2022年11月06日

2022/11/6早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、創世記43:25-34です。

本文とメッセージはこちら

かつてヨセフは畑の束や太陽系の夢を見て、兄たちは自分にひれ伏すようになることを連想しました。
そして今やその夢の通りになりました。
まさにヨセフは神の人で神に用いられたようではあります。
しかしヨセフであっても、主のわざに参与したからということで、自分を正当化することはできません。
人はもともと多くの夢を見るものです。
自分が喜ぶような夢を見たときに、周囲の気持ちも考えずに得意げに話すということは、自己中心的で配慮が足りないことです。

また用いられるということであれば、兄弟たちもヨセフを売ったことにより、彼は大臣になってヤコブ一族の助けになったのですから、「自分たちは神に協力した」と言えないこともありませんが、それは見当違いです。
主は人間の愚かさや失敗や間違いさえもお用いになるのですから、結果だけを見て、自分は用いられたとは言えないのです。
それは自分の問題や罪を覆い隠してしまう詭弁なのです。
私たちは自分自身の感情と動機を、神のみことばに照らしてみる必要があります。

ヨセフも兄弟たちも、食べて飲み、良い気分になったようです。
そこには、誰が正しくて被害者であるかというような、被害者意識がヨセフからなくなっていることがわかります。
そのような思いが兄たちにも、雰囲気として伝わったのでしょう。
彼らもまた安心して酔いごこちになりました。
神様から与えられた和解の思いは、契約のような言葉を取り交わさずとも、愛の雰囲気で伝わる部分も大きいのです。
私たちはそれが聖霊の働きであることを知っています。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | バイブルメッセージ
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