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弟子たちはまだ信仰の目が開けれていませんでしたが、この目の不自由な人は、見えるようになり、「イエスについて行った」(18:43)のです。
初めは自分の願いでしたが、主の恵みに感じて、喜んで自分をささげました。
ここにクリスチャンの生き方が始まります。
願いがかなって、あとは自分の好きにやるようでは、イエス様を愛しているとは言えません。
また次の願いごとはどうなるかは分かりません。
恵みに感謝しつつ、「神をあがめながら」(18:43)、イエス様に「ついて行」きましょう。
ザアカイにとってはお金が一番大切でした。
人生を守る保証が欲しかったのでしょう。
しかしそれゆえ、彼は不正な収税人となり、金持ちではありましたが孤独でした。
イエス様はそのような彼の心にまでも寄り添ってくださる方でした。
「あなたの家に泊まることにしているから」(19:5)と、主は求める者と親しく交わってくださるのです。
イエス様と交わりましょう。
そうすればその愛の御人格で、私たちは変わります。
ザアカイも過去を悔い改めて、全く変わりました。
私たちはもっとイエス様との人格的な交わりが必要かもしれません。
祝福を祈ります。
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