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燭台は聖霊を表し、パンは砕かれた粉ゆえに謙遜ときよめを表します。
そのようにして主のおられる所に近づいてゆくことができるということです。
至聖所とは主ご自身がおられるところを意味し、それは全く聖なるものです。
そこには汚れたままでは入れないので、さまざまなきよめを表しまたきよめをもたらすものがありました。
そして何よりもきよめをもたらすものは、動物の「血」であって、大祭司はそれを携えて至聖所に入ったのです。
つまり、神の前に出られるのは、その罪を赦してきよめていただいたものだけであり、それは罪の刑罰をすでに受けたものだけであるということです。
もちろん人が罰を受けるなら、滅びですから、それは動物の身代わりが必要だったのです。
私たちもイエス様の十字架の血がなければ、聖なる神の前には立てない、神に祈ることすら赦されないものなのだということを忘れないようにしましょう。
罪をいいかげんに扱うことなく、また罪の赦しを感謝し、そして神様にきよい者とされましょう。
祝福を祈ります。
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