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11節から14節前半は神様の救いの力強さが表されています。
また14節後半には敵の暴虐、そして15節には神の力、16節には自分自身の悲惨さ、そして18節には神の救い…というように視点が細かく変わります。
これはまさに人間の置かれた状況を表します。
苦難があり、救いがあり、そこに信仰があり、また悩みがある…とうように実際の私たちも色々に変化します。
それはいわば普通のことであって、最終的には「しかし、私は主にあって喜び躍り、わが救いの神にあって楽しもう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」という主の勝利が実現します。
必ず主の恵みが実現するのですから、不平や落ち込み、自己憐憫や劣等感を捨てて、前に進んで行きましょう。
ハバククは主の勝利の宣言を歌いますが、しかしまた16節からは苦難について記します。
そしてまた18から19節に主のすばらしい回復が宣言されるのです。
つまり主の勝利があり、苦難があり、そして最終的な勝利があるのです。
このような信仰の宣言も大切です。
つまり主に苦しさを訴える前に、まず主のすばらしさ、主の勝利を宣言するのです。
そうすると勝利の確信の中で苦しさを訴えることができるでしょう。
自己憐憫や無希望に陥ることがないのです。
その始めの勝利宣言は主の「あわれみ」(2)、「威光は天をおお」(3)うという壮大さ、「疫病」や「熱病」(5)という敵に対する恐ろしいまでの力が述べられています。
「主は愛の神様だから恐れることはない」という人もいますが、それは間違いです。
主を恐れることは主の偉大さを認めることでもあり、それはハバクク書のように、敵への勝利の確信にも直結するのです。
ですから主を恐れつつ、主の偉大さを賛美し、そして主の勝利を確信して、勇気を持って主の道に進んでいきましょう。
祝福を祈ります。
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