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ヨブの苦しみは相当なもので、神からも周囲からも攻撃にさらされていると感じずにはいられません。
もしも自分にそれだけの非があるのなら納得もできますが、「暴虐がなく...きよい」(16:17)との確信があるのですから、主よなぜですかと苦悶の祈りを続けているのです。
神は義には恵みで報い、不義にはさばきで報いるはずで、だからこそ神は正しいと言えるのです。
しかし、人はみな罪があるので「報酬は死」です。
報酬ではなく賜物を求めましょう。
「賜物は...キリスト・イエスにある永遠のいのち」(ローマ6:23)なのです。
ヨブが求めている「とりなし」は主イエスにあるのです。
ヨブには自分の「保証人」(16:19)がないので、苦しみは増すばかりです。
物笑いにされ、つばきをかけられるように侮辱され、絶望によって目やからだまでも影のように衰弱してゆきます。
保証してくれる…それはイエス様のほかにありません。
人の保証では聖なる神の前にあてになりません。
また私たち罪人を憐んでくださる心が必要です。
イエス様の保証によって、どんな苦難のときにも、大胆に神の前に出ましょう。
祝福を祈ります。
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