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その信仰と愛に関して、パウロが感謝するほどのコロサイ教会の人々でしたが、それで完成していたのかというと、そんなことはありません。
パウロは、まだ伸びしろとして、彼らが「知識に満たされ」(9)るように、「成長」(10)するように、「寛容でいられ」(11)るように、「感謝をささげることができ」(12)るようにと、願いつつ指導しています。
私たちも自分には成長の余地があることを喜び、指導を仰いでゆきましょう。
当時はグノーシス主義という教えが流行しており、十字架の福音もその前提で理解しようとする人が影響を及ぼしたようです。
それによると霊は善であるが物質は悪であるということです。
そして神は様々なものを創造したが、神から離れて生まれたものは、より悪い存在であるということで、物質は神から遠く離れて存在したので悪ということです。
そこではキリストは神によって創造され、他のものと同じく被造物に過ぎないということです。
ただ神に近い存在なので、善であるにしか過ぎません。
そこでパウロは、この手紙によってイエス様の神であることと、そのご性質と働きを明らかにしています。
ここにある「御子は...最初に生まれた」(18)という表現は気になるところです。
キリスト・イエス様は「父とは一つです。」(ヨハネ10:30)とご自分が神と等しいことを明言され、ご自分が神として礼拝されることを望まれました。
ヨハネによる福音書には、ロゴスすなわちキリストが、「初めに」(ヨハネ1章)あったとその先在性を明記しています。
この「最初に生まれた」(18)という表現は、詩篇などから分かるように、初子を表しているのです。
そしてそれは全てに勝る立場であるという、栄誉に満ちた関係だということです。
そのような特別無比なるお方と親しい愛の交わりができることを、私たちも栄誉と覚えましょう。
そしていっそう成長してゆきましょう。
祝福を祈ります。
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