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ここでは長老について、信仰による祈りについて、義人の祈りについて書かれています。
そしてそのような人の祈りは「罪は赦され」(15)、「働くと大きな力」(16)になるというのです。
そこで見のがせない大切なポイントがあります。
それは「ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し…」(16)という点です。
パウロは「正しい人」(16)に対して、「罪を...」を言うのです。
ですから罪がない人が「正しい人」なのではなく、罪を認めて正直に「言い表す」ことのできる人が「正しい人」なのです。
この点をクリスチャンははっきりとさせなくてはなりません。
主を信じる者はそのような考え方をする必要があります。
自分を何かきよい霊的な者に見てもらうよりも、罪を暴露して神様の赦しときよめを明らかにしましょう。
またそれを誇りとしましょう。
また人を見るとき、罪のない人などないということを肝に銘じ、きよそうに見える人よりもむしろ自分の罪や足りなさを、正直に話す人を信頼しましょう。
またそのような人に祈ってもらいましょう。
教師や役員やリーダーやスポンサーなどなど、教会での立場のある人も多いですが、立場ゆえによく見せたくなる誘惑から、主に心を守っていただきましょう。
エリヤが雨の奇跡をもたらしたとき、エリヤは決して強くはなく、むしろ弱さを露呈していました。
エリヤ、モーセ、ギデオン、アブラハムなどなど、聖書の勇者たちはみな信仰の弱い者であったことを思い出しましょう。
主に頼り、主の全能とあわれみを証ししましょう。
祝福を祈ります。
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