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安息日にイエス様がいやしを行うなら、批判の口実になると、彼らは待ち構えていました。
自分の義を主張する人々にとっては、水腫をわずらう人は都合のよい罠としか思えなかったのでしょう。
しかしイエス様は彼を「抱いて癒やし」(4)ました。
何という愛でしょうか。
単に体をいやすだけではなく、愛で包み込んで心までもいやされたのです。
私たちに対するイエス様の愛もこれと同じです。
また主の安息日はこのようなものです。
形式を守るのではなく、また主から離れて自分の都合を第一にするのではなく、イエス様の愛のわざを現実にいただけるのです。
そのような価値観は神の国のものです。
自分の都合や正当化を考えないで、ただ主のみこころのみを求めるということです。
もしかしたらそのような生き方、また日曜日は不安でしょうか。
イエス様は自分で自分を満たそうとするのではなく、主によって満たしていただきなさいと言われます。
すなわち、上席などの権威やお返しなどの利得を求めるのではなく、主からそれらをいただきなさいということです。
その神の国の価値観の原点が安息日(日曜日)の礼拝にあるのです。
そのような命ある礼拝をささげましょう。
また安息日に表されるイエス様の愛に抱かれつつ、安心と希望で生きましょう。
祝福を祈ります。
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