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「小さい者」すなわち年数の浅いクリスチャンや求道者などが、その信仰を萎えさせるようなことのないように、気をつけましょう。
もしも何か心配なことがあったら、できるだけのケアをしましょう。
また悔い改める人は赦しましょう。
そのためには「信仰を増し加えてください」(5)と祈りたくもなるでしょうが、信仰は多いか少ないかではなく、あるかないかです。
小さな「からし種ほどの信仰」(6)でも、種のように生きた信仰なら主の大いなるみわざを見ることができるのです。
生きた信仰とは成長するということです。
成長への願いがあるでしょうか。
もしもそれが薄いなら何か信仰の不健全さをかかえていると思われます。
そのままにしないで、祈り、告白して、主のみわざによって解決していただきましょう。
また信仰が生きているかどうかを見るには、主のために役に立ちたいかどうかでも分かります。
そのような願いのある人とは、いくらでも主のためにしたいですから、まだまだ「役に立たない」とも思うでしょう。
一方、その願いの薄い人は、これだけやっているのから十分だ…または、やっているのに何も良いことがない…などと思ってしまいます。
あなたはどちらでしょうか。
その信仰は種のように生きていて、可能性に満ちているでしょうか。
祝福を祈ります。
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