本文とメッセージはこちら
このシナイ山は神の臨在が顕された所で、この後に造られる幕屋や神殿を思わせます。
ここで分かることは、幕屋や神殿が作られる前から、主の臨在は栄光そのものであり、私たち人間が畏れるべきものであるということです。
ということは、神様は幕屋や神殿ができてようやく人に現れたのではなく、それ以前から存在しているということ、だから神の臨在は人の手に依らないということです。
私たちは何か自分の信仰が自分を救ったように思えたり、すなわち自分には救われるような要素や気質があったと思えたりします。
または神様のみわざが現れる時には、自分の能力や頑張りや忍耐でそれができたと思うときがあるかもしれません。
それは勘違いなのです。
神様の臨在は私たちの手に依るものではありません。
謙遜になり、ただ神様のみわざに感謝しましょう。
それゆえ自分が弱い時にも、主のみわざが進むのだと信じて、安心し、ゆだねて、自分の分を果たしましょう。
祝福を祈ります。
【バイブルメッセージの最新記事】