本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書19:31-42です。
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安息日にはユダヤ教の規定があって、それに則って処刑が執行されました。
安息日には仕事をしてはならないので、十字架刑を続けるわけにはいかず、通常ですとまだ生きている受刑者の足を折って、肩と肺に負担をかけて呼吸困難で即死させました。
しかしイエス様の苦しみは通常よりも大きく、すでに死亡していたのです。
イエス様が墓から出たことは否定できないと判断した歴史家の中には、イエスは仮死状態だったのだとする者もありましたが、以上からイエス様は完全に死亡したのだとわかります。
イエス様は気を失った後に意識が戻ったのではなく、実際に死に、そしてその状態からよみがえったのです。
血と水は、医学的にはあり得ることで、相当の苦痛による心臓破裂ではないかと言われています。
ヨハネはそこに霊的な意味を見たのでしょう。
血は死の代価としてのあがないを意味し、水はきよめを表すのだとしたら、そのメッセージは、十字架から贖いときよめの恵みが流れ出るということです。
クリスチャンにとって恵みは十字架からなのです。
何かがあるごとに常に十字架を仰ぎましょう。
アリマタヤのヨセフは、イエス様を死罪に定めた議会においては、その一議員でもありました。
彼は「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していた」(38)のです。
議会は敵のようですが、その敵の一員と思われるような人々の中からも救いは起きるのです。
大きな励ましです。
また救われてまもなくは、彼のようにまだ周囲を恐れるような人もいるでしょうが、それでも主は用いてくださいます。
それは大きな希望であり、慰めです。
祝福を祈ります。