2021年11月14日

2021/11/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨブ記24:1-25です。

本文とメッセージはこちら

ヨブは神の時すなわち裁きの時が明らかであるのなら、どうして日常にその裁きがないのかと問います。
地境を動かすような不正や横暴があり、またそれによって(野ろばのように)貧しい者たちは荒野でしか食べ物を得られず、悪者が刈り取った後の畑で飢えをしのぐようになります。
さらに悪者たちはみなしごを母から奪い、奴隷として酷使します。

そしてその彼らの訴えを神は心に留められず、悪者を裁かないというわけです。
エリファズの主張は、病は悪者に対する神の裁きだから、ヨブも悪いに違いないということでした。
ヨブはそれは現実世界を見るなら当てはまらないと言いたいのです。

神は心の内にあるものを明らかにされるお方です。
黙示録22:11-12には「不正を行う者には、ますます不正を行わせ、…聖なる者はますます聖なる者とならせなさい。…わたしは報いを携えて来る。」とあります。
結果的に、悔い改める者には忍耐が、頑なな者には裁きの確かさが表されるのです。
批判する側もされる側も、全能の神が定めた時の前にへりくだり、委ねて、その正しい裁きを後に見せていただきましょう。

ヨブはさらに悪者の様子を語りますが、また神の裁きもあること(18〜20、24)を期待します。
ヨブの信仰は、必ずある神の裁きと、また裁きには時があるということに行き着いたようです。
これが後の悟りにつながっていくと思われます。

苦しみながら全存在をかけて神に問いかけ、教えられた御心の真理ほど貴重なものはありません。
ヨハネ14:6でイエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われました。
苦しいときこそイエス様と熱心に交わり、宝を得ましょう。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | バイブルメッセージ
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