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このたとえは主イエス様がやがてさばき主として地上に来られるときのことを意味しています。
それは思いがけないときに来るので、常にその用意をしている必要があるということです。
主イエスの十字架を受け入れて救われたクリスチャンは、みなが平等で一律に報いを受けると早合点する人もあるかもしれませんが、実は違います。
赦しと救いを全く同じように受けるとともに、報いの点では違うのです。
天に宝を積むことやこの世での行いが違います。
それとともに、「忠実で賢い管理人」(42)であることも報いの違いを生み出すのです。
とは言え、神なる主は全知のお方ですから、その日まで私たちの行いが分からないということはありません。
ですから主イエスがまだ来られなくても、私たちの今の備えは無駄ということはありません。
”もしも今日主イエスが来られたら”という感覚を忘れずに生活する習慣を身に着けましょう。
祝福を祈ります。
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