本文とメッセージはこちら
「ぶどうの踏み場で小麦を打っていた」(11)ということは、敵を恐れてのことで、戦う意思もなく問題から逃れていた様子がわかります。
それに対して主の使いは「勇士よ」(12)と言っています。
それは主の意思です。
私たちの現実では、時には主は御使いのようにクリスチャンのことばを用いることもあります。
「自分はだめだから」と逃れないで、「勇士」であるということも自覚しましょう。
その勇士の根拠は「主があなたとともにおられる」(12)ということです。
主は「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)と約束しておられます。
それを忘れないようにしましょう。
ギデオンは主であることを試したのですが、それは使命を確認するためのものです。
自分の願望のためではありません。
現在は火の”実験”はいりません。
聖書があるからです。
ことばや思い、または幻が与えられたとき、聖書から、語っておられる方が主であることを確認しなくてはなりません。
そして聖書に従うのです。
祝福を祈ります。
【バイブルメッセージの最新記事】