本文とメッセージはこちら
ヨセフの銀のことから「神は私たちにいったい」(28)と、彼らの思いは次第に神様に向くようになってきたようです。
まだ解決からは程遠いのですが、このよう少しでも神に思いが向いてゆくときに、何かが少しずつ変わります。
神様を中心に考える習慣を身に付けましょう。
かつての罪を認め、また心が神様に向いてきた息子たちは、困難な状況の中にも何とか打開を図ろうとします。
父ヤコブにエジプトでのことを報告しますが、行動を共にしていないヤコブは、ただ恐れをいだき、事態を息子たちの責任にし(36節)、自己憐憫に陥っていました(38節)。
かつての息子たちは決して誉められるような信仰ではありませんでした。
一方ヤコブはヤボクの渡しでは素晴らしい神体験をしましたが、今は決断のできない気弱な老人です。
大切なのは生きておられる神様との関係が、現在はどうなのかということです。
過去がどうであれ今は、困難を引き受け、罪と認めて、神様を見上げつつ、なんとか最善に導かれようとする息子たちと、ヤコブとはその視点が違っています。
ルベンは、自分自身はヨセフを売ることに反対しましたが、当時の罪を自分のものと感じたのでしょう。
父の責任転嫁に反論することもせずに、父を説得して解決の道を探ろうとしています。
このように、みなの罪を自分のこととして負い、困難を引き受け、謙遜に人と関わる者は、過去がどうであれ、主の導きに沿って行くことができるのです。
祝福を祈ります。
【バイブルメッセージの最新記事】