気をつけなくてはなりません。
特にユダは、お金を預かっていましたが、会計係を自分の目的でやっていましたから、結局「盗」(6)むようになってしまったのです。
彼は自分の悪を隠すために、善行を願っているようなことを言ったのでしょう。
しかしそれは偽善であったので、肝心なイエス様への愛が抜けてしまっていました。
ですからマリアの愛の行為がわからなかったのです。
マリアはイエス様への純粋な愛から、出来る限りのことをしました。
そのような行動はときには反対にあうこともありますが、ひるむ必要はありません。
主はその思いを知ってくださって、喜びまたほめてくださいます。
敵をも愛するイエス様を愛してこそ、本当の意味で人を愛することができるのです。
祝福を祈ります。
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ユダには会計の才能がありましたが、それが誘惑にもなりました。
人はときに、その才能が誘惑にもなりますから、気をつけなくてはなりません。
特にユダは、お金を預かっていましたが、会計係を自分の目的でやっていましたから、結局「盗」(6)むようになってしまったのです。
彼は自分の悪を隠すために、善行を願っているようなことを言ったのでしょう。
しかしそれは偽善であったので、肝心なイエス様への愛が抜けてしまっていました。
ですからマリアの愛の行為がわからなかったのです。
マリアはイエス様への純粋な愛から、出来る限りのことをしました。
そのような行動はときには反対にあうこともありますが、ひるむ必要はありません。
主はその思いを知ってくださって、喜びまたほめてくださいます。
敵をも愛するイエス様を愛してこそ、本当の意味で人を愛することができるのです。
祝福を祈ります。
2025年02月11日
2025/2/11早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書11:45-57です。
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イエス様に多くの群衆がついていくと、イスラエルの権力バランスが崩れて、それをきっかけに抑えられていた群衆が蜂起するかもしれない…そうするとそれを口実にローマ軍が攻めて来て、イスラエルを滅ぼすかもしれないというのが、祭司長とパリサイ人の心配でした。
そこでカヤパが言ったのは、そうなる前にイエスを殺そうということです。
彼の大祭司という役職は神から与えられていたので、意図せずに神の計画を預言したのです。
これは神様に用いられたということですが、彼には何の功績もありません。
その動機はむしろさばかれるべきものです。
このように私たちは神様によって立てられた働き人を尊重する必要があります。
しかし、人が用いられたからといって、彼が常に正しくきよいとは限りません。
ですから主に用いられる人は謙遜でなければなりません。
イエス様の立場はどんどん危うくなってきますが、それは大いなるご計画の進展であり、神様の大いなる知恵ゆえに、人にはまだ理解できないものでした。
常に今起きていることの先に神様のすばらしいご計画の進展があることを期待しましょう。
そして主のみこころを求めて、教えていただきましょう。
祝福を祈ります。
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イエス様に多くの群衆がついていくと、イスラエルの権力バランスが崩れて、それをきっかけに抑えられていた群衆が蜂起するかもしれない…そうするとそれを口実にローマ軍が攻めて来て、イスラエルを滅ぼすかもしれないというのが、祭司長とパリサイ人の心配でした。
そこでカヤパが言ったのは、そうなる前にイエスを殺そうということです。
彼の大祭司という役職は神から与えられていたので、意図せずに神の計画を預言したのです。
これは神様に用いられたということですが、彼には何の功績もありません。
その動機はむしろさばかれるべきものです。
このように私たちは神様によって立てられた働き人を尊重する必要があります。
しかし、人が用いられたからといって、彼が常に正しくきよいとは限りません。
ですから主に用いられる人は謙遜でなければなりません。
イエス様の立場はどんどん危うくなってきますが、それは大いなるご計画の進展であり、神様の大いなる知恵ゆえに、人にはまだ理解できないものでした。
常に今起きていることの先に神様のすばらしいご計画の進展があることを期待しましょう。
そして主のみこころを求めて、教えていただきましょう。
祝福を祈ります。