3月9日の放送です。
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2025年3月9日NGC SundayCelebration (YouTube)
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2025年3月9日NGC SundayCelebration (WMP)
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2025年3月9日NGC SundayCelebration (RAM)
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賛美「イエスその御名は」
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前奏
招詞
礼拝祈祷
賛美「主こそわが神」
お知らせと報告など
賛美「詩篇100」
「わが望みの主」
「その愛よりも」
司会
使徒信条
主の祈り
祈祷
聖書 ヨハネによる福音書21章15〜22節
メッセージ「愛の原点回帰」
祈り・応答
賛美「主を賛美しよう」(献金)
「雄々しくあれ」新聖歌486番
頌栄「父・御子・御霊の」新聖歌63番
祝祷
後奏
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司会:山本真一兄
説教:岡本伸之牧師
Praise & Worship
WL:岡本節子副牧師
Cho:Masaki & DJshuntaro
Key:DJshuntaro
Dr:Yoshika
PA:Ai
YouTube&Camera:Nobumasa
2025年03月09日
2025/3/9早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書19:23-30です。
本文とメッセージはこちら
「十字架につけると」(23)と、聖書では簡潔に書かれています。
十字架刑は体に釘が打たれるだけでも激しい痛みですが、それだけではありません。
体を貫通した釘に体重がかかって、激痛と大量の出血が起こります。
また肩にかかる力によって、呼吸困難になり、恐ろしい苦しみが襲います。
肩の関節や肋骨も歪み、はずれたことでしょう。
イエス様は全身から血を噴き出させながら、体を激しく震わせたと思われます。
そのような状況で以下にある出来事が起きました。
「下着」(23)とは一枚の大きなもので、物資の乏しかった当時は、一生大切に着るものでした。
多くは息子が12歳で成人するときに、母が愛情と祈りを込めて織ったそうです。
それを面白がってくじを引くほどに、イエス様は嘲弄されたのです。
さらにはそれを見ていた「イエスの母」(25)マリアは心が張り裂けるほどだったでしょう。
そのような苦しみさえ聖書に預言されていたのです。
それは私たちを救うための神様のわざです。
それほどにその愛は大きいということです。
またイエス様は耐え難い激痛の中で、母マリアの今後を心配して、ヨハネに「息子」(26)として面倒をみるように願いました。
願いというよりは、ヨハネなら喜んでそうしてくれるという、信頼に満ちた宣言でもありました。
イエス様の心の中にはどんな状況でも、人に対する愛があるのです。
イエス様は人としての弱さを持った状態で、そのように生きたのですから、私たちにも聖霊によってそれが可能であることを知って、主のために生きたいと願う人はそれを希望にしましょう。
自分の愛を過小評価しないで、大胆に人を愛しましょう。
またイエス様からそのような無限の愛で愛されている自分の価値に感謝しましょう。
何といってもイエス様の愛に感謝しましょう。
祝福を祈ります。
本文とメッセージはこちら
「十字架につけると」(23)と、聖書では簡潔に書かれています。
十字架刑は体に釘が打たれるだけでも激しい痛みですが、それだけではありません。
体を貫通した釘に体重がかかって、激痛と大量の出血が起こります。
また肩にかかる力によって、呼吸困難になり、恐ろしい苦しみが襲います。
肩の関節や肋骨も歪み、はずれたことでしょう。
イエス様は全身から血を噴き出させながら、体を激しく震わせたと思われます。
そのような状況で以下にある出来事が起きました。
「下着」(23)とは一枚の大きなもので、物資の乏しかった当時は、一生大切に着るものでした。
多くは息子が12歳で成人するときに、母が愛情と祈りを込めて織ったそうです。
それを面白がってくじを引くほどに、イエス様は嘲弄されたのです。
さらにはそれを見ていた「イエスの母」(25)マリアは心が張り裂けるほどだったでしょう。
そのような苦しみさえ聖書に預言されていたのです。
それは私たちを救うための神様のわざです。
それほどにその愛は大きいということです。
またイエス様は耐え難い激痛の中で、母マリアの今後を心配して、ヨハネに「息子」(26)として面倒をみるように願いました。
願いというよりは、ヨハネなら喜んでそうしてくれるという、信頼に満ちた宣言でもありました。
イエス様の心の中にはどんな状況でも、人に対する愛があるのです。
イエス様は人としての弱さを持った状態で、そのように生きたのですから、私たちにも聖霊によってそれが可能であることを知って、主のために生きたいと願う人はそれを希望にしましょう。
自分の愛を過小評価しないで、大胆に人を愛しましょう。
またイエス様からそのような無限の愛で愛されている自分の価値に感謝しましょう。
何といってもイエス様の愛に感謝しましょう。
祝福を祈ります。