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初子が殺されるというのは、ファラオをはじめエジプト全土に計り知れない打撃を与えることです。
そしてそれ以上にここでの意味は、神のひとり子であるイエス様の死の雛形であることです。
この死を免れるために、イスラエルは羊を殺してその血をぬって印としたのですが、それはイエス様の雛形です。
そのイエス様は神の初子と表現されてもよい、すなわちひとり子なのです。
エジプトがイスラエルを虐待した罪、何度も偽りを言ってイスラエルを去らせずに、さらに苦しめ搾取しようとしたファラオの罪が、すべてこれら初子の上に報いとして降りかかったのでした。
これもまたイエス様の十字架を思わせるものです。
もちろんこれらの初子は、愛を持って身代わりになったわけではありません。
ただ罪の報いがそこに集中したという意味においてであり、そして信仰によってイスラエルにおいては、羊がその身代わりとなったのです。
イスラエルの人々がエジプトから金や銀を求めたのは、彼らのあつかましさではなく、むしろ逆で「好意を」持たれていたからです。
神の民は、虐待されるような境遇でも、神様のみこころを行うことができ、最後は救い出されますし、さらには善きものを受けることができるのです。
そのように信じて行動しましょう。
祝福を祈ります。
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