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競争も戦いも、必ずしも有利な者が勝つとは限りません。
それは法則性もなく偶然であり、神などはいないようにも感じられます。
また知恵に関しても、それがあるなら尊重されると期待したところで、結局は「貧しい」など理不尽な理由で忘れ去られてしまいます。
それもまた神などいないような出来事です。
しかし、「知恵は力にまさる。」(16)ということも事実です。
仮に「貧しい者の知恵」(16)としてさげすまれても、「知恵は武器にまさ」(18)るということは、誰もが認めることでもあるのです。
知恵はこのように神の創造を想起させる入り口でもあります。
かつて哲学者デカルトは、否定しようのない確かなものにたどり着くために、全てを否定してみるという知的探求をしました。
それは全てが「空しい」という伝道者の書にあるような知的作業でしたが、結局はそのように全てを否定しつつ考えている自分の存在自体は否定できないことを発見したのです。
「我思う。ゆえに我有り。」という有名な命題に至ったのです。
そしてこの自分を有るものとされた創造主が存在することを弁証しました。
この箇所にある知恵とはまさにそのようなものです。
知恵さえもむなしいものに思えてしまう、そんな人生であっても、そのむなしさを感じている自分自身は存在し、その自分を存在させた方がおられるということです。
伝道者(著者)は知恵ということを題材にしながら、未信者にそのような思いになることを期待しているのでしょう。
私たちも祈りが聞かれないことによるむなしさを感じるとき、または神がおられるという現実感を失うときがあるかもしれません。
そのようなときこそ、否定しようのない神の存在と、自分を愛で創造してくださった神様に祈りで肉薄して、揺るぎない信頼をいただきましょう。
祝福を祈ります。
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