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ヤコブの一族は大きかったので、エジプトに入る前にヨセフの誘導をもらうためにゴシェンで待機したのかもしれませんし、またはゴシェンが住むのに良いということを発見したのかもしれません。
見知らぬ土地ではありましたが、主のご計画に従う者には、主は必ず良い場所を備えてくださるのです。
ヨセフは何度も泣きました。
涙も神様が備えてくださった、癒しのための恵みです。
時には主の前で心を許して、泣いて良いのです。
主の前では、または主の与えてくださった信頼できる共同体の中では、強さを装わずに、ありのままの自分を見せることも必要です。
そこに真実な交わりが始まり、主のみわざを体験することもあるのです。
エジプト人は早くから農耕をしており、周辺の遊牧民よりも進んだ民でしたし、彼らは周辺民族を見下げる傾向があったようです。
民族同士の偏見はどこの世界でも根強いものがあり、それは嫌悪感にさえ発展します。
ですからヤコブの一族は「忌みきらわれる」種類の民だったのです。
しかしヨセフは大臣という高い立場にありながらも、自分の地位を守ることに固執しないで、自分がその「忌みきらわれる」民出身であることを明らかにしました。
ヨセフは今自分があるのは神様のおかげと信じ、感謝していましたから、その神様が与えてくださった生い立ちや家族を肯定的に受け止めていたはずです。
主の与えてくださった自分の境遇を肯定しましょう。
感謝し、希望を見出しましょう。
またヨセフは、自分がヤコブの家族であるということはすなわちまことの神を信じる者であるという、信仰のアイデンティティーを持っていました。
ですから評判は下がるようなことがあっても、また仕事がやりづらくなるようなことがあても、「羊を飼う者」の出身であることを隠さなかったのです。
恐れて信仰を隠すよりも、神様からの助けをいただいて証しをする者となりたいものです。
祝福を祈ります。
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