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「私たち(クリスチャン)には一つの祭壇があります。」(10)というのは、イエス様の「みもと」(13)ということです。
イエス様が永遠の大祭司であり、完全なるささげものであるからです。
さらにここで述べられていることは、贖いのささげものは他のものと違って祭司は食べることができず、宿営の外で焼かれたということです。
イエス様も外で(すなわちエルサレムの城壁外のゴルゴダで)殺されました。
つまり私たちがイエス様の贖いのみもとに行こうとするなら、宿営を出て外のゴルゴダに行かなければならないということです。
宿営とはヘブル人にとってはこれまでの社会であり、旧約の律法です。
他の者にとっては人間社会の神なき生き方であり、因果応報的な価値観ということになるでしょう。
私たちは神なき世界を出て、みもとに行く必要があるのです。
そしてイエス様のみもとから広がっているのは、永遠の希望であり、「来たるべき都」(14)です。]
大いなる希望のゆえに、ここにあるような「善」(16)を行っていきましょう。
祝福を祈ります。
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